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 国内だろうが海外だろうが、旅というものにあまり計画を立てたがらない、毎日行き当たりばったりをよしとする相棒とのハノイ旅。
 音楽好きの彼女の義妹から「土産に銅鑼(どら)を買ってきてほしい」という指令がきて、さてどうするとなった続きである。

 

 本来、銅鑼とは仏教儀式などで鳴らす青銅製の、円盤型をした打楽器である。旧市街の土産物屋通りに、本格的な民族楽器と骨董を扱う店がいくつかあり、たしかにひとかかえもあるちゃぶ台のような大きさのものを見かけた。「誰が買うのだろう」と不思議に思っていた。
 友達は「本格的でなくて、土産物屋にある小さいおもちゃみたいなのでいい」とのこと。いわばミニ銅鑼だ。
「そんなおもちゃみたいなの、売ってるとこあったっけ」
「絶対あった。きのう通りがかったとき、あ、銅鑼だって思ったもん」
 彼女は義妹以上に音楽好きだ。
 同じ道を歩いていても、人によって目に映るものは違うものなのだ。

 それを買うために旧市街に再度出かけ、彼女の記憶だけを頼りに歩き、想像よりは迷わず、なんとかたどり着けた。
 見過ごしそうな間口の小さな店で、無愛想な女主人がひとり。
 ほかにもカリンバという金属棒を指で弾くアフリカの楽器や小さな竹琴、木製のカスタネットのようなもの、どうやって鳴らすかわからないボール型の楽器などが並んでいる。

 民族楽器に一切興味がなかったはずの私は、彼女が銅鑼を買い終えてもまだ楽しくてあれこれ試していた。おりんのような椀型の楽器など、あまりの澄んだ音色に癒やされ、気がついたら、真剣に悩んでいた。
 いや待て。蒸し暑いベトナムで飲むヨーグルトコーヒーを日本で作ったとしても、きっとそれほど感動しないだろうことと似ている。私のふだんの二四時間のいつ、おりんの音を心ゆくまで楽しむ瞬間があるというのだ。
 あっというまにオブジェと化すことが想像でき、すんでのところで思いとどまった。

 眉間にシワを寄せ握りしめていたそれを、そっと棚に返すと女店主がチッという顔をした。
 彼女には申し訳なかったが、土産物も、ミニ銅鑼のように思いついたものを買うほうが、変わった出会いを楽しめることだけはわかった。

 さてハノイ最大の楽しみは、朝ごはんである。
 以前、道端でたまたま見かけて買い求め、虜になった「ソイセオ」というフィンガーフードがある。ベトナムの国民食と言われているもののひとつだが、私もかなうなら一生朝食はこれでいい。

 にぎりこぶし大のもち米のおこわで、バナナの葉に包まれている。ピーナッツ、豚肉を乾燥させたもの、鶏肉、フライドオニオン、揚げエシャロット、緑豆ペースト、様々なトッピングがどさっとのっている。
 カリカリともっちり、多様な食感を楽しめて、ずしりと重く食べごたえがある。
 ハノイ発祥の伝統食だが、ベトナムの朝ごはんというと、サンドイッチのバインミーやフォーが日本では一般的で、こちらはあまり知られていない。

 ソイセオの存在を知ったのは、偶然だった。
 三年前。二回目の訪越だった。
 夜にハノイに着いた興奮か、早朝目覚めた。ひとりでホテルの近所を散歩したとき、大通りの脇になにやら人が集まっている。
 自転車で何かを売っている五〇代くらいの女性と娘らしき人のふたり。よく見ると、ひっきりなしに通勤姿の地元の人が立ち止まっては買い、一、二分で立ち去る。バイク通勤の人も路肩で止まり、乗ったままお金を渡して、手渡されるのを待っている。

 なんだかよくわからないが、人の数はおいしいの証。とりあえずひとつ買ってみよう。
 二万ドン、一二〇円だった。
 地べたに、もち米の入った大きなザルを広げ、女性は小さな椅子に座って手早く盛ったり包んだり。娘は会計係だ。

