
大人のこたびは、どこから始めたらいいのか。
私は、まずは日帰りをお薦めしたい。
できるだけ主要駅から電車で一本で行けて、夜、クタクタに疲れるちょっと手前で家に戻れる場所。疲れ果てるまで遊ぶと、翌日の体に響く。
だったら一泊二日でと考えたくなるが、一泊となると、計画や用意や、そのために体を二日間空けることが大変になる。その前にあの仕事を終え、この段取りだけつけて……と考えていくうちに面倒になり、「まあ、いいか次の夏休みで」と先延ばししたくなることも。
一泊二日なら、予定は“みっちり一日分”を二日に分けるくらいがいいし、日帰りなら、メインの予定をひとつだけ決め、あとは行き当たりばったりがちょうどいい。現地で早めの夕食を楽しみ、ほろ酔い気分で夜早めの電車に乗り、二十一時前には家でくつろいでいたい。
日帰りもいいもんだなと最初に気付かせてくれたのは、静岡市の芹沢銈介美術館を訪ねる旅である。
宿もなんの予約もいらない。
話が盛り上がった友達と週末、新幹線こだまで静岡へ行った。
このこだまが、またよかった。小田原、熱海、新富士と6駅乗るのだが、熱海や小田原で乗り降りする客が少し年配だったり、若いカップルだったり、醸し出す雰囲気が「ザ・旅行者」でこちらまで気持ちがリラックスする。ちなみに、ひかりやのぞみになると、途端に男も女もスーツ姿が倍増。座った途端、鞄からノートパソコンを取り出し、あちこちからかちゃかちゃ鳴り出す。お疲れ様なことだなあと頭が下がりながら、
品川から50分で静岡駅に到着した。美術館まではバスで15分だ。自転車を借りるかバスかその場で相談をしていると、たまたま後者のタイミングが良かった。いざ乗り込むと、周囲のほとんどは地元客で、私の好きな、地元の生活のなかにひととき混じり込むような旅感覚を味わう。
停留所を乗り過ごさぬようドキドキ、きょろきょろ、少し緊張しながら美術館の最寄りで降りる。
芹沢銈介は、昭和後期に亡くなった染色工芸家で、あたたかみのある美しい型絵染で知られる。柳宗悦らの民藝運動でも活躍した。
友達は日本茶インスタラクターの仕事をしていて、ふだんからよく民藝や手仕事や器の話を交わしていた。彼女と行くなら、なんとなく美術館やこういう所だろうと思っていた。趣味が合う友と、その趣味をテーマにした旅は、間違いなく二倍楽しい。
美術館の、低い石垣、銅色の屋根、静かな噴水の中央で来館者を迎える寒椿。洗練された独特の落ち着いた佇まいに、これはもしやと設計者を見れば、松濤美術館の設計でも知られる建築家白井晟一の名が。私は松濤美術館の建物が好きで、改修前、トイレの美しい黒い便器にさえ見惚れ、これだけについて原稿を一本書いたことがあるほど。下調べをせずに行っているので、白井作品との突然の邂逅も望外に嬉しかった。
着物、うちわ、のれん、ついたて、器、装丁(絵本作家、装丁家としての才も発揮した)、芹沢自身がコレクションしていたもの。趣向を凝らした展示が10室で展開され、途中「休みたいなあ」と思う絶妙の配置で「特別室」というソファでくつろげる部屋がある。
美術館を、同じ趣味を持つ人と行った時に、観終えた後でなく、途中で感想を静かに語り合いたいという欲望を抱く時があるが、この休憩エリアの間合いは最高だ。
ミュージアムショップでは、葉書や封書、日本手ぬぐいのほか、玄関マットまで購入してしまった。旅先特有の高揚感がなせる物欲と言える。
たっぷり、のんびり芹沢芸術の深みで遊んだ後、退館間際に、近所で彼の自宅が特別公開されていることに気づく。見学無料、美術館開館日の土日だけ開いている。その日は土曜、
美術館以外に、なんの予定も立てていない。「行くしかないじゃんね」と勇んで向かうと数分で、移築した芹沢邸に着いた。他に見学者はふたり。その方達も帰るところで、市のボランティアの男性が手持ち無沙汰で立っておられる。
板張りに土間の、古いがハイカラな茶の間やアトリエを眺めながら、存分に解説を聞けた。保存の難しさや、移築の職人の技の細かさ、はたまた実際の冬の住まいの寒さなど、どんなパンフレットよりわかりやすかったと思う。ご自分は建築や歴史に興味があり、定年後に研修をしてボランティアをしているとのことだった。
