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礼はいらないよ

2025.10.02 公開 ポスト

週3回、1回4時間の人工透析治療が始まった“48歳ラッパー”のライフスタイルの変化ダースレイダー(ラッパー・トラックメイカー)

一旦治療を始めたら

9月からインドア派になった。これは人工透析治療を受けることを僕なりに言い換えた言葉だ。週3回、一回4時間の治療を受ける以上、生活は今よりインドアになる。これまでのアウトドア期間(別に海や山にそんなに行ってないが)とはお別れだ。

 

8月、僕の体調は極限だった。腎臓の数値はかなり悪化していたが担当の医師は僕の意志を尊重してくれる人だったので僕が大丈夫だと言ってるうちは様子を見てくれていた。これまでウォーキングを続けたり食べ物を制限したりしてなんとか踏ん張っていたのだが限界に来た。毎朝気持ち悪く、ゲーゲー吐かなければ1日は始まらない。

それでも食べなくなったらいよいよ終わりだと思い、吐いた後に無理やりご飯を食べていた。そこから身体を動かしていくと少し落ち着くのだが、口の中にはずっと苦味とも酸味とも言える嫌な感触がずっと続き、ゲップやしゃっくりも止まらない。寝る時は休むと言うより身体全体がずっしりと重くベッドに沈み、そして数時間おきに足が攣って起きてしまう。そして、朝が来たらまた吐き気が襲ってくる。この繰り返しには流石に白旗を上げざるを得なかった。今振り返るとそれでも8月はイベントやライブをかなりこなしていたのには驚く。まあライブなどでアドレナリンが出るとしばらくは体調が落ち着いたように錯覚は出来るので乗り切れたのだろう。ただ、これが今後ずっと続くのは無理だと判断し、8月の月例検査で透析導入をお願いした。

人工透析は腎機能が低下した人が受けられる治療で大まかに2種類ある。腎臓はそもそも血液の老廃物を濾過して除去する機能を持っている。腎不全では老廃物の濾過が出来ず、尿毒症などの症状を引き起こし、悪化すれば死に至る。透析はこの腎機能を代替する。血液透析は血液を外部に送り、ダイアライザーという人工腎臓で浄化してから戻る治療だ。週3回受ける必要がある。

もう一つは腹膜透析だ。お腹の中にある腹膜を透析膜として利用する。透析液を自分で入れ替える方法と寝てる間に機械に任せる方法がある。これは在宅でできる療法で、透析液は毎日1時間くらいかけて交換する。それぞれの説明を受けて、どちらの方法が良いか決めるのだが僕はすでに脳梗塞をやっているため、全身麻酔にはリスクがある。腹膜透析の準備の手術は全身麻酔が必須だ。医師は現在の数値的にも腹膜透析は推奨できないと言われたので、まずは血液透析の導入を決定した。体調が回復してからの腹膜透析への移行は可能だという。ただ、透析を導入したら、腎移植を受けない限りは一生涯治療は続く。ポイントオブノーリターンだ。

堀川惠子さんの『透析を止めた日』が話題だ。堀川さんのパートナーの方は血液透析を受けているのだが、透析患者の終末期の緩和ケアが存在しないという問題に突き当たってしまう。本の中では終末期に腹膜透析に移行する事例も紹介されているのだが、僕の未来をもっともハードな形で予言されたように思えた。この本を読んだ方々から血液透析はやめた方が良いというアドバイスをDMやYouTubeのコメントなどでたくさんいただいたのだが、先述のように僕はまずは血液透析から始める決断をしている。昔はわからないが、今は医師も取り得る選択肢は透析を導入しないことも含めてすべて提示して説明もしてくれている。その上で自分で判断した。

