
先日、とある舞台の顔合わせがあった。
その舞台というのは自身がプロデュースしている舞台で、作品名は「霧」と付けた。
プロデュースと言っても私がしていることはほとんどなく、共同でプロデュースをしている宮下貴浩という演劇の先輩が大半の業務を行ってくれている。
有り難い限りで、私は彼に甘えて作品を作ることに没頭させていただいている。
この「霧」というタイトルを決める時にも、彼の寛容さを感じることがあった。
「霧」というタイトルはあまりにも特徴はなく、作品について想像できることが少ない。
タイトルというのはお客様が一番最初に捉える作品の入り口であり、観ようかなと思ってくれる人をひとりでも多く増やすことができる部分だと思う。
これまで作品の輪郭を少しでもイメージしてもらえるように考えてタイトルを付けてきた。
「愚れノ群れ」はヤクザ達の話。「月農」は月に想い入れがある人が農業をする話。「わかば自動車教習所で恋を学ぶ」というはそのままで、恋愛初心者が自動車教習所で恋を勉強する人の話だ。
それが今回は「霧」だけ。作品を観ようかなと興味を持っていただいた方に不親切である。ごめんなさい。
さらに、ネットで霧と検索しても出てくるのは気象情報ばかりで、作品にはたどり着かない。私はとてもいけないことをした気になった。
しかし、私はどうしても「霧」がよかった。様々な候補を考えたのだが、「霧」が一番しっくりきて、それ以外のものは何とかこじつけてそれっぽく形を成しているだけのものにしか見えなかった。
ここで共同プロデューサーの宮下さんの寛容さの話に戻るのだが、彼は「霧」とすることを許してくれた。
私がネット検索をして、お天気のことばっかじゃん……と気づく前から彼は分かっていただろうし、もっとお客様の想像を駆り立てるタイトルにした方が良いことも分かっていただろう。しかし彼は「オムがそれがベストだと思うなら」と私のやりたいことを尊重してくれた。私を信頼してくれてのことなのか、わがままな私の性格を理解してくれてのことなのか定かではないが、私はとても心地よかった。そして幸せに感じた。

そんな「霧」の稽古が始まっている。
私にとって今年に入ってひとつ目の舞台であり、久しぶりの演出である。
今年に入ってずっと引きこもって家で脚本を書いていた。確実に人前で話す体力と能力が劣っている。先日の顔合わせで言いたいことが浮かんでも、口と心がついてこないのを感じた。心がついてこないというのは、感情の置き所がわからなくなることでもある。変に熱いことを言いそうになったりした。
これまでの自分との違いに少し焦ってドキっとしたが、その後の懇親会でお酒を呑んでみんなと話をしたら、感覚が戻った。
そして次の日の稽古では何ともなく、いつも通りの稽古ができた。
そして私は気づいた。ただ緊張していただけだと。余裕がなくソワソワしていただけだと。引きこもって本を書いていたとか関係ない。
お酒を呑んで、少しの時間を共に過ごしたら、皆仲間。
明日も稽古頑張ります。
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私は演劇に沼っている

脚本家、演出家として活動中の私オム(わたしおむ)。昨年末に行われた「演劇ドラフトグランプリ2023」では、脚本・演出を担当した「こいの壕」が優勝し、いま注目を集めている演劇人の一人である。
21歳で大阪から上京し、ふとしたきっかけで足を踏み入れた演劇の世界にどっぷりハマってしまった私オムが、執筆と舞台稽古漬けの日々を綴る新連載スタート!
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