みなさんにとって、一番古い記憶は何歳ごろのことでしょうか。
多くの人が思い出せるのは、3歳か4歳くらいまでで、それより前の記憶はほとんど残っていないといわれています。
では、赤ちゃんには「記憶」がないのか……。
そんなことはありません。じつは、赤ちゃんはちゃんと記憶をつくりながら、その一方で、大人とはまったく違う「好き」のしくみで世界を見ています。
この連載では、視覚発達研究の視点から、赤ちゃんの「見る」と「記憶」の関係を紐解いていきます。
第3回となる今回は、“赤ちゃんは新しいもの好き”という切り口で、ヒトの記憶のはじまりを深掘りしていきます。
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今回は、これまでとは別の視点から、赤ちゃんの好きなものをお話しします。赤ちゃんは、“新しいもの好き”です。この新しいもの好きと関連しているのが、赤ちゃんの記憶の発達です。
まずは試しに、自分の赤ちゃん時代を思い出してみましょう。あなたは赤ちゃんのときの記憶がありますか。幼いころの記憶を、何歳までさかのぼることができるでしょうか?
三島由紀夫が「産湯の盥の記憶がある」という内容を、著書『仮面の告白』の中で語っているように、赤ちゃん時代の記憶があるという人や、胎児のころの記憶があるという人もいます。ちなみに著者が覚えているのは、がんばって指を折り曲げて「3つ(三歳)!」とポーズをしてみせた、曾祖母の葬儀の場面での記憶です。実はこれが典型例で、たいていの人は3歳から4歳くらいまでが、さかのぼることができる限界のようです。
さかのぼることのできない赤ちゃんの記憶について、こんなエピソードをご紹介しましょう。
人見知りが始まった、友人の赤ちゃんに会いに行ったときのこと。目を合わせるたびに泣きだされ、仲良くなるのに四苦八苦。ようやく仲良くできたものの、赤ちゃんは疲れてお昼寝。赤ちゃんが起きたところで「よく寝たね」と声をかけたら、「この人、誰?」という感じで大泣きされてしまいました……。眠っている間に、出会った記憶はリセットされ、再び初対面に戻ってしまったようです。
赤ちゃんの記憶は、あいまいにみえます。とはいえ、赤ちゃんにまったく記憶がないとはいえません。2025年のアメリカの科学誌『サイエンス』の論文では、生後4ヶ月の赤ちゃんで、記憶を刻むときに活動する脳の海馬の活動が示されたのです。
赤ちゃんでも記憶はできるのです。ただし、記憶したものへの好みの方向性が、赤ちゃんと大人とは真逆なのです。
大人は一般的に、慣れ親しんだものを好む「親近」既知選好があります。洗剤や歯磨きなど、価格や機能に大差がなくて無頓着に選びがちな商品は、見慣れたものを手にしがちです。ネットや雑誌で大量に商品広告を流すのも、この原理をもとにしているからなのです。見知らぬ商品を選んで失敗するよりは、見知ったものを選んだ方が安心だからでしょうか。無意識のうちに、このような傾向に流されていることがポイントなのです。
一方の赤ちゃんは、目新しいものを好む「新奇」選好があります。なお、人見知りの強い赤ちゃんにとっての顔は特別なので、これは顔以外のお話です。赤ちゃんの選択が無意識かどうかを赤ちゃんに尋ねることは不可能ですが、新奇選好には、発達途上の脳に刺激を与えるというメリットがあります。できるだけ多くの新しい刺激で、発達途上の脳を刺激する、目新しいものを好んで見ることそのものが発達にとって大切なのです。
そもそも新しい記憶を溜め込んでいく状態の赤ちゃんが、大人と同じように慣れ親しんだものを好きになるには、まずは記憶を蓄積する必要があるでしょう。
赤ちゃんの新奇選好が、大人と同じ既知選好に切り替わる時期を調べた実験があります。2歳から4歳までの幼児を対象に、さまざまなおもちゃを与えて選ばせて、新奇選好と既知選好のどちらが強いかを調べたものです。個人差も大きいのですが、早い子では2歳くらいから、おおよそ3歳か4歳くらいで、新奇選好から既知選好へと変わっていきました。
興味深いのは、先ほどの記憶をさかのぼる限界と、この年齢が一致していることです。たいていの人にとって、幼い頃を振り返って記憶をさかのぼることができるのは、3歳か4歳くらいという理由は、どうやらここにあるようです。
この赤ちゃん特有の「新奇」選好は、赤ちゃん実験に利用されています。これも、好みに着目した赤ちゃん実験を開発したファンツによるものです。
実験では、人工的に慣れた状態を作り出します。その後に見せる新しい対象を、まさしく“新しい”と区別できるかで、赤ちゃんの識別能力を調べるのです。例として、赤ちゃんが大人の顔と子どもの顔を区別できるかを調べる実験で説明してみましょう。
実験では、赤ちゃんにまず、同じ対象を何度もしつこく見せて飽きさせます。例で示すと、大人の顔写真を何度も繰り返し見せ続けます。見るのに飽きても、しつこく何度も見せれば、赤ちゃんは大人の顔写真を見ることに飽きます。大人の顔写真を見た時間が、最初に見た時よりも減ることで、大人の顔に飽きたとみなすのです。
飽きた状態ができあがったところで、新しく子どもの顔写真を見せ、大人の顔写真に飽きたときの時間と比べ、どのくらい見る時間が増えたかを調べるのです。新奇選好の赤ちゃんは、子どもの顔写真を新しいとみなしたならば、見る時間が増加するはずですね。この注視時間の減少と増加から、赤ちゃんが「大人の顔と子どもの顔が区別できた」か調べることができるのです。
なお、この実験は1歳を過ぎたら通用しないといわれます。動き回っておとなしくできないということもありますが、新奇選好が弱くなっていくからでもあります。赤ちゃんの時期にしか見られない、特別な実験なのです。
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次回は、
「色を見分ける脳の仕組み——色の名前がわかる前に赤ちゃんが見ている世界とは」というテーマでお話していきます。お楽しみに。
















