
放送していた連ドラの最終回が終わり、沢山の反響やメッセージを直接いただき、有り難いとおもう。友人から、「クランクアップの動画みたよ〜あんな素敵なhugが出来る仕事って感動すぎ。素敵だね!私なら仕事仲間となんて恥ずかしくて絶対無理。羨ましいよ!」とメッセージがきた。
あまりにも当たり前で、考えたことがなかった。確かに特殊な仕事である。作品を終え、クランクアップをすると、花束をもらい、拍手をもらい、監督や共演者さんとハグをして、お礼を言って、お互いを称え合って、終わる。そして、次の日からはそれぞれが新しい現場に行くのだ。
よく言われることだが、全く同じスタッフ、キャストでまた集まって作品を作り上げるということは不可能だと言われている。その時、そのタイミングで一緒に集まれたチームは奇跡なのだ。だから中打ちという、作品の途中で行われる親睦会的なものは集まりがいいけれど、クランクアップして少し経ってしまうと、スケジュールがバラバラになる為、打ち上げになかなか全員は集まれない。
だから、みんなに、全員に感謝を伝えられるのはあの瞬間だけなのだ。
ありがとう、感謝、感動、尊敬、賞賛、全部がつまったハグなのだ。我々俳優は作品ごとにそんな気持ちをもらうことも多いから、ハグというものにもしかしたら慣れているのかもしれない。仲間に感謝を伝える当たり前の行為だから、それを羨ましいと言ってもらったり、恥ずかしくて出来ないという解釈があることに、とても驚いた。
もちろん、毎回感動的なハグが生まれるかと言ったらそんなことはない。1日のみの現場で、任せられたことをきっちりやったとしても、きっと初めて会った監督と涙涙の熱いハグは生まれない。それは差別とかではなく、やはり積み上げることだったり、苦楽を共にすることだったり、そういうものがなければ、そこまでしないのは普通だろう。だからその辺りの人間的な気持ちの部分でいえば、至極真っ当な、素直な感情をみんなが大切にしているのだと思う。だから、感動的なハグが出来るのはやっぱり、嬉しいことなのだ。
そう考えると、特殊だけれど、やはり豊かな部分も多い仕事だなと思う。どの作品も、最大限の努力で挑むし、みんながかけがえのない仲間になっていくし、色々削ったりすり減らしたり、きついこともあるけれど、やっぱりみんなで作品を作り上げるということは、魅力的なんだと心から思う。
と、ここまで書いておいて、少しズレることになるかもしれないけれど、私は多分、この仕事をしていなくてもハグに抵抗のない人間なのだと思う。
甥っ子姪っ子に会ったときには必ずハグをしているし、舞台を観に来てくれた友人にはありがとうのハグをするし、楽しかった宴のあとにはハグをして別れるし、初めましての人にも、ありがとう会えて嬉しい!なことがあれば、迷わずハグ出来る。
年に数回しか会えない姪っ子たちは、恥ずかしそうにぎこちなく、笑って、一応こたえてくれる。頻繁に会っている姪っ子めーたんは、迷うことなく受け入れてくれる。
これ、私の妹も毎回甥っ子姪っ子と会うとハグをしているから、きっと、妹も抵抗ないのだと思う。めーたんがすんなり受け入れてくれるのは、ママといつもハグをしているからだろう。
子供の頃に、お父さんにおやすみのチューをしてから寝るというのが決まりだったから、ハグなんて朝飯前なのだろうか。
海外の友人も何人か居るからだろうか?
会ったらハグして、バイバイのときもハグをして、see you soon〜love you〜と言って、ポカポカした気持ちで別れる。
やっぱり、ハグっていいよね。認めてもらった気持ちになって、味方だよって言ってもらっているようで、私はハグをもらうと、とびきり嬉しい。幸せな気持ちになる。
実際には出来なくても、ハグを送る気持ちを持てると、心がまあるく、平和になっていくのではないだろうか。
あなたとわたしにハグを送ります。
愛ある日々を。

撮影困難な暴風のなか、スタッフの皆様が耐えて耐えて美しい画をつくりあげ、切り取ってくださいました。心からの感謝を!
全てのスタッフ、キャストの皆様、作品を愛してくださった皆様、ありがとうございました!
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いつまで自分でせいいっぱい?

自分と向き合ったり向き合えなかったり、ここまで頑張って生きてきた。30歳を過ぎてだいぶ楽にはなったけど、いまだに自分との付き合い方に悩む日もある。なるべく自分に優しくと思い始めた、役者、独身、女、一人が好き、でも人も好きな、リアルな日常を綴る。