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本屋の時間

2024.03.15 公開 ポスト

散文的な人生辻山良雄

漫画家の鳥山明さんが亡くなった。わたしが中学生になったころ『ドラゴンボール』の連載がはじまり、わが家はずっと、父親が子どものために毎週『週刊少年ジャンプ』を持って帰ってくる家だったから、そのあらすじや登場人物はよく知っている。しかしそれについて誰かと語り合ったり、コミックスを全巻揃えたりということはなかったから、ハマったというほどではなかったのだろう(ほかの作品と比べ特に線がきれいで、洗練されているとは思っていた)。

しかし考えてみれば、当時人気漫画が目白押しだったジャンプの中でも、これが特別好きだったという漫画はなくて、どれも内容なら知っているという程度。いまならわかるがわたしは漫画というものが少し苦手で、特にジャンプが得意としていた長大なストーリー作品に、自分を預けることができなかったのだと思う。

 

もちろん当時、『ドラゴンボール』にハマっていた同級生はたくさんいた。このあたりが人生の分かれ目という気もしていて、そうした流行りをどう受け取ったかで、その後の人生の過ごしかたが変わってくるようにも思う(一旦社会に出てしまえば、人はモザイク模様のようにバラバラに散ってしまうが、それにハマった人ハマらなかった人でふたたび集めてみると、面白い違いが見えてくるのではないか)。

 

数年前、主人公がただ歩くだけ、歩くにつれて風景が少しずつ変わっていくだけという、谷口ジローの『歩くひと』を読み、これはわたしのための漫画だと思った。だがそれは漫画として読んでいたのではなく、描かれた風景のなかに自分を浸す、長いフィルムのようなものとして受け取っていたのだと思う。思えばこれまで心に残っている映画や小説についても同じで、重要なのはそれに触れているとき、世界に触れたと思えるかどうかということ。ストーリーは覚えていなくても、喚起力の強いワンシーン――例えば映画『ユリシーズの瞳』で、重たい空の下、ドナウ川をゆったりと流れていく巨大なレーニン像や、『秋刀魚の味』で唐突に挟み込まれる軍艦マーチ――だけをいつまでも憶えているのだ。

わたしはおそらく、世界をストーリーのある物語として読んでいるのではなく、そのときそこにある一片の詩のようにして見ているのだと思う。だから人からはよく淡々としているねと言われるが、この人とは少し合わないなと感じるときなどは、掘り下げていけばそのあたりに根深い違いがあるのだろう。

そしてそうした自分がつくる店も、“思いにあふれた店”ではない。それはできる限り“思い”を排したもの、その時々で本の重なりがつくる一つの世界として、より完成度が高いものを目指している。そこにわたしの物語はなくても、棚の中に一つの世界が現れていればそれで正解、それがうまくいっていればいいなと思うのだ。

 

しかし、そうした散文的な人生を生きていれば、孤独ということは避けられない。街を歩いていて、ふと自分だけがその中にいないと感じるときがあるが、そのようなわたしは、世界を見ることに慣れすぎて、その扉を開くことを忘れてしまっているのかもしれない。

わたしはこのまま世界を見ているだけなのか?

それって生きていると言えるのだろうか?

少し疲れたときなどには、そうした気持ちに取りさらわれることもある。

人間とはわがままなもので、たまにはわたしも物語が恋しくなるのだった。そしてそのために扉は開かれなければならず、そこにいる他者の存在があってはじめて、わたしはわたしの物語を生きることができるのかもしれない。

もう遅すぎるかもしれないが、そうした出入りがうまくできる人になりたい。

今回のおすすめ本

口の立つやつが勝つってことでいいのか』頭木弘樹 青土社

語られなかった思い、言い淀みにこそその人の真実がある。弱い人への視線があたたかな、著者はじめてのエッセイ。

◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます

連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBSHOPでもどうぞ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