もしも、私たちが次にどこかの予定を入れていたら、駆け足で観て終えるか、あるいは寄るのも見送っていたかもしれない。博覧強記のボランティアの方の解説は無料なのが申し訳ないほど、芹沢銈介という稀代の芸術家の素顔を垣間見られる、贅沢な時間だった。
バスに揺られ、駅に戻ると、再びあてどなく街をぶらぶら。境内のフリマを物色して古道具屋の店主と話したり、路地裏の雑貨店を物色したり。前者で私は古いブレスレッドを、後者でフランスのチョコレートを買った。
フリマが店じまいを始めた夕方5時過ぎ。
「ご飯どうする?」
スマホでおいしい店を検索したらたくさん出てくるだろうが、5時ではちょっと早い。かといって、6時や7時にしたら、帰りが遅くなる。しつこいようだが、翌日まで疲れが残るようなこたびは負担になるので、「5時からやっている寿司屋」に焦点を絞った。「静岡なら、きっと魚がおいしいよね。それならお寿司だわ!」と友達が思いついたからだ。
検索で上がる数少ない夕方からやっている寿司店で、そんなに高級でなく、地元民がよく利用している気楽で味の評判がいい店を選んだ。「家族の誕生日に行った。代々利用しているけれどやっぱりおいしいです」というコメントを読んで、決定した。きっとコメント投稿者は大家族で、おじいちゃんの代からお寿司ならあそこと決めている、そんな店だろうと勝手に推測したのだ。
妄想のような推理は、恐ろしいほど当たり、駅に近いのに安くて丁寧で、おいしい家族経営の寿司屋だった。雑居ビルの3階で少々わかりにくい。なんでも、前の店から移転してまもないらしい。建物は新しいが、椅子の座布団の年季が入っていたので聞いたら、そう言われた。昭和5年創業。給仕がお母さん、板前はお父さんと息子さんだ。
「時魚」という札を見て、思わず友達と頷きあう。
本まぐろ、きはだまぐろ、桜えび、しらす、金目鯛、ひらめ。ああ食べたい食べたい。それなのに、お父さんの担当らしい一品料理も端から食べたくてたまらない。まずはビールに酢の物と焼き穴子、次に早々と地酒に挑んだ。
お父さんの作る具沢山の茶碗蒸しとだしのきいたねぎ入り分厚い卵焼きは絶品で、私たちは不安になってきた。欲張りすぎて、肝心の寿司まで辿り着けないかもしれない。
「とりあえず、特上たね五貫と時魚五貫の入った“静岡にぎり”を一人前頼んでみよう」
こそこそ相談する。特上より高い豪華版だが、とても二人前は食べきれないと判断したからだ。
カウンターの向こうで、握り担当の息子さんが声をあげた。
「一人前で大丈夫ですよ。おふたりで楽しんでいただけるようにしますから」
どういうことだろう。
お母さんが合いの手を入れる。
「そうそう、うちのは大きいからね。お嬢さんふたりでは食べきれないでしょう」
寿司屋にふたりで入って一人前は失礼だと、身を縮めていた私たちは、心からほっとした。
しばらくして運ばれてきた前を見てびっくり。美しく全てのネタが二等分されている。こんな寿司屋は初めてだ。
歓声を上げると、家族三人が誇らしそうににっこり。あのご家族の笑顔も込みで、私の静岡旅の思い出は完成する。
こたびの始めどころは、こんな気楽な日帰りから。みちみちに行きたいところの予定を立てず、目的はひとつにとどめる。その前後の余白に、思わぬ出会いや発見が必ずある。ボランティアの方の解説も、芹沢邸も、あの寿司屋も、だからこそ出会えた。
とすれば、それらは偶然ではない。余白という隙間を楽しめる価値観が、あらかじめ用意していた必然ともいえる。
それと、旅仲間は趣味ごとに何人いてもいい。
私でいえば、「お酒・海外(長期滞在でも予定を決めない、ひたすら歩き回る旅を好む価値観が同じ)」、「音楽・買い物・美容・推し旅」、「民藝・手仕事・アート」というように、なんとなく思い浮かぶ顔がある。
静岡旅の友達とは、今週末も一日予定を合わせているけれど、行き先もテーマさえもまだ何も決めていない。わかっているのは、そんな適当な具合でも心の洗濯ができるということだけだ。


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ある日、逗子へアジフライを食べに ~おとなのこたび~

早朝の喫茶店や、思い立って日帰りで出かけた海のまち、器を求めて少し遠くまで足を延ばした日曜日。「いつも」のちょっと外に出かけることは、人生を豊かにしてくれる。そんな記憶を綴った珠玉の旅エッセイ。