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避赤地

2025.05.09 公開 ポスト

安全圏の外側でマヒトゥ・ザ・ピーポー

南京空港に着く。ゲートを出たわたしの皮膚を夏の匂いが出迎える。すぐに長袖を脱ぎ、肩にかけて、バスに乗り込む。フェスの会場のある滁州(じょしゅう)に移動するためだ。高速道路を流れる景色は簡素な田舎の風景だが、時折人気のないところにいびつに密集するマンション群がディストピア的な世界を想わせる。隣で今回のツアーをサポートしてくれるドードーが「COPY .PASTE.」とつぶやいた。

ホテルにつき夜ご飯をすませ、休憩を挟んでリハーサルのために会場へ向かう。時刻は深夜2時半。どうしてこんな遅い時間なのか? 翌日はここに3万人が集まるらしい。わたしたちは拙い英語で、現地スタッフとコミュニケーションを取りリハーサルを終え、ホテルに戻った時にはカーテンの隙間が白んで朝の存在感を匂わせていた。

 

翌日、昼の1時半、わたしたちGEZANはステージに上がる。独特の緊張感が消えない理由は中国のフェスで以前、苦戦した記憶からだった。我々の出番前の中国のアクトへの観客の歓声がうねる中、舞台裏で心の整理のためにXに投稿しようアイフォンを開いた。

「言語の通じない場所でも、わたしたちは同じ動物だ。全ての声が届くと信じてみる。」

そう文字を打って、やはり下書きにしまった。別に人にアピールすることではないし、自分の胸に刻んでいればいい話だから。わたしは歌ってる途中で諦めてしまうことを恐れた。どんな状況であれ、歌のことを信じられなくなることは何より怖いことだった。わたしはいい加減な人間だが、信頼関係を損ねないように、これでも言葉や音と交渉して生きている。

ステージに上がる。楽器のセッティングをまだしている途中で、いき違いからか、舞台の目隠しの役割をしていた幕が突然上がる。SEや演出もないぐだぐだな強制スタート。気づかずに観客に背を向けアンプのつまみをいじっている八雲にマイクを通さずこっそり声をかける。

「八雲。冷静に聞いて。もう始まってるわ。」八雲は振り返ることなく、目線だけ動かし、広がる人の海を確認して、理解したようだった。先ほどのバンドの波打つ歓声と違い、蚊の泣くような拍手は3秒ほどでおさまってみせた。なるほど。状況は理解した。腹を括ろう。わたしは前を向き直し、マイクの前に立った。

最後まで心は折れなかった。演奏中、熱を持った瞬間もあったとは思う。しかし、すべった。歓声は他のバンドと比べれば雲泥の差で少なく、観客の多くはJPEGの静止画に徹した。空を飛んでいく鳥が、これは画像ではなくムービーでっせという真実を突きつける。

3万人の舞台から去り、わたしは舞台裏にある関係者村をさらに抜けた湖沿いで自らの内に生まれた歪な形状の静寂を冷ませた。運動量はフロアの動きと並行するのだな。体が少しも疲れていないことが悔しかった。鳥が頭上を飛んでいく奥で次のバンドを出迎える歓声が聞こえだす。鳥が甲高い声で鳴いて旋回し、私に向けて歌の断片をこぼしてくれた。草木の上に寝転び、いつまでも鳥の奏でるメロディを浴びて過ごした。

こんなライブ中の画像が友人から届いた。

「日本無条件降伏から80周年。この恥を忘れるな 1945-2025」

そんな内容の書かれたフラッグがライブ中に上がっていた。南京大虐殺のあった南京からほど近い滁州。日本のアーティストはGEZANだけだったから、我々に向けて作ってきたのだろう。画像を見た瞬間、心臓が握りつぶされたように縮こまった。

「全ての声が届くはずだ」冷静になってみればそんなはずないと思える頼りない気持ちを心臓にし、血液を回し、最も柔らかい心でマイクの前に立つ。

歪んだ音をしているが攻撃の意図はなく、これでも平和活動のつもりで海を渡った。どんな姿勢でステージに立っているのかは伝わらず、歓迎とは逆の反日感情は根強く残っている。

日中戦争下で起こった南京大虐殺は諸説あるが、数万から30万の非戦闘員の中国人が日本兵に殺され、強姦や放火、略奪をされた。ひどいことだと思う。原爆を落とされ、どこかで被害国である認識を持っている日本は、同時に他国に対して加害の側面を持っている。普段黙祷などの機会で触れるのは被害者の側面が多く、見たくないものには都合のいいように細やかなデザインを施す。歴史を修正する動きもあるから、フラッグを挙げた彼の「忘れるな」には一理ある面をみとめなくてはいけない。随分と悲しい伝え方だったけど。

歴史は教科書の上で起きているのではなく、その土地に滴る血が記憶している。別に肩を持つつもりもないが、彼も音楽を楽しもうとフェスに来たのだろう。その男にこんなフラッグを用意させることも、戦争という最低な行為が生み出した歴史の一部なのか。

どこであれ、誰であれ、フラットな関係性なんてなく、個人がオリジナルに積み上げた常識はそれぞれのフィルターとして色濃く、その人の普通にはエフェクトがかかっている。それは相互に反映させながらハーモニーが生まれる箇所を手がかりに関係性は芽生える。言葉はその関係性の接着剤として機能し、互いの違いを埋める緩衝材にもなる。わたしが何より悔しいのは、彼と対話できる言葉を何も持っていないことだった。

