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ひらりさ⇔鈴木綾 Beyond the Binary

2023.03.08 公開 ツイート

ジェンダーを“粘土”にたとえた綾へ。固まった自分をふたたび変えていくためのフェミニズムのこと ひらりさ

(写真:ひらりさ)

ひらりさ→鈴木綾

綾へ

ロンドン生活の長い綾でもスリにあうとは! 本当に大変な一週間だったんだね。Twitterで綾はウィーンで行った舞踏会の様子を発信していて、日本企業でばりばり残業していたわたしは優雅で羨ましい〜と思っていたけど、ソーシャルメディアでわかるのは綾の一面だけだった。

文字の話が新たな鈴木綾伝説を引き出せると思わなかった。そしてそこから、8歳のときに綾がすでに感じ取っていた、内面化されたジェンダーの違和感の話につながるとも。前回このくだりを書いた自分にナイスジョブと言おう。

さて。

“フェミニズムは社会の「嘘」を浮かび上がらせる”
“フェミニズムは人の「サイズ」を見せてくれる「透視図法」だ”
“「そうだ、私は他人と同じ背丈があるんだ」と自分の価値に気づく”

綾の言葉選び、さすがだと思いました。逆に言えば、家父長制やジェンダー/セクシュアリティの二元論は人々を管理し、それぞれの「サイズ」を見誤らせる――女性に男性に従ったりサポートしたりせよとわきまえさせる――「嘘」に他ならないよな〜としみじみ思わされた。

そして質問に答えてくれてありがとう。綾が見に行ったという舞台「Gabriel」、一緒見たかったなあ。

いきなり、男性が私に性的関心を持っていること、自分が男性に及ぼせる性的力、そして男性たちが私にふるうことができる暴力に気づいた。ガブリエルと同じように、とても悲しい気づきだった。

「Gabriel」は知らなかったけれど、ジョルジュ・サンドのことはわたしも大学院の授業で知った。「まともな」女性が街を歩くことを許されなかった時代に、異性装をして、外に繰り出した。綾の言葉を借りれば、“粘土をいじる”ように「女」の形にされた自分を変容させようとしたフェミニストのひとりだね。

ジェンダーについて綾が粘土のたとえを用いるのは、とても心強いことだ。だって、”粘土はまた形を変えられる“。わたしは「女」について語るとき、自分のなかの「固まってしまった」部分への悔しさと愛しさを第一に思ってしまう。もちろん、変えられる部分もあるとは感じているからこそする話なのだけど。だからこそ、こういうときに「まだ変えられる」部分にみんなが着目しやすい言葉を使える綾のセンスを素敵だと思う。

今ちょうどAmia Srinivasanの’The Right to Sex’の訳書である『セックスする権利』(勁草書房)を読んで、あまりの面白さとウィットと説得力に一気読みして、感想をツイートしまくっているところだった。その、表題作でもあるエッセイ「セックスする権利」の締めくくりに、(文脈は違うのだけれど)綾の哲学と呼応するものを感じた。

「欲望は政治によって選ばれたものに逆らい、欲望そのもののために選ぶことができる」

インセルが提唱する「セックスする権利」を断固として否定しながらも、わたしたちのセクシュアリティや性的選好がいかに政治的に形成され構造的差別を温存しているかを炙り出す明晰な文章だ。自分がすでにこうである、と思っていることを疑うこと、もう変わらないと思っていることに抗っていくこと。「少しずつでも変えられる」という希望がフェミニズムであり、自己肯定感であり、自分の背丈に気づくことであり、やがてもはやはるか昔にがちがちに固まってしまったかに思える社会のほうを変える力がある。

綾からの質問に移ろうか。

「イギリスの人たちとBLの話をした時、どんな反応があった? そして、りさは女性読者のコミュニティに入っていたと思うけど、もっと幅広いLGBTQ+のコミュニティはBLをどう見ているの? 気になります!」

これね〜〜〜。英語が全く上達せずロンドンでほぼ友達を作れなかった話は初回で書いたよね。そのため私は、イギリスの人たちとBLの話を……ほぼしていない!(笑)一度クラスで日本のボーイズラブと「腐女子」というファンダムについてプレゼンテーションを行う時間を先生が設けてくれたんだけど、拙い英語で伝えるべきことを伝えることに脳味噌を使い切ってしまい、その後のオーディエンスの反応をほとんど覚えていない(涙)。

ただ、同級生で、トランスジェンダーであることを表明している子が「BLを書店で見つけてエンパワメントされたことがある」とポジティブなコメントをしてくれたのは記憶に残っている。ちょうど日本のウェブメディアの記事でも、フランスではBLを愛好しているトランス男性が一定数いるという話を読んで記憶に残っていた。記事でインタビューを受けていた人は「トランス男性は『どういう男性になりたいか』を自分で考える必要があります。その時に、フランスで長らく主流だったマッチョな強い男性像とは全く違う男性を描くBL作品が参考になるんです」と語っていた。フランスのBLファンコミュニティのうち過半数が性的マイノリティだという調査結果も紹介されていた。

