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本屋の時間

2025.02.15 公開 ポスト

第173回

夜を歩く辻山良雄

わたしが最初に夜を歩いたのは、まだ神戸の子どもだった小学六年生のときだ。そのときはボーイスカウトの「夜間ハイク」で、夜じゅう歩きとおした。午後十時ころ、山の裾野にある公園に集まり、八人くらいの班に分かれて出発。二三時間かけ山を越え、田んぼのあいだのあぜ道を抜けて、降りたこともないどこかの小さな駅に辿りついたころには、夜が明けていた。

 

その夢のような、あやふやな夜の記憶はずっと心に残っていて、だからという訳ではないが、大学生になり東京に出てきたとき、今度は五人くらいのグループで、夜中に山手線を一周した。

大学近くの高田馬場駅から外回りに、線路沿いをくねくねと歩く。上野あたりまでは細い道を進んだが、東京駅から先は日比谷通りをひたすら南下した。夜中で誰も歩いていないことに加え、まっすぐな道に退屈もしてきたので、誰かが走り出したのをきっかけに、突然みんな走りはじめた。高田馬場に戻ってきたのは朝の六時くらいだったが、そこから近くの友人宅まで行き、夕方まで丸太のように寝たあと、次の夜にはまた酒をのんで別れた。

こうしたことはどれも楽しい思い出だが、それを思い出したのも、先日再放送されていた『その街のこども』というドラマ(のちに劇場版も公開)がきっかけだった。

『その街のこども』は、子どものころ阪神淡路大震災を経験した男女二人が、震災から十五年を迎える神戸の街で偶然出会い、それまで避けてきたそれぞれの傷と向き合う物語。主人公には、神戸で実際に被災した森山未來と佐藤江梨子がキャスティングされ、二人は夜寝静まった街をあてどなく歩く。

最初反発し合っていた二人が、次第に心を開くようになったのも、夜を歩いたことがきっかけだろう。すべてのものを明らかにしてしまう、昼の客観的な残酷さに比べれば、夜には寄る辺ないものでも、ひとときその中に身を隠すことのできるあたたかさがある。

そしてわたしが夜を歩いていたのもまた、劇中の森山に近い歳のころだった。

同級生たちが就職を決めそれぞれ卒業していったあとも、わたしはまだ大学に残り、日々の重さを噛みしめていた。当時わたしは買ってきた本を読むか、安い料金の名画座に入ることでまいにち時間をつぶしていたが、その日も飯田橋で夕方から夜の十一時頃まで、ひとつ上の先輩と二本立ての映画を観ていた。

映画が終わり外に出ると、夜の深さが身に染みた。終電までにはまだ時間があったが、なんとなくそのまま帰る気にはなれなくて、それでお互い歩き出したのだと思う。飯田橋から目白通りを神田川沿いに歩き、山手線を越えて中野のほうまで。当時彼とはさんざん会っていたから、お互い特に話すこともなく、少し距離を開けながら黙って歩いた。

わたしたちは二人でいながらどうしようもなくひとりで、それぞれ自分の孤独をかみしめていた。しかしそんなわたしたちにも夜はやさしくて、歩いているあいだじゅうずっと、そこに変わらず存在した。そのように、夜が黙ってそこにいてくれるだけで、わたしたちがどれだけ救われたことか。

 

わたしはもう長いあいだ夜を歩いてはいないが、それはそうする必要がなくなったからだろう。だが自分の衝動に突き動かされ、はっきりした行き先もなく歩くものたちを見まもる夜が、いまも変わらずあるのだと思う。そしてこの世界に、そうしたあたたかな空間がまだ残されていることに、わたしは少しだけ安心するのだ。

 

今回のおすすめ本

『山影の町から』笠間直穂子 河出書房新社

フランス文学者が選んだのは、光のコントラストの強い、埼玉県は秩父。武甲山に抱かれ、植物が繁茂する町で、あらたな人との交わりを得ながら、思考は蔓のように伸びていく。

