12月3日(水)19時半より、上野千鶴子さん、鈴木涼美さん、伊藤比呂美さんによる、オンライントークを開催します。テーマは、「結婚すること、産むこと、育てること。そして老いること、ケアすること」。開催を前に、昨年6月のお三方のトークをまとめた電子書籍「限界から始まる、人生の紆余曲折について」より、一部を抜粋してお届けします。ここから1年半経った12月3日のトークもぜひご覧ください。

「売り物としての身体」が「生殖としての身体」に変わるとき
上野 おふたりに聞きたかったことがあります。かつて摂食障害を患った比呂美さんは、ある意味で性的身体を拒否していたわけですよね。一方、涼美さんは性的身体を濫用していた。そのおふたりがどうやって生殖する身体へと転換できたの?
伊藤 月経ですね。月経が面白いなって思い始めた。
上野 月経なら、私にだってあったわよ(笑)。
伊藤 月経を出している私たちは「穢れ」だと知ったんですよ。妊娠中に昔の子育てとか民俗学の本を読みまくるうちに、「月経=穢れ」を初めて知り、「あたし、汚いんだ!」と気づいた。そしたら、「産む性」としての自分がすごく面白くなった。
上野 こういう理由で生まれるのって、子どもにとっては迷惑じゃない?(笑)
伊藤 子どもには子どもの人生がありますから。やっぱり「あたし」ですよ。涼美さんも母親として何かしなくちゃと思わなくてもいいんじゃないでしょうか。
上野 ねえ、この欲の深さ。自分の都合で産んだのであって、子どもの都合は別ということね。
伊藤 そうそう。
鈴木 性的な身体を濫用していた時代、私は「生殖する身体」にはまったく意識が向いていませんでした。自分の身体は、お金や承認欲求という対価の得られる性的な商品という認識でした。子産みの道具になることは拒否したかったし、自分の好きなようにデザインするため避妊ピルを飲んでいた。30歳を過ぎた頃、その「売り物としての身体」という意識が薄らぎ始め、40歳になってほぼゼロになったときに「商品としての身体」から「生殖する身体」に変わった気がします。
とはいえ妊娠直前まで、私にとって自分の身体は楽しむためのものであり、自己実現の道具だったと思います。女性って若いうちから「将来子どもを産む身体なんだから、タバコをやめなさい」とか「冷やさないようにしなさい」と、赤の他人からも子産みの身体を大事にするよう言われて育つじゃないですか。
伊藤 本当に言われるの? そんなこと。
鈴木 言われますよ。私はタバコを吸っていたので、新聞記者時代など、取材先で喫煙所にいると、総務省の課長や都庁の職員、他社の記者に、「女の人は子どもを産むんだから吸わないほうがいいよ」とよく言われて、その度に「お前は吸ってるじゃないか」と腹を立てていました。
そんなふうに「産むためによい」とされることにことごとく抵抗してきてしまったので、妊娠したとき、強烈な罪悪感に苛まれました。「もしこの子に問題があったら、私のせいだ」という気持ちになったんです。喫煙を含め、私自身は満足して自分の身体を粗末に扱ってきたけれど、その皺寄せが誰かに向かうのではないか、と。今年は身体についてすごく考えたし、他人に自慢はできなくても自分としては輝かしいと思っていた私の青春が塗り替えられていくような気分でした。
上野 子どもという他者に責任を持たなければならなくなったら、「自己決定・自己責任」じゃ済まなくなったのね。
鈴木 はい。私は幼い頃、自分の身体は私のものであると同時に、母のものでもあるという感覚が強かったんです。その感覚を引き剝がしたくて、17歳ぐらいから「私の身体は私のものであり、母のものではない」と言わんばかりの行為を重ねてきた。私の身体が私1人のものなら、どんなに粗末に扱っても、その代償は自らが払えばいいと思っていましたが、子どもや血を分けた子どもの父親にボールが跳ね返ってくるのではないか、という不思議な気持ちになってしまって。婦人科健診の前日は恐怖で眠れないほどです。これは産むつもりで妊娠しなければ出会わなかった感覚だな、と感じています。
上野 伊藤さん、いまの涼美さんの発言を聞いて、どう思う?