辻山良雄さんの著書『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』のために、写真家・齋藤陽道さんが三日間にわたり撮り下ろした“荻窪写真”。本書に掲載しきれなかった未収録作品510枚が今回、待望の写真集になりました。

 

◯2025年7月18日(金)~ 2025年8月3日(日) Title2階ギャラリー

「花と動物の切り絵アルファベット」刊行記念 garden原画展

切り絵作家gardenの最新刊の切り絵原画展。この本は、切り絵を楽しむための作り方と切り絵図案を掲載した本で、花と動物のモチーフを用いて、5種類のアルファベットシリーズを制作しました。猫の着せ替えができる図案や額装用の繊細な図案を含めると、掲載図案は400点以上。本展では、gardenが制作したこれら400点の切り絵原画を展示・販売いたします(一部、非売品を含む)。愛らしい猫たちや動物たち、可憐な花をぜひご覧ください。


◯2025年8月15日(金)Title1階特設スペース   19時00分スタート

書物で世界をロマン化する――周縁の出版社〈共和国〉
『版元番外地 〈共和国〉樹立篇』(コトニ社)刊行記念 下平尾直トークイベント

2014年の創業後、どこかで見たことのある本とは一線を画し、骨太できばのある本をつくってきた出版社・共和国。その代表である下平尾直は何をよしとし、いったい何と闘っているのか。そして創業時に掲げた「書物で世界をロマン化する」という理念は、はたして果たされつつあるのか……。このイベントでは、そんな下平尾さんの編集姿勢や、会社を経営してみた雑感、いま思うことなどを、『版元番外地』を手掛かりとしながらざっくばらんにうかがいます。聞き手は来年十周年を迎え、荒廃した世界の中でまだ何とか立っている、Title店主・辻山良雄。この世界のセンパイに、色々聞いてみたいと思います。

 

【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】

スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。

『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』

著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト

 

◯【寄稿】

店は残っていた 辻山良雄 
webちくま「本は本屋にある リレーエッセイ」(2025年6月6日更新)

 

◯【お知らせ】NEW!!

〈いま〉を〈いま〉のまま生きる /〈わたし〉になるための読書(6)
「MySCUE(マイスキュー)」 辻山良雄

今回は〈いま〉をキーワードにした2冊。〈意志〉の不確実性や〈利他〉の成り立ちに分け入る本、そして〈ケア〉についての概念を揺るがす挑戦的かつ寛容な本をご紹介します。

 

NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて本を紹介しています。

偶数月の第四土曜日、23時8分頃から約2時間、店主・辻山が出演しています。コーナータイトルは「本の国から」。ミニコーナーが二つとおすすめ新刊4冊。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。

関連書籍

辻山良雄『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』

まともに思えることだけやればいい。 荻窪の書店店主が考えた、よく働き、よく生きること。 「一冊ずつ手がかけられた書棚には光が宿る。 それは本に託した、われわれ自身の小さな声だ――」 本を媒介とし、私たちがよりよい世界に向かうには、その可能性とは。 効率、拡大、利便性……いまだ高速回転し続ける世界へ響く抵抗宣言エッセイ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

新刊書店Titleのある東京荻窪。「ある日のTitleまわりをイメージしながら撮影していただくといいかもしれません」。店主辻山のひと言から『小さな声、光る棚』のために撮影された510枚。齋藤陽道が見た街の息づかい、光、時間のすべてが体感できる電子写真集。

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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。

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辻山良雄

Title店主。神戸生まれ。書店勤務ののち独立し、2016年1月荻窪に本屋とカフェとギャラリーの店 「Title」を開く。書評やブックセレクションの仕事も行う。著作に『本屋、はじめました』(苦楽堂・ちくま文庫)、『365日のほん』(河出書房新社)、『小さな声、光る棚』(幻冬舎)、画家のnakabanとの共著に『ことばの生まれる景色』(ナナロク社)がある。

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