
Dear Hirarisa,
ひらりさが”your workout era”に入って嬉しいね。うちから歩いて30秒のところにスタジオがあるので、6月にたくさん行こう!
こちらは、父に会うための大旅行を終えて、ロンドンに戻ってきたところ。考えてみれば、最後に父に会ったのはほぼ一年前だった。海外生活をしていると、どうしてもそうなってしまうね。父はヨガが好きで(上手でなく、好きなだけ笑)、会うたびに一緒にヨガをやっているけど、今回彼を説得して、一緒にマシンピラテティスをすることにした。ご存じのとおり、マシンピラティスはなかなか言葉で説明できない運動で、事前にYouTubeで動画を見せた。それでも父はあの「マシン」にかなり戸惑っていた。難しくても、娘の好きなことに挑戦してみようとする姿勢に、本当に素敵な父だなと改めて思った。
前回の手紙の、破局と失恋の違い、興味深く読んだよ。一つの心の「状態」から別の「状態」へ移動するというのは、私が前回の手紙で言及した「自己物語の調整」そのものだね。新しい物語は元彼氏の先に作られていく。この移行で生まれるエネルギーをひらりさはボディメイクや運動に注いでいるのだね。私はこれだけは言いたい。恋愛関係を持ったこと自体はすごいことだ。相手に心を開き、自分の脆弱な部分を見せた。それは誇るべきことだから、ひらりさに忘れないで欲しいと思う。
私自身も、今二つの状態の間を移行している最中。父に会うための旅行は、この変化を距離的、物理的に象徴するものだった。後ろには古い自分がいる。前に未来の自分がいる。古い自分は、一年かけて英語で小説を書いた自分。未来の自分は、小説を書き終えて、これからエージェントを探す自分。「書く自分」から「売る自分」へと変わりつつある。
ひらりさはご存じのとおり、日本と違って米英の作家たちのほとんどは代理人、つまりエージェントを使っている。出版社に原稿を売り込んだり、翻訳や本の映画化交渉を手伝ったりするのはエージェントの仕事。フランスとドイツの制度は違うけど、イギリスとアメリカではなぜかエージェントを立てるのが一般的。プロスポーツ選手なんかだったらわかるけど、出版界でどうしてそうなったのか、その背景は謎なんだけど、とにかくこっちのやり方はそういうことになってる。
私の「移行期」にはもう一つの側面がある。私は今、いわゆる「正社員」に戻りたいと思っている。週2、3日のフリーランスなコンサルとして働いて生計が立てられているのに、なぜわざわざサラリーマンの世界に戻りたいのか。それは、私がそういう欲張りな女性で、全てが欲しい! から。物書きとして成功したいし、そして正社員として築いてきたメディア業界でのキャリアでも成功したい。でも両方を同時に追求するのは難しいから、順番に進めていこうと思っている。小説を書き上げた今は、次の執筆に向けて「想像力」の電池が充電されるまで別の仕事に集中しようかな、と思っている。
ただ、小説を書くために正社員の仕事を辞めたのがちょうど1年前でまだそんなに経ってない。そうなると「そもそもなぜ辞めたの?」と面接官に聞かれそう。次のポジション、どこで働くか、どの会社に入るかは、まだ決まっていない。一つだけ願いが叶うとしたら、自分の将来が見通せるような「明晰さ」が欲しい。この往復書簡が終わる頃には、私の進む道が見えてくるといいな。
さて、ひらりさの質問は自分の「性的魅力」だったね。私は、18歳くらいまでは自分が異性の「性欲の対象」になるとはあまり思っていなかった。それまでもちろん付き合った男性はいたけど、肉体関係やセックスにはあまり興味がなかった。そして、少なくとも高校時代までは、男性の目線はもっと大人っぽい女性に向いていたと思う。
