昭和100年目の2026年、二人の時代の目撃者が〈激動の昭和〉と〈混沌する今〉を射抜いた新書『一寸先は闇』を緊急出版。これまで以上に、予測不能かつ瞬時に変貌する世界情勢の中で、変わらぬもの、変わるべきものとは何か。混沌を生き抜く勇気が灯る本書から、一部をご紹介します。
ウクライナで撤去されるプーシキン像
五木 それも含めて、いまの世界はこれまでの常識を超えた、ある種コミカルな現実に直面しているように感じます。さっき佐藤さんがおっしゃったように、近代西洋のやり方が破綻して、暴力団が仕切る世界になるのかもしれません。『西洋の敗北と日本の選択』(2025年、文春新書)という本も読みましたが、ヨーロッパの知識人にもそういう自覚はあるんだろうと思いますね。
佐藤 エマニュエル・トッド(1951年~、フランスの人口統計学者)さんですね。私の友人です。あの本は25カ国で翻訳されているんですが、英訳が出ていないんですよ。ドイツ語やイタリア語はもちろん、韓国語にもロシア語にも翻訳されているのに、英語版だけがない。アメリカとイギリスの知識人が、拒否反応を示してるんです。本当のことが書いてあるからでしょうね。
五木 戦争と外交のあり方も変わりつつあるように思います。おかしないい方ですけど、単なる「外交」や「戦争」ではなく、「戦争的外交」というか「外交的戦争」というか。
佐藤 局地戦はあるけれど、核兵器があるから世界戦争はやらない。それがいまの新帝国主義だと私は考えています。だからヤクザみたいな形になる。暴力団の世界も、小競合いはあるものの全面戦争は避けて、「このへんでお互いに収めようじゃねぇか」と手打ち式に持ち込むじゃないですか。
トランプとプーチンも、「お互いヤクザ者ではあるけど、稼業が違うんだから諍いを起こしてもしょうがねぇだろう。縄張りを決めて棲み分けようや」という発想なんだろうと思いますね。プーチンが「ゼレンスキー君も困ったもんだね」といえば、トランプは「いや、すんませんね。先代のバイデンの躾がなってなかったもんで」と答える。力のある者同士で取引をして、ウクライナ抜きで決めようとしています。
五木 僕は国際情勢に疎いから、ウクライナ問題にはできるだけ触れないでいようと思っていたんだけど、ウクライナでプーシキン(1799年~1837年、ロシアの詩人・小説家)の銅像がどんどん撤去されつつあるというニュースを見たときに、そうもいっていられないと思いました。いずれゴーゴリやトルストイ(1828年~1910年、ロシアの小説家・思想家)の銅像も撤去されるかもしれない。
佐藤 ロシア的なものを排斥する動きが見られますよね。ゴーゴリはウクライナ人でもあるんですけども。一方、モスクワに行くと、ウクライナホテルはウクライナホテルのままですし、ウクライナの詩人シェフチェンコ(1814年~1861年)の像の前にはちゃんと花も置かれています。ロシアには、ウクライナ的なものを排斥する動きがないんですよ。
五木 ウクライナとロシアとの結びつきは、昨日今日のものではないですからね。そんなウクライナで、国民詩人であるプーシキンの像などが撤去されていくのは、何ともいえない複雑な気持ちになりますね。プーシキンにはちょっと愛国的な面もあるのでやむを得ないのかもしれませんが、トルストイやツルゲーネフ(1818年~1883年、ロシアの小説家)の像まで撤去するような雰囲気になるのは、どうなんだと思ってしまいますよ。
佐藤 いままでロシアに加わったことがなく、かつてはナチス・ドイツに協力したこともある西ウクライナの影響が強くなりすぎたんです。第二次世界大戦でも、200万人のウクライナ人はソ連赤軍でしたが、60万人はナチスですからね。いまウクライナが国家的英雄として讃えているステパン・バンデラ(1909年~1959年、ウクライナの政治家・民族運動の指導者)は、ナチスの啓蒙・宣伝大臣ゲッべルス(1897年~1945年)の協力者でした。ポーランドなどでユダヤ人をかなり殺しています。そのあたりの歴史的な事情を西側が見て見ぬ振りしてきたのが良くなかったんですよ。
楽観に逃げず「一寸先は闇」を覚悟する
五木 その一方で、こんどはイスラエルがガザ攻撃を始めて、停戦という話は出ても空爆が続いたりと、いまのところ終わる兆しが見えません。本当にこの世界は何が起きて、どう変化するかわからない。いろんな人が未来予測をするけれど、これはほとんど外れます。人間の世の中は、思ってもみないような悲劇が起こる。だから僕は、基本的に「一寸先は闇」だと思ってるんですけど。
佐藤 五木さんのこれまでの人生で、いちばん予想外だった出来事は何ですか?
五木 それはもう、あの敗戦です。僕だけでなく、戦中の庶民の大部分は、日本が負けるなんて思ってもみなかった。負けるどころか、自分たちの頭上から焼夷弾が降りそそぐことも実感できなかったでしょう。防空壕を掘り、防空訓練をしていても、ピンとこなかったと思いますよ。心のどこかで「まさかそんなことにはなるまい」と楽観視していて、いざそれが現実のものになったときに愕然とするんです。
佐藤 自分が背任容疑で捕まったとき(2002年)の経験を振り返ってもそうなんですが、人間はどんなに冷静に考えているつもりでも、やはり危機的な状況になると楽観論に傾くんですよ。私も「そんなことはしてないんだから、まさか逮捕されることはないだろう」と思っていました。あの戦争のときも、「まさか本土が空襲されることはないだろう」と楽観し、いざ空襲が始まると「まさか自分の街には来ないだろう」と楽観し、次は「まさか自分の頭上には焼夷弾は落ちないだろう」と楽観する。そういうものだと思います。

五木 物事を悲観的に見るのを、良くないことだと考える人もいますよね。でも未来を正確に予測することができないのはたしかなので、そこに悲観も楽観もないんです。そして、ただひとつ確実に予測できるのは、生まれた人間は必ず老化して、最後は死ぬということ。だとすれば、いま新しいと思われている世界の変化や思想なども、いずれ必ず古くなって、終焉を迎えるんだと思うんです。
佐藤 エマニュエル・トッドのいう「西洋の敗北」も、まさにそういうことかもしれません。約30年前には東西冷戦構造が終わり、こんどは近代西洋が終わろうとしている。
五木 日本の場合、敗戦を境に社会は新しく生まれ変わりました。それから80年間、本格的な戦争をせずに平和を享受してきたわけですが、この先もそれが続く保証はまったくありません。やはり楽観に逃げることなく、常に「一寸先は闇」という覚悟で生きていかなければならないのではないでしょうか。
佐藤 それこそが、戦前・戦中と戦後ではまったく異なる社会になった「昭和」という時代から、学ぶべきことかもしれないですね。よく「戦争を風化させてはいけない」といいますが、それに加えて「一寸先に、たしかにあった闇」に愕然とした記憶も、風化させてはいけないのだろうと思います。
一寸先は闇の記事をもっと読む
一寸先は闇

これまで以上に予測不能かつ瞬時に変貌する世界情勢の中で、変わらぬもの、変わるべきものとは何か。二人の〈時代の目撃者〉の視点から、昭和の戦前・戦中を追体験できる多面的歴史篇。











