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本屋の時間

2025.10.15 公開 ポスト

第181回

あゝ、名古屋辻山良雄

8月19日。名古屋の気温は、東京よりも2度高い37℃。2度しか違わないのではなく、2度も違うのだと、電車を降りた瞬間に思い知らされ、日傘を差して駅の外に出た。

 

金山駅は、愛知県では名古屋駅に次ぐターミナル駅だが、名古屋にいた数年のあいだ、降りたのは数えるほど。歩きはじめてしばらくすると、途端に商業地らしさはなくなり、ビルが立ち並ぶ大津通とぶつかる。この先ほんとうに本屋があるのだろうかと不安になるが、マンション、病院、郵便局と進んだ先に、時代から置き忘れられたような古くて短い商店街が現れ、ああ、ここだと、周りの空気から納得がいった。

古賀詩穂子さんは、TOUTEN BOOKSTOREを開業する前、Titleに立ち寄ってくれたことがあり、機会があれば一度店に伺いたいと思っていた。複数の人から、店が似ていると言われたこともある。二階建ての古民家のなかに、一階は本屋とカフェ、二階がギャラリーという構造は同じだから、確かに自分の店にいるような気にもなる。しかし〈棚〉はこの店独自のもので、この場所で何がやりたいのか、並べた本から彼女の強い思いが伝わってきた。

戦後80年ということもあり、店の二階では「熱田空襲」の資料を展示していた。この空襲では、店からさほど離れていない場所が標的にされ、二千人を超す死者が出たそうだ。展示されていた焼夷弾は重さが約2.7キロあり、これが当たったら確実に死ぬと思った。

古賀さんに「駅から離れた場所に、こんな商店街が残っていると思いませんでした」と話したところ、かつて大津通には路面電車が走っていて、商店街の入口付近にも電停があったと教えてくれた。先ほど通ってきたマンションは車庫の跡地だという。なるほどと思ったが、これも、かつて中島飛行機という軍需産業で栄えた工場が近くにあり、その名残りの商店街が残っているTitleの周辺と同じだろう。

その間も、この暑いなか常連のかたが何人もやって来て、それぞれ古賀さんと話をしては帰っていく。お客さんたちにとってこの店は、かけがえのない場所になっているのだ。はるばる遠くまでやってきて知ることといえば、結局のところそうしたいとなみに尽きる。

TOUTEN BOOKSTOREを出たあと、古賀さんおすすめの「ブラジルコーヒー」(この店、最高でした)に行き、夜はNagoya BOOK CENTERのイベントに登壇して、その打ち上げで、名古屋駅西地区の中華料理店・平和園に行った。

「駅西」は「駅裏」と呼ばれることもあるが、名古屋駅の新幹線が到着するホーム側にあって、実はとても便が良い。高層ビルと高級ブランドの店が幅を利かせる東側に比べれば、駅西は安い居酒屋や名画座も健在で、遊郭や闇市の名残りも感じさせる人間臭い街だ。だがこの場所にリニアの駅が来ることになっており、街のいたるところには、工事中のフェンスが立てられていた。

平和園での打ち上げは、Nagoya BOOK CENTERの堀江浩彰さんと藤坂康司さん、ON READINGの黒田義隆さん・杏子さん夫妻、偶然にも名古屋に来ていたBOOKSHOP LOVERの和氣正幸さんなどが同席し、和やかな会となった。餃子、かに玉、海老の天ぷらなど、出されるものすべてにコクがあり、すいすいとビールがすすむ。嗚呼、とてもしあわせだ……。そして気がつけば、青のコックコートを着た茶髪の男性が、テーブルの端にあたりまえのように真顔で座っているので、思わずビールを吹き出しそうになった。

小坂井大輔さんは『平和園に帰ろうよ』『KOZAKAIZM』などの歌集がある歌人で、実家の中華料理店「平和園」の2代目。そのこともあり、平和園が「短歌の聖地」と呼ばれていることは知っていたが、小坂井さんが少しやんちゃで、そこにいると見ずにはいられない、色気のあるかただと知って驚いた。彼はしばらく我々の話に加わっていたが、そのうち厨房が忙しくなってきたのか、やって来たスタッフの「お前何してる」という鋭い視線を機に、また厨房まで戻っていった。