これは日本の状況とはかなり異なる。日本では、BL=ヘテロセクシュアル女性が書き、ヘテロセクシュアル女性を書くものとしての歴史が長い。そのため、ボーイズラブカルチャーには、現実のゲイ当事者の表象を剽窃している、差別を助長する、という批判も根強かった。過去にはゲイと腐女子の論客のあいだで「やおい論争」というのもあったほどだ。BL文化の歴史もだいぶ長くなり、「BL同人誌を読んで、男が男を好きになるのも変じゃないんだと思えた」と語るクィア当事者は増えてきた。より現実の同性愛表象に配慮したBL作品も生まれているし、タイBLなど、日本のBL文化を参照しながらも独自の洗練をとげてきた海外コンテンツが輸入されたのも大きいだろう。それでもやはり「ヘテロセクシュアル女性によるセックス・ファンタジー」としての側面は引き続き強い。

そういう中でわたしがやりたかったのは……社会から「ヘテロセクシュアル女性」として「固められている」ように見える女性たちの、クィアなセクシュアリティが、BLを読書している時間と空間のなかでは守られ、彼女たちの現実の生活にも長い目で見ると影響を及ぼすのではないかという調査だった。先行研究として、BLファンダムにおけるヘテロセクシュアル女性たちのコミュニケーションに含まれる親密性を「バーチャル・レズビアン」と名付けたものがあり(溝口彰子『BL進化論』)、これに触発された形だ。

付け焼き刃の知識とスキルで書き上げたインタビュー調査ベースの修士論文は、たぶんアカデミアの素養がある人から見たらつっこみどころ満載だとは思うが……11人に取材をした結果、一応自分の仮説を多少なりとも裏付ける結論は出せた、はず。博覧強記でハイパーオタクな指導教員にアドバイスを受け、フーコーの「ヘテロトピア」とか、バラードの「エージェントリアリズム」(ジェンダー・パフォーマティビティに量子力学の理論を応用、というのマジで意味わからなかったが先生に噛み砕いてもらってどうにか使った)とかをガンガン盛り込んだのも楽しかった(笑)。

でも一番よかったのは、その論文で、研究者である自分の感情や経験も記述するという「オート(自己)エスノグラフィー」の手法をとったことだ。

わたしの新刊って、ようはオートエスノグラフィーなのだ。論文執筆を通じて、自分という対象を徹底的に切り刻んで解剖して腑分けする手法を学べた。しんどいことはしんどいので何度もはできないな〜とは思ったのだけれど(笑)、わたしのフェミニズムの実践は、おそらくこれからも何らかのオートエスノグラフィーであり続ける気がする。

ああ、日付が変わりそう。今回も長くてごめん!

じゃあ、綾に最後の質問。

「綾はロンドンで英語を使って暮らしながら、第一言語ではない日本語で文章を書いている。日本語で文章を書き、伝えることは、綾自身にどんな影響を及ぼしている?」

いつか綾に英語の手紙も送りたいなあ。そのときはきっと、手書きで!

ひらりさ『それでも女をやっていく

「肥大化した自意識、『女であること』をめぐる様々な葛藤との向き合い方。 自分の罪を認めて許していくこと。 その試行錯誤の過程がこれでもかというほど切実に描かれていて、 読み進めるのが苦しくなる瞬間さえある。 それでもここで描かれているりささんの戦いの記録に、私自身も戦う勇気をもらうのだ」 ――「エルピス」「大豆田とわ子と三人の元夫」プロデューサー 佐野亜裕美さん推薦! 実体験をもとに女を取り巻くラベルを見つめ直す渾身のエッセイ!

関連書籍

鈴木綾『ロンドンならすぐに恋人ができると思っていた』

フェミニズムの生まれた国でも 、若い女は便利屋扱いされるんだよ! 思い切り仕事ができる環境と、理解のあるパートナーは、どこで見つかるの? 孤高の街ロンドンをサバイブする30代独身女性のリアルライフ 日本が好きだった。東京で6年間働いた。だけど、モラハラ、セクハラ、息苦しくて限界に。そしてロンドンにたどり着いた――。 国も文化も越える女性の生きづらさをユーモアたっぷりに鋭く綴る。 鮮烈なデビュー作!

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ひらりさ⇔鈴木綾 Beyond the Binary

社会を取り巻くバイナリー(二元論)な価値観を超えて、「それでも女をやっていく」ための往復書簡。

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ひらりさ

文筆家。1989年生まれ。オタク文化、BL、美意識などのテーマで、女性についての様々なエッセイ、インタビュー、レビューを執筆する。単著に『沼で溺れてみたけれど』(講談社)。 平成元年生まれのオタク女子4人によるサークル「劇団雌猫」メンバー。劇団雌猫としての編著書に、『浪費図鑑』(小学館)、『だから私はメイクする』(柏書房)など。

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