長期ロケ後もプロデュースする学生映画の撮影が名古屋であった為、長い留守。うちの小さなグリーンちゃんたちが心配だった。秋だし、大きな子たちは大丈夫だけれど、すぐにカラカラになってしまう小さな子たちは1週間も耐えられないだろうと、友人にヘルプを求める。小さい3人を預かってもらうことにした。
夏にうちに来てくれた子が特にすぐに乾燥してしまう旨を友人に話すと、土の面積が広がれば、乾燥しにくく、水やり頻度も少なくてよくなるそう。余ってる鉢植えでよければ植え替えておくよと言ってくれたので、有り難く、お願いすることにした。
1ヶ月ぶりにお迎えに行くと、みんな生き生きとした綺麗な緑。つやつやで、快適に過ごせていたんだなぁと有り難かった。
夏にうちに来てくれた子は、少し大きな鉢に植え替えてもらって、新たな葉がたくさん。1ヶ月で今まで見たことのないスピードと力強さで、びっくりする成長を遂げていた。
その生命力に感動と共に、あぁ、私はこの子の成長を止めてしまっていたんだなぁと申し訳なくなった。
友人に話したことで、この子の世界を広げてもらった。私には見えていない部分、気遣えていなかった部分、知識が足りなかった部分と、色々とあるけれど、ふとした会話から、知らない世界、新しい世界が広がるんだなぁとしみじみ。
お迎えに行ったとき、成長している姿を見て、とても嬉しかった。成長って嬉しいんだ。
嬉しいと言えば、暫くホテル生活だったからか、家の仕事が出来る嬉しさを感じている。
洗濯して乾燥と干すものを分けたり、掃除機をかけたり、いたるところを拭いたり。家の仕事って、とても多い。見て見ぬふりをすれば、少なくなるけれど、今の私は、敢えて家事を徹底することにハマっている。
ほぼ1ヶ月留守にしていた為、郵便ポストにチラシが沢山入っていた。いつも思うのだけれど、引っ越すたびに必ずポストの近くに、チラシを捨てる用のゴミ箱が設置されている。みんなその場で処分したいのだろう。勿論、私もだいたいいつも、そのゴミ箱に捨てさせてもらいつつ、勿体無いなぁと思っていた。
何故か、今回は部屋に持ち帰った。ふと、祖母が昔、落花生の殻入れをチラシで作っていたなぁと思い出したのだ。YouTubeで調べると、思い出のチラシゴミ箱がすぐに見つかった。真似して折ってみた。少し手間がかかったけれど、完成したら、なんだか懐かしくて、嬉しくなった。
キッチンで簡単なゴミ箱にしてみた。形的に浅くて、剥いた野菜の皮などを入れるには、なんとなく不向きだった。
別のYouTubeを探して、もっと深いゴミ箱を作ってみた。これが良い感じ。チラシの大きさによって出来上がりのサイズも変わってくる。洗面台下の細々したものを仕切ったり、ちょっとした物入れにもなった。
本来私は生活感が出るのが苦手だけれど、扉の中なら許容範囲なのと、「懐かしい」があるから、逆に目に入るたび、ニンマリする。
今までは、すぐに捨ててしまっていたチラシが、今ではポストに入っていると、「嬉しい」と思うようになった。
あまり目を通していなかったチラシも、色味を選別する為に折る前にしっかりチェックする。
近所にこんな教室があるだとか、必要もないのにこの駐車場安いなぁとか、新規オープンのお店を知ったりとか。あとマンション購入のチラシがだいたい毎回入っている。私は間取り図を見るのが大好きなのだ。
なんだか、家の周りのことも知れて、生活しているって気分だ。
お料理用、洗面所でコンタクトとかを捨てる用、デスクの上の消しゴムカスを捨てる用、、あらゆるところに、毎日のように設置する。
そのまま、捨てられる良さ。結局、捨てるのだけれど、今までの「捨てる」とは、大違い。活用している。
チラシを配った人の気持ちにも、少しは応えられているのではないかと思うと、いい気分だ。
外を知る、考え方をチェンジしてみる、新しいを受け入れる。いろんなことが、「嬉しい」につなげられると、毎日は豊かになるのかもしれない。
いつまで自分でせいいっぱい?の記事をもっと読む
いつまで自分でせいいっぱい?

自分と向き合ったり向き合えなかったり、ここまで頑張って生きてきた。30歳を過ぎてだいぶ楽にはなったけど、いまだに自分との付き合い方に悩む日もある。なるべく自分に優しくと思い始めた、役者、独身、女、一人が好き、でも人も好きな、リアルな日常を綴る。