伊藤 ごめんなさい、全然わかんない。
上野 本音かどうかは別にして、伊藤さんは「胎児はウンコだ」「出産は排泄だ」と言った人ですからね。
伊藤 涼美さんが言うような、自分の身体がお母さんのものだ、というような感覚は私にはまったくないんです。「誰のものか」という感覚自体がなかった。子どもは別の命、私とは違うものと思っていたから、今の話には驚きました。妊娠中、酒やタバコなど医者がするなということはしなかったけど、親の因果が子に報いる、といった感覚はありませんでしたね。
だからダメだったのかもしれません。子どもがいるのにいろんなことをしてしまい、いらぬ苦労をさせてしまった。でもみんなそれぞれ苦労しながらも、今は好き勝手に生きているから、いいんじゃないかなと思っていますが。こんな母親ですいません。
上野 涼美さんは、自分とは違う存在に対する責任を感じているんですね。比呂美さんだって、ずいぶん好き勝手やったけれど、ついに3人の子どもを捨てなかった。それは偉いと思う。親の運命に巻き込まれるのが子どもの宿命ですが、その運命に巻き込みながらも、我が子を最後まで手放さなかった。あなただって、相応の「責任」を感じていたんじゃないの。
伊藤 動物的な責任でしょうけどね。でも子どもって、いったん育てたら手放せないんですよ。最後まで行かなくちゃいけない。
上野 そうじゃない親もいますから。最後まで子どもを手放さなかったあんたは偉い、と私は思ってます。
伊藤 ありがとうございます。でもね、涼美さん、生まれたときから子どもは他人だからね。
鈴木 その感覚はあります。今も他人が私の身体を使っている感じなんですよ。だからいいベッドじゃなくて申し訳ない、と思う。産みたいのは私で、生まれたくて生まれてくるわけじゃないのに、って。
語りたがる産む女、産まない女の意外な役割
伊藤 ごめんね、これ涼美さんに対する攻撃じゃないのよ。でもこういうことをじっくり語りたがるのが、妊娠している女なんだよね。子どもができると女性はみんな、自分の心の変化について語りたがるの。それを周囲の人たちは聞かなくちゃいけない。それが産まない女と産む女の間の違いにも表れる気がする。涼美さん、今のこの経験を語りたくてしょうがないでしょう?
鈴木 それまで聞く側だったので、余計にそうですね。
伊藤 私の女友達は誰も子どもを作っていないし、結婚もしていないんですよ。かれらと付き合っていくための最大のノウハウは、「子どもの話はしない」ということでした。
鈴木 それはすごく賢いですね。
伊藤 自分の子の話をし始めたのは、子どもが思春期になってから。私の手には負えなくなってきて、そういうとき実に役に立つのが、近くにいる「おばさん」だったんです。「おばさん」のほうも、うちの娘たちが、すでに子どもではなく、ある意味で小さな女だから面白かったらしく、色々とかかわってくれるようになった。これが比呂美のやり口でしたね。
上野 私はまさに、そういう子どもたちと斜めの関係のおばさん役をやってきた。産んだ女たちからの子どもの逃げ場になってきました。
伊藤 おばさんたちって、ものすごくいいのよね。社会のことも母親のことも知っているから。
鈴木 子育てしてない女の人は、子どもにとってはすごくかっこよく見えますしね。私もこれまで、友人の子どもたちには「お姉ちゃん」と慕われてきました。おばさん役のほうが個人的には向いていたと思います。
私の友人たちには、自らに「我が子の話をしない」と課している親はおらず、子どもの話しかしなくなる時期を、私はずっと横で耐えてきました。Facebookが我が子の写真だらけになり、本人のアイコンさえ子どもの写真に変わったりするのを、ちょっとカルトっぽいな、とかなり冷笑的に見てきたので、自分が母親になったときどうなるのかという恐怖もありますね。
上野 出産後、涼美さんがどんな母子関係を作られるか、興味津々で見守っていきたいと思います。
【お知らせ】
12月3日(水)19時半~21時半、上野千鶴子さん、鈴木涼美さん、伊藤比呂美さんによるオンライントーク「結婚すること、産むこと、育てること。そして老いること、ケアすること」を開催します。
詳細・お申込みは、幻冬舎カルチャーのページをご覧ください。
往復書簡 限界から始まる

7月7日発売『往復書簡 限界から始まる』について
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