ところが大学に入った頃、すべてが変わった。突然の男性たちからの注目に圧倒された。舞い上がって、あれこれ目移りしていた。身長、人種、性格、十人十色で、男性の選択肢は無限にあるように感じた。そして何より、求められることで自分に自信もついた。男性を魅了することがまるでゲームのようになって、誘いを断って断って、最後に選ぶという駆け引きを楽しんだ。
しかし、大学卒業後、日本に引っ越して初めて、性欲の影の部分を知ることになった。それは、モノのように扱われること、屈辱を与えられること、そして暴力を振るわれることだった。気づいたのは、男性は私を「欲しい」のではなく、むしろ「所有したい」と思っているということ。その所有欲はあまりに強くて、私は押しつぶされそうになった。
4月末のオンライン読書会でひらりさは『異性愛という悲劇』という本を教えてくれた。ひらりさがお薦めする本はいつも心に響くから、すぐに買ってみた。著者のJane Wardは異性愛の悲劇、つまり男女間恋愛の危機の中心に「女性嫌悪のパラドックス」を据えている。男性は女性を好きであると同時に、女性を軽蔑している。だからこそ、健全な恋愛関係が築きにくいんだと。
Wardが言うほど男性が根本的に女性のことが嫌いとは思っていないが――だって男性に戦いを決意させた「トロイのヘレン」は存在したわけでしょ――言っていることはわかる。この「女性嫌悪のパラドックス」は男性の目線で感じる。まるで鏡を見ているように彼らは私を見る。私という鏡に、自分の社会的地位、権力、独占力が映し出される。彼らは「私」、鈴木綾なんて見ていない。自分の力のバロメーターとしての「獲物」。でも本当の鈴木綾は彼らのような存在とは正反対のもの。だから彼らは私の本心が嫌い。
20代から身につけた教訓は、異性にとってわかりやすい性的魅力を持つことは決していいことではないということ。むしろとても、とても危険なこと。「彼氏に殺されるかも」と何回も思ったことがある。異性愛の関係では、恋愛と暴力の間の境界は非常に微妙なもの。60年代に伝説のプロデューサー、Phil Spectorにプロデュースされた曲「He hit me and it felt like a kiss」(私は彼の拳をキスのように感じた)はこの悲劇的な現実を真正面から描く。要するに女性は男性の暴力を愛情表現として捉えてしまう。それは、残念ながら今でもそう。
私は成熟し、世の中の男性との間に距離を置くようにした。男性を断るのが上手になってきた。だから、ひらりさが誘いを断ったエピソードは思わず声に出して笑ってしまった。完璧な言葉だね。今度借りちゃおうかな(笑)。洋の東西を問わず、歴史を通じて、弱者はユーモアと冗談で権力者の横暴に対抗してきた。異性愛の男性が女性を誘う時、誰が「権力者」なのか、明確だよね。誰かにとってはこのくそ素晴らしい家父長制の世界でユーモアは最強の武器。
「ホワイト・ロータス」第3シーズンのシーンで頭から離れないものがある(脱線するけど、「ホワイト・ロータス」はイギリス人みんな観てたけど、日本では人気あった?)。とあるシーンで、若くて可愛いチェルシーさんはマッチョな男性に誘われる。ちなみに、この男性はアーノルド・シュワルツェネッガーの息子が演じている。チェルシーは誘いを受けて、迷わずにこういって返す。
「他人の魂と繋がりを持つ経験があると、安っぽいセックスに戻るのは無理。あなたとのそういう関係はきっと虚しい経験に違いない。あなたは魂がないから。かわいそうに」
この一言で、チェルシーは自分に陶酔している彼を成敗する。面白く断るなんてしない。真実というナイフで彼を刺す。そして、この言葉は結局彼にとって、自分を見直すきっかけになるんだけど、、、ネタバレはしない!