透析導入の入院の前に受け入れ先のクリニックをいくつか見学させてもらった。ほとんどの施設は透析を受ける時間が固定で決まっている。午前10時スタートが基本だ。夕方、夜間透析を受け入れているクリニックは都内だと30カ所ないくらい。夕方や夜間が可能なクリニックでも時間は固定のところが多い。限られたベッド数を患者に割り当てる以上は仕方ないことでもある。透析を受けるスケジュールは月水金か火木土で、月水金を選択している人の方が多い。僕はフリーランスで仕事はほぼ不定期だ。夜のライブやトークイベントもあるが昼間のレコーディングや打ち合わせやインタビューもある。アウトドア期には長期のライブツアーにも出ていたが、これは諦めるしかなさそうだ。それでも今まで築いてきたライフスタイルを変えるのはなかなかの苦痛だ。治療を受けるのは生きるためだが、それでは何のために生きるのか? 生命を存えることと尊厳の問題は人生の最も重要なテーマだ。

実はそんな僕のライフスタイルとも合致するクリニックがあった。友人の紹介で尋ねたのだが、僕の仕事やスケジュールを理解してくれて調整してくれるスタンスのところだ。そしていざ透析を受けてみれば、今までの気持ち悪さからは一気に解放された。週3、一回4時間の治療はニュース記事を読み、そのあとは溜めてあった積読を消化することで過ごすことが出来そうだ。左腕に作ったシャント(動脈と静脈を結んで血管を太くしたもの)に2本の長く、太い針を刺し、そこから血が流れ出て人工腎臓を伝わっていくのを眺める。僕のインドア派生活が始まった。これからは鍵穴から世界を覗くぞ!

(写真:Unsplash/paweldotio)

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ヒップホップは逆転現象だ。病、貧困、劣等感……。パワーの絶対値だけを力に変える! 自らも脳梗塞、余命5年の宣告をヒップホップによって救われた、博学の現役ラッパーが鮮やかに紐解く、その哲学、使い道。/構造の外に出ろ! それしか選択肢がないと思うから構造が続く。 ならば別の選択肢を思い付け。 「言葉を演奏する」という途方もない選択肢に気付いたヒップホップは「外の選択肢」を示し続ける。 まさに社会のハッキング。 現役ラッパーがアジテートする! ――宮台真司(社会学者) / 混乱こそ当たり前の世の中で「お前は誰だ?」に答えるために"新しい動き"を身につける。 ――植本一子(写真家) / あるものを使い倒せ。 楽器がないなら武器を取れ。進歩と踊る足を止めない為に。 イズムの<差異>より、同じ世界の<裏表>を繋ぐリズムを感じろ。 ――荘子it (Dos Monos) / この本を読み、全ては表裏一体だと気付いた私は向かう"確かな未知へ"。 ――なみちえ(ラッパー) / ヒップホップの教科書はいっぱいある。 でもヒップホップ精神(スピリット)の教科書はこの一冊でいい。 ――都築響一(編集者)

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礼はいらないよ

You are welcome.礼はいらないよ。この寛容さこそ、今求められる精神だ。パリ生まれ、東大中退、脳梗塞の合併症で失明。眼帯のラッパー、ダースレイダーが思考し、試行する、分断を超える作法。

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ダースレイダー ラッパー・トラックメイカー

1977年4⽉11⽇パリで⽣まれ、幼少期をロンドンで過ごす。東京⼤学に⼊学するも、浪⼈の時期に⽬覚めたラップ活動に傾倒し中退。2000年にMICADELICのメンバーとして本格デビューを果たし、注⽬を集める。⾃⾝のMCバトルの⼤会主催や講演の他に、⽇本のヒップホップでは初となるアーティスト主導のインディーズ・レーベルDa.Me.Recordsの設⽴など、若⼿ラッパーの育成にも尽⼒する。2010年6⽉、イベントのMCの間に脳梗塞で倒れ、さらに合併症で左⽬を失明するも、その後は眼帯をトレードマークに復帰。現在はThe Bassonsのボーカルの他、司会業や執筆業と様々な分野で活躍。著書に『『ダースレイダー自伝NO拘束』がある。

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