今、私は劇場でこの連載「私は演劇に沼っている」を書いている。
演劇が行われる場の客席でこのタイトルのエッセイを書いていると、本当に沼っているなと感じる。演劇ばっかりしている。存分に沼らせていただけている事に感謝しながら、文字を打つ。
今から約1時間後には初日の幕が上がる。ゲネプロと呼ばれる本番を想定した最終リハーサルを終え、演出の私は最終の調整箇所もキャストとスタッフに伝え終えた。本番を迎える準備が着々と進んでいる。
つい先ほどまで劇場内は静まり返っていた。みんなお弁当を食べるなどをして休憩していたのだろう。
私は本番前のこの時間が好きである。それぞれが自分の時間を過ごしている。
睡眠を取り体力を回復する者、舞台上にギリギリまでいてセリフの確認をする者、談笑をしている者…それぞれが自分の判断で本番前の時間を過ごしている。
各自が培ってきた本番前のルーティーンがある。ルーティーンがない者がいるが、ないというのもその人の演劇への向き合い方が感じられて楽しい。
私は本番前の過ごし方が、十人十色異なることにゾクゾクと胸が踊る。
なぜ各々の本番前の異なった時間の使い方が好きなのかというと、どう過ごしていようが、1時間後の本番では同じ志を持って観客にひとつの作品を届けるという想いが同じだからだ。何十年演劇をやっていようが初舞台であろうが、変わらない。皆同じだ。お金をいただいて芝居をする。何百年も続いている演劇の歴史の一員となる。それは揺るぎない事実だ。
誰1人漏れなく演劇界で生きることになる。
過ごし方が違えば違うだけ、私は演劇が人を繋ぐのが感じられて興奮する。
静まり返っていた劇場に音が鳴り始めた。
音響さんが劇中に使う効果音のボリュームを調整している。何度も劇中で使う雷の音がドゴーンと鳴っている。きっともう少し早く調整をしたかったのだろうが、皆が休んでいることを考慮して、音を出さないようにしてくれていたのだろう。
ロビーと舞台上の狭間にある客席にいると、様々な人の気遣いを感じる。
多くの人が人の為に時間を費やしている。各セクションにリスペクトだ。
気遣いが素晴らしい音響さんが出す雷の音は、今のところボリュームが大きい。劇中ではもう少し小さくしてほしい。
音響さんに指示を出すのは私の仕事だが、私は小さくしてほしいとはまだ伝えない。きっと音響さんの中で良い響き具合や、客席前方後方のバランスを取ってくれているのだろう。最後に「確認をしてくれ」と言われるまで口を出さない。中途半端な時に口を出さないというのは、私が演出をする上で、大切にしていることだ。
たくさん打ち合わせをして、私の意図は伝わっていると確信している。信頼があるからこそ「これでどうだ」と提示されるまで口を出さない。
私も脚本を執筆している際、脱稿するまでに、ああした方がいいこうした方がいいと言われずに一旦やってみたいことがある。書き進めながら登場人物の性格などを調整している。
誰だって自分でも分かっている難点、修正すべき箇所を途中で指摘されると気分が良くない。
後でやろうと思っていたのに…とムスッとしてしまう。宿題をやろうと思っていた時に「やれ」とお母さんに言われた感覚に似ている。
相手が何をしようとしているのかを想像して理解する。決してひとりで演劇は作れない。
人と創る。なので私は共に演劇を作る仲間の想いを汲む為に、半端な時に判断しない。その人のやりたい事をやり切っていただく。ムッとしながらやるよりも気持ちよくやった方が確実に互いの為になる。
演劇界には、より良い作品にする為に行動する人しかいないと信じて、私は引き続きこの世界に沼り続けていこうと思う。
そろそろ客席が開場する時間だ。
我々演劇人の最後のピースとなるお客様が来る。
ギリギリまで挑戦をする音響さんに「ここまで」と伝えなければならない。
さっそく音響さんに伝えたところ「はい!すみません!」と気持ちの良い笑顔で返答が返ってきた。
何をおっしゃる。こちらはあなたの貪欲さに脱帽で、感謝をしているのです。今回も素晴らしいチームで演劇を作れている。
本当に演劇は底なし沼だ。誰かに止めてもらわないと終われない。抜けられない世界だ。ズルズルと延々にいてしまう。
私は演劇に沼っている
脚本家、演出家として活動中の私オム(わたしおむ)。昨年末に行われた「演劇ドラフトグランプリ2023」では、脚本・演出を担当した「こいの壕」が優勝し、いま注目を集めている演劇人の一人である。
21歳で大阪から上京し、ふとしたきっかけで足を踏み入れた演劇の世界にどっぷりハマってしまった私オムが、執筆と舞台稽古漬けの日々を綴る新連載スタート!