我々が話しているあいだも、小坂井さんは中華鍋を振っていたのだろう。「炒飯です」と言って彼が差し出した炒飯は、やわらかいご飯つぶのなかに香りと旨みが凝縮されており、これぞ炒飯という炒飯だった。こんなにも人の胃袋を掴むものをつくる人は、どのような歌を詠むのだろう――帰ったらすぐに歌集を読もうと心に誓った。

翌日は静岡に行くことにしていたので、朝早く名古屋を発ったが、時間があったので少し回り道をして、平和園のある通りを見に行った。この通りも再開発がすさまじく、平和園の両隣も建物は何も残っておらず、平和園は広い海に残された小島のように見えた。いま小坂井さんは、この海の中で眠っているのだろう。その店の姿はまるで、意志を持って立っている、最後の人間のようだった。

 

 マンションのエントランスにキャバ嬢の名刺散らばる美しい朝

 朝靄の建築現場にこだまする「馬鹿かてめぇ!」の声の目覚まし

 ソープランド「末広」までの行き方を教えてようやく町の一部に

 集団から離されていく青学のランナーの白い息の揺らめき

 町中華屋の長男として舞い降りたばかりにすべての床のぬるぬる

小坂井大輔『KOZAKAIZM

今回のおすすめ本

『変わり者たちの秘密基地 国立民族博物館』樫永真佐夫=監修 ミンパクチャン=著 CEメディアハウス

「みんぱく」は一日にして成らず。その成り立ちや哲学を、「秘密基地」に集う研究者たちから紐解いた、みんぱく愛溢れる一冊。

◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます

連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBSHOPでもどうぞ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

辻山良雄さんの著書『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』のために、写真家・齋藤陽道さんが三日間にわたり撮り下ろした“荻窪写真”。本書に掲載しきれなかった未収録作品510枚が今回、待望の写真集になりました。

 


◯2025年10月10日(金)~ 2025年11月3日(月) Title2階ギャラリー

三好愛個展「もっと ゆめがきました」

昨年の秋、ミシマ社より刊行された、三好愛さんの『ゆめがきました』。「かぜにのって とんでいく ゆめ」「よぞらで ゼリーをたべる ゆめ」など、寝ている人のところへ、ゆめのほうからやってくるという、ふしぎで愛らしい絵本です。この度の個展ではあたらしい「ゆめ」が十数点、Titleのギャラリーまでやってきます。「おおきなねこをはこぶ ゆめ」「みんなひとりでほしをみる ゆめ」など、三好さんのゆめの続きをご覧ください。

 

【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】

スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。

『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』

著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト

 

◯【寄稿】

店は残っていた 辻山良雄 
webちくま「本は本屋にある リレーエッセイ」(2025年6月6日更新)

 

◯【お知らせ】New!!

心に熾火をともし続ける|〈わたし〉になるための読書(7)
「MySCUE(マイスキュー)」 辻山良雄

あらゆる環境が激しく、しかもよくない方向に変化しているように感じる世界の中で、本、そして文学の力を感じさせる2冊を、今回はご紹介します。

 

NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて本を紹介しています。

偶数月の第四土曜日、23時8分頃から約2時間、店主・辻山が出演しています。コーナータイトルは「本の国から」。ミニコーナーが二つとおすすめ新刊4冊。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。

関連書籍

辻山良雄『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』

まともに思えることだけやればいい。 荻窪の書店店主が考えた、よく働き、よく生きること。 「一冊ずつ手がかけられた書棚には光が宿る。 それは本に託した、われわれ自身の小さな声だ――」 本を媒介とし、私たちがよりよい世界に向かうには、その可能性とは。 効率、拡大、利便性……いまだ高速回転し続ける世界へ響く抵抗宣言エッセイ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

新刊書店Titleのある東京荻窪。「ある日のTitleまわりをイメージしながら撮影していただくといいかもしれません」。店主辻山のひと言から『小さな声、光る棚』のために撮影された510枚。齋藤陽道が見た街の息づかい、光、時間のすべてが体感できる電子写真集。

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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。

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辻山良雄

Title店主。神戸生まれ。書店勤務ののち独立し、2016年1月荻窪に本屋とカフェとギャラリーの店 「Title」を開く。書評やブックセレクションの仕事も行う。著作に『本屋、はじめました』(苦楽堂・ちくま文庫)、『365日のほん』(河出書房新社)、『小さな声、光る棚』(幻冬舎)、画家のnakabanとの共著に『ことばの生まれる景色』(ナナロク社)がある。

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