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本屋の時間

2024.04.15 公開 ツイート

第163回

いま居る土地で人間は変わる 辻山良雄

才能は別にして、もう一度人生をやり直すことができるとすれば、ブックデザイナーになりたいと思っているほど、その職業にはあこがれがある。だから、先日まで竹尾見本帖本店で開かれていた装丁展(「BOOKS 水戸部功×名久井直子」)は、わたしにとって格別の面白さがあった。本の内容を汲み取り、直感とロジックからその本に向いた意匠を導き出す仕事の鮮やかさ……。すっかり満足して外に出て、春の神保町を歩く。少し鼻の奥がむずむずとする。

 

そう言えば、無用之用はこのあたりに移転したんじゃなかったかな?

「無用之用」とはどのような場所なのか、字面だけ見てもよくわからないかもしれないが、片山淳之介さんがやっているれっきとした本屋である。店の裏にある細い階段を上ると、二階の店内からあかりが漏れているのが見えた。よかった、開いている。中に入ると、坊主頭で白いシャツという変わらぬ格好で、彼がいた。

片山さんとはじめて会ったのは、わたしがまだ店を開く前の話で、その時彼はリンゴを売っていた。当時わたしは、店を開くのにどこかいい場所はないか、自転車であちこち探していた頃だったが、三鷹の郊外を走っていたとき、道路脇に素朴な構えの、何か気を惹かれる店があったのだ。自転車を停め中を覗くと、テーブルにはリンゴジュースがたくさん積まれていて、看板には「ムカイ林檎店」と書かれている。リンゴの専門店自体、生まれてはじめて見た。

「あの時辻山さんが来られたのは、午後4時ころでした」

カウンターの奥から片山さんがそう言って、注文したハイボールを出してくれた。振り返ると店内には大きなディスプレイが掛けられていて、ライブカメラでいまの羽田空港の様子が映し出されている。カメラの角度のせいか、画面にはANA機の尾翼しか映っていないが、それを見ているだけでも、いますぐ全国のどこにでも行けるような気がしてきた。視線を窓の外にやるとぽっかりとした青空が見えるが、これは向かいの三省堂神保町本店のビルが建て替え工事中だからで、いま限定の景色だ。

「これ、毎日撮っとくと面白いかもよ」

そうしているだろうとは思いつつ、おせっかいにもそう言ってみると、「はい、定点撮影しています。うふふふ」という答えが返ってきた。

二杯目のすだちサワーを飲んでいたら、片山さんのパートナーの「美帆ちゃん」がやってきた。美帆さんは愛知県の岡崎市出身で、店にも一度、ご両親を連れてこられたことがある。片山さんは徳島県出身なので、話は自然と、日本各地の言葉や県民性に流れていった。

  • 神戸出身のわたしは、三重は近畿地方だとばかり思っていたが、名古屋にいたとき、「東海三県」に含まれるのだとはじめて知った(但し言葉は関西弁に近い)。
  • 四国四県は九州などに比べれば、足並みを揃えることはあまりない。特に片山さんの徳島は淡路越しに関西を見ているせいか、ほかの県の人からの当たりが強いという。
  • 東京から九州に転勤すると、人のよさに癒される。但し時間の感覚はのんびりとしていて、中でも宮崎の人は、ほかの九州の県の人からもたびたび話題にされるくらい、素朴でゆっくりしている。

などなど。こうした勝手な話は、みな身に覚えがあるのか、やけに盛り上がった。

これはよく話していることなんだけど……とわたしは二人に切り出した。転勤で福岡に住んでいたころは、本というものをほとんど読まなかった。何せ近くに玄界灘があるから、美味しい魚が安く手に入り、焼酎も豊富で家賃も安い。車で少し山のほうに行くだけで、天然の温泉もたくさんある。

「それは本も読まなくなるよ。生きてるだけで、体が勝手に満たされるからね。福岡から広島、名古屋、東京という順で転勤したけど、東に行くにつれ、電車にいる人の顔から明るさがなくなっていくような気がしたし、その代わり本はたくさん読むようになった……」

人はよく、「わたしはこういう人間だから」と、自分のことを決めてしまうけど、それも案外思い込みかもしれなくて、土地が変われば人間自体が変わってしまうことだってあるのだ。ただそれも、わたしが土地から影響を受けやすい体質なだけかもしれないが。