 ザルの中は二層になっていてプレーン味とウコンで色付けした黄色のおこわがある。客は指をさし、好みを伝える。仕切りは大きなバナナの葉である。
 ザルの脇に、ビニール袋に入ったサクサクの揚げエシャロットやフライドオニオンが置かれ、手づかみでぱぱっとトッピングしていく。最後に醤油や酢らしきドレッシングをちゅっと注入。
 緑豆ペーストは、マッシュポテト状にしたほの甘い味で、おこわの隠れた脇役だ。香ばしさ、ほの甘さ、塩気、干し肉のコク。複雑な旨味が合体してまことに味わい深い。

 別のブロックでは、また違う人がザルを広げている。自転車はザルの運搬も兼ねている。
 このローカルフードは、作り手ごとに味が微妙に異なる。店を出す場所はだいたい決まっているので、ホテルの従業員に「あなたがふだん食べるのはどこのブロックのどの人か」きくのが間違いない。
 私が偶然買った親子らしきふたりは、あとから聞くと、泊まったホテルの清掃スタッフのイチオシだった。
 地のものは地の人に聞くのがいちばんである。店名のない露天商は、地図には載らない。

 ところが初めて買った翌朝、二万ドンを握りしめ勇んでいくと、跡形もなく消えていた。
 ソイセオの多くが早朝のみの商売なのであった。

 今回の旅ではまた別の、宿の最寄りのソイセオ屋さんを探した。
 にこにこと笑顔がチャーミングなおばさんのお店をみつけ、早速購入。
 恋しかったソイセオ。夢にまで見たそれは、想像の何倍もおいしかった。甘じょっぱい具と、ほかほかのおこわの相性は抜群で、口中で旨味が重なり合う。ホテルに持ち帰って食べることもあれば、湖畔のベンチで楽しむことも。

 毎朝その店に通った。いつも人の輪ができていて、中心におばさんがいた。みるみるザルのおこわの山は減っていき、8時過ぎには、きれいさっぱり自転車ごと姿が消える。
 そこに人だかりがあったのが信じられないほど、バイクや車がビュンビュン通るただの車道になる。
 ホテルで朝食を食べる観光客はきっと知らない、早朝勤務限定の商売を興味深く思う。

 前回の旅でもそうだったが、ハノイでいちばんおいしかったのはこの一二〇円の朝食で、最後は「ああ、またきたね」というように、いつにもましてとびきりの笑顔だったおばさんのことが忘れられず、友達が撮ってくれた買い物風景をインスタグラムに載せた。
 ある日、どこの誰かどの場所かもわからないたった一枚のそれに、コメントがついた。
<このおばちゃんのソイ美味しいんですよね!! 懐かしい顔見れて嬉しい~>
 ハノイに駐在していたという女性からの書き込みだった。

 地図には載らないあの街角のソイセオは、海を超えた地でも人気だった。たぶんもう二度と出会えない味。そう思えば思うほど食べたくなる。

持ち込みできるカフェも多い。ほんのりしょっぱいソルトコーヒーと
日本にもファンがいた露天商
カリカリの揚げエシャロットをたっぷりのせる
コピー用紙(大学のテキストだった)とバナナの葉が1枚ずつセットされている。おこわを炊いて、生の葉を用意して。いったい何時に起きるのだろう

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ある日、逗子へアジフライを食べに ~おとなのこたび~

早朝の喫茶店や、思い立って日帰りで出かけた海のまち、器を求めて少し遠くまで足を延ばした日曜日。「いつも」のちょっと外に出かけることは、人生を豊かにしてくれる。そんな記憶を綴った珠玉の旅エッセイ。

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大平一枝

文筆家。長野県生まれ。大量生産、大量消費の社会からこぼれ落ちるもの・こと・価値観をテーマに各誌紙に執筆。著書に「東京の台所」シリーズや『人生フルーツサンド』『こんなふうに、暮らしと人を書いてきた』『そこに定食屋があるかぎり』など。「東京の台所2」(朝日新聞デジタル&w)、「自分の味の見つけかた」(ウェブ平凡)、「遠回りの読書」(サンデー毎日)など各種媒体での連載多数。

HP:https://kurashi-no-gara.com/

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