
予定を立てるのがともに大の苦手な友達と、京都ふたり旅二泊目。ここだけは唯一、事前に予約していったサントリー山崎蒸溜所見学ツアーへ、意気揚々と向かう。
京都駅からJRで一五分の地に、蒸留所の最寄りの山崎駅がある。そう、ウイスキーの名の由来でもある地名だ。
各駅停車でわずか五駅にもかかわらず、この車窓がまた格別だ。乗ってひと心地つくとすぐ、緑のトンネルが広がり始める。都市の喧騒からどんどん離れ、まるで山の呼吸に吸い込まれていくよう。木々の枝葉が線路を両側から覆い、時折差し込む陽光が合間にきらきら光っている。
私たちは子どものように、山裾をかすめて走る車両の先頭に乗り、運転席から見える線路の向こうを、ワクワクしながら見つめた。無邪気に歓声をあげんばかりの中年女ふたりが目指すのは、酒というところが、あれだけれども。
「そりゃあ蒸溜所を造るようなところは水がきれいじゃなきゃだめだし、緑の中に決まってるよね」
「深呼吸したくなるね。ウイスキーの香りを嗅いだらもっとそうなるよね」
会話はそれほど無邪気ではない。
意外にも山崎駅は、こじんまりとした静かな佇まいで、人影もまばらだった。
蒸留所まで徒歩一〇分を、のんびり二〇分ほどかけて歩く。かつては西国(さいこく)街道の山崎宿として栄えたそうだが、今はひっそりとした古い町並みが続く住宅地だ。神社や元農家とおぼしき広い屋敷があり、古道具を並べる民家風の店を覗くなどしながら歩く。
いつも思うことだが、旅はゆっくりした徒歩くらいのスピードで見聞きしたものが、案外いちばん記憶に長く残る。
遠くに見える赤レンガや空の色、匂い、会話、曲がり角の先に見つけた石碑。駅からシャトルバスがあったけれど、予定なき旅は急ぐ必要がないので歩いた。おかげで、今でも蒸留所までの道すがらののどかな光景は、山崎蒸溜所の思い出と必ずセットで脳裏に浮かんでくる。
蒸溜所は、重厚な石造りに赤レンガの壁で、古いながらもモダンなデザインだった。天王山に抱かれるようにウイスキー館や、製造エリアの建物が点在し、どこか神秘的な雰囲気もある。とうとうウイスキーの聖地にたどり着いたぞという期待が、そう思わせるのか。あるいは山々の清涼がもたらすのか。
私たちはウイスキー館を見学後、テイスティングラウンジ(有料)をじっくり堪能した。それとは別に有料のウイスキー製造工程を見学できるツアーもあったが、予約作業に慣れていないために、うっかり見落としていた。現場で、工場コース入口に並ぶ人達を見て少々悔いたが、アイコンタクトで“早くテイスティングエリアに行きたいからまあいいか”と、早々に納得しあった。
ウイスキーの山崎が英国ウイスキー専門誌で世界一に選ばれ、ヴィンテージものが一本百万円で即日完売というニュースは流れていたものの、八年前の夏は、まだ蒸留所にはのんびりした観光客のムードが流れていたように思う。
この旅の直後から、あちこちの飲食店で山崎が消えた、響も危ないと聞くようになった。ネットではプレミア価格で転売され、行きつけのバーでも「ごめんなさい」と値上げを告げられた。
私たちが行った頃はぎりぎり、テイスティングラウンジではまだリーズナブルな金額で、山崎や響の長期熟成ものを試飲できた。
好きな銘柄をひとり三杯まで、ストレートで注文できる。一杯の量はハーフショットで、たとえば「山崎12年シェリー樽と、山崎18年と、響17年」というように、ふだんとても勇気がなく飲めないようなものを、三つも味わえるのは至福であった。
落ち着いた立ち飲みカウンターと、開放的なテラスにはテーブル席がある。
青い空の下で、あんな夢のようなセットを、甘くふくよかな香りにひたりながら味わえた京の昼は、一生忘れないだろう。
飲んだ話ばかりつい長くなってしまったが、日本最古のウイスキー蒸留所であるこの地で、ほぼどの展示室でもひと組ふた組しかいない状態で、多彩な映像やパネルを使った同社のウイスキーの歴史を、じっくり見られたこと(とくに広告の部屋は興味深い)、七〇〇〇本の原酒が壁に並んだ圧巻のディスプレイ、ここでしか手に入らないものが目白押しのショップ、それぞれにちょうどいいサイズ感で楽しめた。