 

◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます

連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBSHOPでもどうぞ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

辻山良雄さんの著書『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』のために、写真家・齋藤陽道さんが三日間にわたり撮り下ろした“荻窪写真”。本書に掲載しきれなかった未収録作品510枚が今回、待望の写真集になりました。

 

◯2025年7月18日(金)~ 2025年8月3日(日) Title2階ギャラリー

「花と動物の切り絵アルファベット」刊行記念 garden原画展

切り絵作家gardenの最新刊の切り絵原画展。この本は、切り絵を楽しむための作り方と切り絵図案を掲載した本で、花と動物のモチーフを用いて、5種類のアルファベットシリーズを制作しました。猫の着せ替えができる図案や額装用の繊細な図案を含めると、掲載図案は400点以上。本展では、gardenが制作したこれら400点の切り絵原画を展示・販売いたします(一部、非売品を含む)。愛らしい猫たちや動物たち、可憐な花をぜひご覧ください。


◯2025年8月15日(金)Title1階特設スペース   19時00分スタート

書物で世界をロマン化する――周縁の出版社〈共和国〉
『版元番外地 〈共和国〉樹立篇』(コトニ社)刊行記念 下平尾直トークイベント

2014年の創業後、どこかで見たことのある本とは一線を画し、骨太できばのある本をつくってきた出版社・共和国。その代表である下平尾直は何をよしとし、いったい何と闘っているのか。そして創業時に掲げた「書物で世界をロマン化する」という理念は、はたして果たされつつあるのか……。このイベントでは、そんな下平尾さんの編集姿勢や、会社を経営してみた雑感、いま思うことなどを、『版元番外地』を手掛かりとしながらざっくばらんにうかがいます。聞き手は来年十周年を迎え、荒廃した世界の中でまだ何とか立っている、Title店主・辻山良雄。この世界のセンパイに、色々聞いてみたいと思います。

 

【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】

スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。

『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』

著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト

 

◯【寄稿】

店は残っていた 辻山良雄 
webちくま「本は本屋にある リレーエッセイ」(2025年6月6日更新)

 

◯【お知らせ】NEW!!

〈いま〉を〈いま〉のまま生きる /〈わたし〉になるための読書(6)
「MySCUE(マイスキュー)」 辻山良雄

今回は〈いま〉をキーワードにした2冊。〈意志〉の不確実性や〈利他〉の成り立ちに分け入る本、そして〈ケア〉についての概念を揺るがす挑戦的かつ寛容な本をご紹介します。

 

NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて本を紹介しています。

偶数月の第四土曜日、23時8分頃から約2時間、店主・辻山が出演しています。コーナータイトルは「本の国から」。ミニコーナーが二つとおすすめ新刊4冊。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。

関連書籍

辻山良雄『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』

まともに思えることだけやればいい。 荻窪の書店店主が考えた、よく働き、よく生きること。 「一冊ずつ手がかけられた書棚には光が宿る。 それは本に託した、われわれ自身の小さな声だ――」 本を媒介とし、私たちがよりよい世界に向かうには、その可能性とは。 効率、拡大、利便性……いまだ高速回転し続ける世界へ響く抵抗宣言エッセイ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

新刊書店Titleのある東京荻窪。「ある日のTitleまわりをイメージしながら撮影していただくといいかもしれません」。店主辻山のひと言から『小さな声、光る棚』のために撮影された510枚。齋藤陽道が見た街の息づかい、光、時間のすべてが体感できる電子写真集。

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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。

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辻山良雄

Title店主。神戸生まれ。書店勤務ののち独立し、2016年1月荻窪に本屋とカフェとギャラリーの店 「Title」を開く。書評やブックセレクションの仕事も行う。著作に『本屋、はじめました』(苦楽堂・ちくま文庫)、『365日のほん』(河出書房新社)、『小さな声、光る棚』(幻冬舎)、画家のnakabanとの共著に『ことばの生まれる景色』(ナナロク社)がある。

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