「まだ福岡にいたとしたら、こうした本も、リアリティをもって見ることができなかったかもしれないなぁ」

わたしはそう言うと、先ほど竹尾で買ってきた図録を撫でた。文字だけで構成された、寸分違うことのないデザイン。それは東京という土地が持つリアル、東京だから感じる種類の切実さなのかもしれない。

もちろん福岡には福岡のリアルがあり、それは全国どこの土地でも同じことだ。だから自分というものを、そこまで強く規定する必要はないという話。

今回のおすすめ本

ねえ、おぼえてる?』シドニー・スミス 原田勝=訳 偕成社

人の繊細な心の襞を、絵本というメディアで、このようにドラマティックに描くのは、わたしの知りうる限りこの人しかいない。母子の出発の朝の語り合い。そこには祝福があってほしい。

 

◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます

連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBSHOPでもどうぞ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

辻山良雄さんの著書『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』のために、写真家・齋藤陽道さんが三日間にわたり撮り下ろした“荻窪写真”。本書に掲載しきれなかった未収録作品510枚が今回、待望の写真集になりました。

 

○2024年4月12日(金)~ 2024年5月6日(月)Title2階ギャラリー

『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』小林エリカ原画展

科学者、詩人、活動家、作家、スパイ、彫刻家etc.「歴史上」おおく不当に不遇であった彼女たちの横顔(プロフィール)を拾い上げ、未来へとつないでいく、やさしくたけだけしい闘いの記録、『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』が筑摩書房より刊行されました。同書の刊行を記念して、原画展を開催。本に描かれましたたリーゼ・マイトナー、長谷川テル、ミレヴァ・マリッチ、ラジウム・ガールズ、エミリー・デイヴィソンの葬列を組む女たちの肖像画をはじめ、エミリー・ディキンスンの庭の植物ドローイングなど、原画を展示・販売いたします。
 

 

【書評】New!!

『涙にも国籍はあるのでしょうか―津波で亡くなった外国人をたどって―』(新潮社)[評]辻山良雄
ーー震災で3人の子供を失い、絶望した男性の心を救った米国人女性の遺志 津波で亡くなった外国人と日本人の絆を取材した一冊
 

【お知らせ】New!!

「読むことと〈わたし〉」マイスキュー 

店主・辻山の新連載が新たにスタート!! 本、そして読書という行為を通して自分を問い直す──いくつになっても自分をアップデートしていける手段としての「読書」を掘り下げる企画です。三ヶ月に1回更新。
 

NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて毎月本を紹介します。

毎月第三日曜日、23時8分頃から約1時間、店主・辻山が毎月3冊、紹介します。コーナータイトルは「本の国から」。4月16日(日)から待望のスタート。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
 

黒鳥社の本屋探訪シリーズ <第7回>
柴崎友香さんと荻窪の本屋Titleへ
おしゃべり編  / お買いもの編
 

◯【店主・辻山による<日本の「地の塩」を巡る旅>書籍化決定!!】

スタジオジブリの小冊子『熱風』2024年3月号

『熱風』(毎月10日頃発売)にてスタートした「日本の「地の塩」をめぐる旅」が無事終了。Title店主・辻山が日本各地の本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方をインタビューした旅の記録が、5月末頃の予定で単行本化されます。発売までどうぞお楽しみに。

関連書籍

辻山良雄『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』

まともに思えることだけやればいい。 荻窪の書店店主が考えた、よく働き、よく生きること。 「一冊ずつ手がかけられた書棚には光が宿る。 それは本に託した、われわれ自身の小さな声だ――」 本を媒介とし、私たちがよりよい世界に向かうには、その可能性とは。 効率、拡大、利便性……いまだ高速回転し続ける世界へ響く抵抗宣言エッセイ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

新刊書店Titleのある東京荻窪。「ある日のTitleまわりをイメージしながら撮影していただくといいかもしれません」。店主辻山のひと言から『小さな声、光る棚』のために撮影された510枚。齋藤陽道が見た街の息づかい、光、時間のすべてが体感できる電子写真集。

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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。

バックナンバー

辻山良雄

Title店主。神戸生まれ。書店勤務ののち独立し、2016年1月荻窪に本屋とカフェとギャラリーの店 「Title」を開く。書評やブックセレクションの仕事も行う。著作に『本屋、はじめました』(苦楽堂・ちくま文庫)、『365日のほん』(河出書房新社)、『小さな声、光る棚』(幻冬舎)、画家のnakabanとの共著に『ことばの生まれる景色』(ナナロク社)がある。

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