疲れず、物足りなくもなく。人いきれに気圧されたり、並んだり、賑やかな団体客に遭遇しないのも予約制の利点だ。自分たちにはこれくらいの規模がいいのだとわかる。
ちなみに同行の友は長くフランスに暮らしていたが、帰国を決意するまで一度もルーブル美術館に行ったことがなかったという。「だって人が多いじゃん」。疲れそうだなあ、まあいつでも行けると思っているうちに、時が過ぎてしまったらしい。
どんなに有名でも疲れたら堪える。滞在約二時間半の山崎蒸留所くらいのこぶりなスポットが、おとなのこたびにはしっくりくる。
「さて次はどこへ行こう」
この日も泊まりなので、時間は無制限だ。
ふと、前方に大山崎山荘美術館行きシャトルバスの表示板を見つける。
アサヒビールの大山崎山荘という名だけは、ニュースで聞きかじったことあった。たしか昔の名建築の山荘が、周囲の開発によって解体されかけたというものだった。
立ち止まってスマホで検索すると、大正の実業家の山荘で、地域住民が惜しんでいるのを知ったアサヒビールが保存に乗り出し、美術館として生まれ変わったとのこと。
指先のにわか知識だけで、「よし行こう」と歩き出す。
バス停では、小雨が降り出し、ころころと変わる天気に、山間(やまあい)にいることを肌で感じる。
木製の簡素な作りのそこには、私たちの他に若者とお年寄りが二組のみ。
しんとしていて「本当にバスがくるのかな」と不安になりなんとなくみなで顔を見合わせた頃、かわいらしい車体がやってきた。
バスは五分で到着。結果から言うと、深呼吸とため息が何度も漏れる素晴らしい美術館であった。
ステンドグラスの窓や黒い艶を放つ梁など、個人の別荘だったプライベートな意匠にはあたたかみがあり、森の洋館に住む趣味人のお宅を訪ねたような感覚だ。暖炉や、白い格子の窓に、タイル張りの瀟洒なバスルームなどがそのまま残されている。
喫茶室になったテラスで、広大な庭園を見ながら紅茶とケーキを食べる。芹沢銈介の染色作品やルーシー・リーの器など、よりすぐりの工芸品や絵画、アートが首尾よく展示されているのに、客は数えるほど。「絶対つぶれないでほしいよね」と、いらぬ心配を抱く。
隣には、安藤忠雄設計の「地中の宝石箱」と「夢の箱」という建物が併設されている。山の傾斜を利用した新味あふれるコンクリート造りだ。前者は、地中建築である。
そこにはクロード・モネの『睡蓮』が常設されていた。私はもう、いろんな意味で呆気にとられてしまった。こんな山の奥に、こんなにさりげなく、本物の『睡蓮』があること。京都というと、寺社仏閣に甘いもの、和食のおいしいものが浮かぶが、それだけではないこと。あらゆるジャンルで、本物中の本物をえらぶらず、さりげなく内包する京都という地の懐の深さに。
この日は街に戻り、きのうとはまた別の知人の見舞いを済ませ、夕方から三条の居酒屋を巡った。
ちょこちょこと、七、八人座ったらいっぱいになるカウンターだけの縄のれんの居酒屋や町中華をはしご。どれも安い店ばかりで、あまりお金を使わない一日だった。
おそらく、京都のガイドブックでは、蒸留所も美術館もメインページではないだろう。
けれど、たいした段取りもないからこそ出会えた幸せには、想像以上の厚みがあった。
ところで本欄は<京都後編>のつもりだったが、まだ終われないことに冷や汗をかいている。三日目もあてどない旅の途中、またも不思議な桃源郷に迷い込んでしまったのだ。

ある日、逗子へアジフライを食べに ~おとなのこたび~

早朝の喫茶店や、思い立って日帰りで出かけた海のまち、器を求めて少し遠くまで足を延ばした日曜日。「いつも」のちょっと外に出かけることは、人生を豊かにしてくれる。そんな記憶を綴った珠玉の旅エッセイ。