ヒリヒリとした言葉が突き刺さる、上野千鶴子さんと鈴木涼美さんによる『往復書簡 限界から始まる』が話題です。男女の非対称性がはびこる日本社会で女性が生きることに真正面から向き合う本書は、共感か、反発か、自分のなかで蓋をしていた感情が刺激されることは間違いありません。連載時から読んでいらした文筆家の三宅香帆さんは、単行本であらためて気づいたことがあるようです。
ふたりはずっと「弱さと向き合う」話をしていた
はじめてお手紙さしあげます。おふたりの『往復書簡 限界から始まる』について、さあ書評を書こうと思ったのですが、どうにも自分の個人的な話が多くなってしまうので、思い切ってお手紙の体をとりました(書評って、私はどこか作者への手紙のように思っているのですが)。
私はもともとおふたりの著作の読者だったので、「鈴木涼美と上野千鶴子の往復書簡連載がはじまる」という触れ込みをSNSで見たとき、急いで『小説幻冬』を買ったことを覚えています。読者としての予想をはるかに上回った、緊張感ある連載内容に驚き、思わず女友達に「今一番読むべき文章だから読んで!」などとLINEを送ったりしました。
それにしても、こうして単行本で読んではじめて感じました。ああ、おふたりはずっと「弱さとどう向き合うか」という話をしていたのか、と。
弱さとは、自分の弱さであり、他人の弱さであり、社会の弱さのことでもあります。
たとえば、こちらがいくら言葉を尽くして向き合おうとしても怖いじゃんと言って向き合わない男性たち。いつまで経っても、異性愛による結婚という枠組みしか共助コミュニティが存在しない社会。女性として頑張った先に何があるかわからない日々の仕事。日本で生きる女性にとって、絶望する理由はありすぎるくらいある、日常のさまざまなニュースや炎上騒ぎ。それらをシニカルに捉えず、どう向き合うのか。そして何より、ともすれば軽々とそれらに絶望し、仕方ないよと笑ってかわすことが強さだと思ってしまう自分自身を、発見し、認め、そしてどう受け入れるのか。
もっと強くなれ、強くなればきっと今の理不尽からも抜け出せる。そう教えられた私は、おふたりが弱さを言葉にすることを躊躇わなかったおかげで、気づいたことがたくさんあります。
個人的な思いになりますが、たとえば男性、あるいは親、あるいは自分より年上の人に対して、「ああ、この人は自分よりも弱い存在だったんだ」と知る時、私は言いようのない孤独を感じます。
この人は自分より弱くて、だから私はむしろそれを許す側にならなければいけないのか。――そう感じたとき、じゃあ今の自分の痛みはどこに行くのだろう、と胸がざらりと擦れます。私は私を幸せにできるし、お金だって稼ぐし、ずっとそうやって生きていきたい。そう思っても、じゃあ家族をつくりたい、子どもと出会ってみたいと願ったとき、どこまで自分が強くあらねばいけないのか、なんで自分が許す側に回らねばならないのか、と途方に暮れることがあります。
おふたりの書簡で「構造自体を疑うことと現実で傷つかないようにすることはどちらも大切」という言葉がありました。
私はそれこそ鈴木さんよりも一世代下の年齢に当たると思うのですが、頷きながら読みました。痴漢を許す人たちには声を上げていきたいですが、痴漢に遭わなくする対処法もまた現実的に大切です。
しかし一方で、その教えを、たとえば結婚なり出産なり仕事なり、自分の人生に落とし込もうとすると、なんて女性はやることが多いのだろうと、くらくらと軽く眩暈を覚えるのも本当です。自分より弱い男性を片目に、自分がどれだけ強くなきゃいけないのだろう、と。
出産で死にそうに痛い目に合うのは嫌だし、夫婦ともに働いた先には家事労働による疲労が目に見えているし、そもそも家族という枠組みがどうやったら親と子の関係をいまより良好にできるのか、よくわからない。だけど、構造はどうあれ、現実的にまず女性が大変な思いをしやすいのだから、家族をつくりたいのならきちんと考えて動かなくてはいけない。
でも、そういうことを同世代の女性はみんな想像しているけれど、男性たちが想像しているとは思えない。ただ、結婚して自由を奪われるのは怖いなと思うくらいでしょう。
結婚するなら女性が先回りして考えないとだめだよ、と女性の先輩方はよく言います。でも、そういったことに向き合って考えなければいけないのが女性であることは、私たちが強くなった証拠なのでしょうが、一方で、もっと呑気に暮らせる弱さを私たちだって持っていたかった、と泣きそうになります。
放蕩息子、という言葉がありますが、私だって、できることなら放蕩娘になりたかった。現実は呑気にしてりゃ搾取されるだけなので、ちゃんと考えて動こう、ちゃんと幸せになれる道を先回りして考えなきゃ、と同級生の女の子たちとは励まし合うほかないのですが。
『限界から始まる』で議論されていたような、いろんなものに絶望せず、弱さも含めて向き合う姿勢は、美しく、眩しく、同時に「こんなふうに考えているのは女性だけではないのか」という、言いようのない孤独も感じたのでした。
もっと女性が弱くあっても――不真面目でも、呑気でも、幸福に生きていける社会が来たらいいのにとは思うのですが、それはそれで、誰かにまた強さを肩代わりしてもらうことに繋がるのかもしれません。誰も搾取しない社会をつくることは難しく、国がそもそも貧しくなっている時代は余計に。
それでも、性別や年齢にかかわらず、自分が強くあろうと、競争して肩肘張っていないとやっていけない社会は息苦しい。目の前の競争に勝ったつもりになることは、それこそ上野さんがおっしゃる「日銭を稼ぐ」ようなことであって、本当はその競争を作り出している構造にアプローチしない限り、何も変わることはないのだと思います。『限界から始まる』が最後、構造の話で終わったことが、これまでになく胸に響きました。
幸せになりたいと叫ぶ私たちの世代が、ではどういう家庭を作ればまだマシな親子関係を子に渡すことができるのか、男性たちがどうすれば怖がらずに自分自身のエゴイズムと向き合ってくれるのか、どういう政治の向き合い方であればもっと違う世界を次世代に残せるのか。大人になって仕事を得ると、自分だけが幸せになるのは簡単ですが、異性や家族や社会と向き合うことは、頭を抱えたいくらい難しいことですね。
でも『限界から始まる』を読むと、それをさぼらなかった先輩たちがいるのだと、励まされます。本当に。この書評を書き終わったら、もう一度、「この本読んで!」と薦めるLINEを送ろうと思っています。私たちの世界は捨てたものではないのだと、友人たちへ伝えるために。
上野千鶴子×鈴木涼美×伊藤比呂美オンライントーク
「限界から始まる、人生の紆余曲折について」
2024年6月26日(水)19時半~21時半
4週間視聴可能なアーカイブ付き
詳細・お申込みは幻冬舎大学のページをご覧ください。
往復書簡 限界から始まる
7月7日発売『往復書簡 限界から始まる』について
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