初めて育てたのはいつだろうか。
食べるところだけ包丁で切り、残りの根の部分をガラスの容器に立て、水を入れる。日の当たる窓際に、軽い気持ちで置いてみた。
数日であっという間に成長し、そのスピードに驚き、生命力に感銘を受けた。
それから何度となく、育てている。
食感や味が好きだということも勿論あるけれど、育てることが面白くて、ついついスーパーで手にとってしまう。
20代の頃は全く興味がなかった。スーパーに行っても、進んでカゴに入れることはなかったのに。いまでは育てたいがために買っている。
ある日。カーテンをめくってみると、干からびた彼らがそこには居た。
確か2日は放置してしまった。早朝から仕事に出るとその存在を忘れ、夜帰宅しても気が付かない。昼間ならカーテンに美しい影が現れるのに。カーテンの外と窓の間に置かれた彼らは、カラカラになってへなへなとみんなで頭を下げていた。
申し訳なくて、ごめんねごめんねと心の中で謝りながらキッチンに持っていき、容器を洗って、新しい水をたす。
水道の横に並べて様子をみる。
私がリモートミーティングを数時間している間に、彼らの頭の位置は半分ぐらい上がっていた。
翌日起きると、さらに頭はあがり、何事もなかったように、元気になっていた。
手をかけないとあっという間に気力をなくし、手をかけるとあっという間に元に戻る。
彼らを見ていると、ちゃんと自分の「戻り方」を知っているんだと思う。
しおれても、水をあげれば、また立ち上がる。太陽に当てれば更に逞しくなる。まるで「ここで大丈夫」と教えてくれているよう。
そう考えると、私たちも案外、そんなふうにできているのかもしれない。
少し疲れた日があっても、誰かの言葉や、ふいに見たエンタメや、美味しい食事や、湯船の温度や、ほんの小さなことで、また元の姿に戻っていける。ぐったりしてしまった自分にため息をつくより、「戻るための水」を探せばいいのだと思える。
窓際で揺れる彼らは、風が吹くたび細い身体を左右に動かし、抗わずに身を任せている。どんなに強く吹かれても全く折れそうな素振りをみせない。弱そうに見えて、実は物凄くたくましい。
私もこんなふうに、自分のペースで、何度もしなやかに立ち上がれたらいい。綺麗な水を与えるのも、日差しへ向けて身体を傾けるのも、全部自分で選んでいい。
今日も新しい芽が少し伸びていた。たったそれだけのことなのに、心がふっと明るくなる。
彼らを育てるのが好きなのは、きっと食べられるからだけじゃない。自分の中の小さな生命力を、そっと思い出させてくれるからなのだと思う。
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いつまで自分でせいいっぱい?

自分と向き合ったり向き合えなかったり、ここまで頑張って生きてきた。30歳を過ぎてだいぶ楽にはなったけど、いまだに自分との付き合い方に悩む日もある。なるべく自分に優しくと思い始めた、役者、独身、女、一人が好き、でも人も好きな、リアルな日常を綴る。