そもそも彼は何も聞くつもりなどないかもしれない。 それでも「全ての声が届くと信じる」とわたしは言った。その対象に彼は含まれている。

わかり合えないということはこんなにも怖いのか。自らの中に広がる絶望はじわじわと溶け出し、形を持たない音楽へと染み出していき、急に無力な存在に思えてきた。

この世には、自分とはまったく違う価値観の人間がたくさんいる。 ガザの虐殺が今なお続き、血が流れ続けていることもその証拠だろう。反対の声などかき消すほどの分厚い支持者が存在しているということなのだから。

「それでも信じると君は本当に言えるのかい?」

上海に移動したわたしは、その晩眠ることができなかった。

完全な寝不足でするワンマンは繊細な集中力が必要だ。自暴自棄な怒りに絡め取られたくない。わたしは散らかった精神の中から希望をかき集めるために視力を働かせた。楽屋で味の薄いコーヒーを飲んで呼吸をする。楽屋の窓から赤い服を着たお客さんがちらほらと見える。今日のワンマンには1200人ほど来るらしい。

先日見に行ったパティ・スミスは何も諦めていなかった。安全圏の外側に出て、ずっと世界と対峙し、怒りを捨てずに祈りを磨き続けていた。パティを見て勇気の湧いていた場所がまだ熱を持っている。ノイズをかき分け、熱源に手を伸ばす。爪の先をかすめた。この凍結した心の箇所まで手繰り寄せろ! 

ライブが始まった。

美しい時間だった。言葉の違う国で驚くほどたくさんの人が歌詞を覚えている。どんな気持ちで「東京」をシンガロングするのかと考えたら、家出をしていた勇気が順々に帰ってきた。

色々な規制の厳しい中 で、わたしの葛藤を自らの置かれている状況に重ね合わせ、感覚的な意味で同時翻訳しているのだと思う。それは言語の範疇ではない。空気の振動の共有と発汗が編む瞬間的なコミュニケーション、まさしくライブの力だと思う。

今回で上海は3度目だが、だんだんと大切な場所になっていく。関係性が深まっていくと、もっと奥を覗き込みたくなる。

ここでもライブ中の写真が届いた。前の写真とこの写真、どちらも存在する複雑な世界にいる。違いを理解するために勉強は必要だけど、教科書を開かなくても、歴史は今も血を伝って現在を生きる人へと流れ込んでいる。対話だ。とにかくしぶとく、とにかくタフに。

インターネットが入ってきて、若者たちの情報の得方は確実に変わってきていると感じる。そういう層が上海のライブハウスに来ているのだろう。国内でもこの数年で様々な国籍の人に会うようになった。クラブに行けば視界に映る8割が外国から来た人なんてこともよくある。どんどんと混ざればいい。インターネットやAIが境界を埋めていく。音楽にしかできないケミストリーはそれでも輝き出す。それが今、ここで起きていることだもの。きっと良くなる。過去が悲しい血塗られた歴史でも、新しい記憶は作れる。大袈裟な言葉で言いたいんじゃない。これから起こることは全て歴史になっていくのだから。次は日本に来てほしい。手売りのために持っていった武道館のチケットは上海で88枚売れた。チケットを手にしてスキップが始まる瞬間を終演後に見た。跳ねながら帰っていく背中が目に焼き付いている。

余談だけど、フェスだって次は攻略するつもりだよ。秘策だって考えたんだ。冷静と情熱の間、左手に直感、右手に編集。うぉぉらあああ。そんな決意でフェスの悲しい夜にこんな投稿をした。ロックバンドはやるのさ! 

*マヒトゥ・ザ・ピーポー連載『眩しがりやが見た光』バックナンバー(2018年~2019年)

関連書籍

マヒトゥ・ザ・ピーポー『銀河で一番静かな革命』

外国に行ったことのない英会話講師のゆうき。長く新しい曲を作れていないミュージシャンの光太。父親のわからない子を産んだ自 分を責め続ける、ましろ。大事なことを決めるのはいつも自分以外。人生の終わりも、突然の「通達」で決められてしまった。でも最後 くらい「自分」を生きたい ――。単調な日々の景色が鮮烈に変わる、美しく切ない終末小説。

マヒトゥ・ザ・ピーポー『銀河で一番静かな革命』

海外に行ったことのない英会話講師のゆうき。長いあいだ新しい曲を作ることができないミュージシャンの光太。父親のわからない子を産んだ自分を責め続ける、シングルマザーのましろ。 決めるのはいつも自分じゃない誰か。孤独と鬱屈はいつも身近にあった。だから、こんな世界に未練なんてない、ずっとそう思っていたのに、あの「通達」ですべて変わってしまった。 タイムリミットが来る前に、私たちは、「答え」を探さなければならない――。 孤独で不器用な人々の輝きを切なく鮮やかに切り取る、ずっと忘れられない小説。

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避赤地

存在と不在のあいだを漂うGEZANマヒト、その思考の軌跡。

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マヒトゥ・ザ・ピーポー

ミュージシャン。2009年に大阪にて結成されたバンド・GEZANの作詞作曲を行いボーカルとして音楽活動開始。
2014年からは、完全手作りの投げ銭制野外フェス「全感覚祭」も主催。自由に境界をまたぎながらも個であることを貫くスタイルと、幅広い楽曲、独自の世界を打ち出す歌詞への評価は高く、日本のカルチャーシーンを牽引する。
著書『銀河で一番静かな革命』『ひかりぼっち』、絵本『みんなたいぽ』(絵:荒井良二)。映画監督作品『i ai』がある。

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