20歳まで寮生活をしていた私は、撮影が終われば部屋に戻る、という生活をしていた。
だから寮を出たからと言って、同世代の友達と飲みに行く、なんて習慣はなかったし、「みんなで」という時間は、どこか自分には縁のないものだと思っていた。
そんな私を外に連れ出してくれたのが、ある短編映画のチームだった。
少し年上のスタッフたち。その中心にいたのは、意外なことにスタッフの中でいちばん年下の、きーちくんだった。
きーちくんは、いわゆる陽キャではない。
声が大きいわけでもないし、前に前に出るタイプでもない。
むしろ落ち着いていて、どこか静かで、いつも少し俯瞰しているような人だった。
それなのに、不思議とみんな彼のまわりに集まる。
当時、彼が住んでいたのは「LA(リトル阿佐ヶ谷)」と呼ばれるシェアハウスだった。いろんな国から日本に来た人たちが暮らしていて、ウェルカムパーティーやお別れパーティーがよく開かれていた。
きーちくんは、いつも自然に声をかけてくれた。
最初は少し緊張した。知らない人ばかりの空間。英語も飛び交う。
でもそこには、誰かを肩書きで判断するような空気も、無理に盛り上がる圧もなかった。ただ、それぞれが持ち寄った気持ちを囲んで、笑っているだけの時間があった。
お花見も毎年このチームでやっている。
場所取りは、決まって朝早くからきーちくんがしてくれる。
誰かのために動くことを、さも当然のようにやってしまう人だ。
彼は、人を引っ張るのではなく、そっと居場所をつくる。
だから、みんな安心してそこに集まるのだと思う。
きーちくんが長編監督デビューをしたとき、私は勝手に誇らしくて、勝手に泣きそうになった。いや、エンドロールを見ながら、ひっそり泣いていた。
あのチームと出会わなければ、私は今も「撮影が終われば帰る人」だったかもしれない。
楽しくて、初めて終電を逃し、タクシーに乗って帰った中目黒の夜。タクシーに乗せてくれたのはみんなだった。1人でドキドキしながら乗ったタクシーの窓に映る自分の顔は、少しだけ大人びて見えた。
私の青春は、派手な出来事ではなく、誰かがつくってくれたあたたかい円の中で、少しずつ広がっていった。
そしてその中心には、いつも静かに笑うきーちくんがいる。私を外に連れ出してくれたのは、映画でも、パーティーでもなく、きーちくんが中心にいるチームなのだ。
きーちくんが大阪に住むことになった。
「いってらっしゃい会」が開かれた。
ケーキには大きく“いってらっしゃい”と書いてあった。
ろうそくを前に、彼は少し照れながら言った。
「弁明させてください。家族と大阪に住みますが、仕事は東京なので、たぶんかなり東京にいます。脚本とか企画の期間は大阪ですー」
みんなが笑って、「よかったー!最高ー!」と言った。
久しぶりの中目黒の夜。初めて1人で乗ったタクシーを思い出しながら、みんなと仲間になれて、わたしは幸せだなと思った。