私が多くの男性と関係を持つことに興味がないのは、まさにこのこと。きっと「虚しい」経験になるだけだろう。しかし、それはまだ最良の場合。最悪の場合、異性との関係は暴力的なものになる。
そのため、30代半ばになって、自分をより守ることができるようになった。男性を断る意味で悟りを開いて仏様になっているチェルシーのレベルに達していないが、自分へのアクセスを制限しいる。そして出会い系アプリは絶対に使わない。知らない男性が私の写真とプロフィールを見て、そして数回のスワイプで私と会話できるというのは気持ち悪くてしかたがない。出会い系アプリは、恋愛相手を車とか果物のように価値と値段をつけられるモノだという考えを想起させる。この「モノ扱い」マインドが相手への共感を奪う。そして、時として暴力を生む。
もう一つ出会い系アプリを使っていない理由がある。私の男性への興味は、関係を持ちたいという欲望、既定の異性愛関係の枠内で関係を作りたいという欲望に直接結びついているわけではない。相手に対して性的魅力を感じたい。相手の言葉、マインドに魅了されたい。欲望と好奇心が存在して初めて、相手と話し、つながり、それから「この人との間に関係と呼べるものを持ちたいかもしれない」と考え始める。
私は「Plan」(計画)――要するに正式に付き合う、結婚する、子供を作る――より「Person」(人)の方を重視している。別にPlanを持って異性に近づいてもいいと思う。出会い系アプリを使っている30代女性のほとんどは念頭にPlanがあるだろう。そのことを悪いとは言わないけど、鈴木綾のやり方ではない。
私に欲望と興味を湧かせる男性は、出会い系アプリできっと見つけられないタイプだろうなと、いつも思う。私と違う政治的見解を持っている。ぽっちゃりしているかもしれない。禿げているかもしれない。しかし、リアルで欲望を感じる。体臭かもしれないし、彼は私の目を直接見て、私の魂まで見るかもしれない(笑)。
このような考え方を持つようになったのは、異性愛関係で起こりうる暴力から身を守るための最良の戦略だと思う。私はパートナーがいなくても十分に生きていける。充実した楽しい人生を送ることができる。振り返ってみると、20代の頃は自分の「足りない部分」をパートナーで埋めようとしていた。そのような弱さが、結果的に被害者になる原因だった。残念なことに、「私には何かが足りていない」と思い込み、恋愛関係で自分を満たそうとして傷つく女性はまだまだ多いと思う。この文章を読んで、一人でも多くの女性の目が覚めることを願っている。
結婚や子育てから焦点を外す――意識的か無意識的かわからないが――ことで、男女間でありうる恋愛関係をより多様な形で想像できるようになった。社会に義務付けられている関係でなく、相互に欲望、魅了、尊敬、知的刺激に基づいた関係。面白いことに、私の周りでは、何回も異性愛恋愛に傷つけられた女性、この馬鹿馬鹿しい制度に信頼を失った女性たちが今までと違う異性愛関係を受け入れ始めている。彼女たちは我慢するのに飽きている。耐えることはもうしないことにした。
まぁ、TL;DR、つまり手短に言うと、魅力的な人と出会ったら少なくとも話を聞いてあげる。でも、アウトバウンドリードに時間はかけない。入口を絞ったクオリファイドリードのみ! あぁ、マーケティング用語になっちゃった〜。
ひらりさは前の彼氏とTinderで出会ったという話だったけど、出会い系アプリの話をひらりさに聞きたい。そこで人間が恋愛を見つけることができると思う?使っている人は「商品扱い」という気持ちにならない?なったとしてもそれをどう乗り越える?自分の話でも、周りの人の話でも、教えてください!
4月25日(金)に開催されたオンライン読書会のアーカイブ販売中です!
詳細は、「恋愛に溺れる自分、執着する自分を客観視できる」ひらりさ×鈴木綾『シンプルな情熱』読書会レポートをご覧ください。
往復書簡 恋愛と未熟

まだ恋愛にじたばたしてる――? 30代半ば、独身。ロンドンと東京で考える、この時代に誰かと関係を紡ぐということ。