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ひらりさ⇔鈴木綾 Beyond the Binary

2023.02.22 公開 ポスト

友人関係に「軸」がある綾へ。自己肯定感と格闘する私だけど、20代の頃からは変わったよひらりさ

(写真:ひらりさ)

ひらりさ→鈴木綾

返事ありがとう! コロンビアのフラワーマーケットって聞いただけでわたしもロンドンにいるような気がしてきたよ〜。いつか行こうと思っていたのに一度も行けずに日本帰ってきちゃったなあ。

一週間かけて、自分が書いた手紙に返事をもらえるっていうのはすごくワクワクするね。WhatsAppやTwitterですぐレスポンスが返ってくるとは違う感覚。今の小学生はどうか知らないけど、わたしが子供の頃には仲良しの友達との「交換日記」が盛んだった。あれを思い出す。綾もやったことある?

そういえば日記とか文通って、すごくガールズカルチャーだよね。遡ると、女子校よりもインターネットよりも、小学生時代の交換日記に、わたしの「女子」としての自意識の源流があるかもしれない。ほんと〜〜に大好きで、同時に2〜3冊は交換日記を回していた記憶。わたしの字は今でも、あのとき交換日記をやっていた三人の友達の文字の特徴を取り込んだものだ。そういえばこの往復書簡をスタートするときに、綾が手書きのアイデアメモの写真を送ってくれたよね。あれも、綾の一面が知れた感じでうれしかった。

「『友達破局』の描写はポップカルチャーで御法度に等しい」という綾の指摘、なるほどでした。わたしは細かく解剖された愛のステージについてはポップカルチャーで学んできたけれど(綾の言う通り、それが正しいものというわけではないのが本当に厄介!)、友達関係については赤ちゃんも同然で大人になってしまったのだろう。

これはでも(ねっとりと)書きましたが、中高一貫6年間を同じ人々と過ごす女子校に在籍し、クラスが変わっても、同じ趣味や部活を通じたコミュニティを継続していたから、疎遠になりたくてもなれなかったし、もしかしたら普通はそこで終わりになるような物事が結局なし崩し的にうやむやになったのもあったのかもしれない。とにかく10代のわたしが積み重ねた経験って、社会に出てからのわたしの人生には全く通用しなかったのだ(そういう場所で過ごせたことを、面白かったと考えているけれど)。

あとは、友人関係であっても、一対一の深いかかわりは、社会に出てからのほうが起きやすかったように思う。当然ぶつかりやすくもなった。関係が続いているのは結局、一対一での時間以上に、複数人でワイワイやることで、二人のあいだに「密室」が発生しないようにしている相手だとも思った。いや〜、でも、話が弾む友達とは二人でえんえんとしゃべっていたいんだけどね!

だから、綾みたいな人でも、友達との関係で悩むことがあるんだ!というのを聞けて安心しました。「鈴木綾哲学」という判断軸をしっかり持ちつつも、それでも「相当悩んだ」という綾のバランス感覚、チャーミングだと思うし尊敬もしている。

「みんなのフェミニズム」という言葉にハッとしました。そもそもフェミニズム自体、さまざまな定義が唱えられているし、さまざまな側面を持つ言葉。この言葉をどうとらえるかということ自体が、フェミニストそれぞれの姿勢を表す。綾がフレームワークとしてフェミニズムを用いることを重視しているという姿勢、その具体例、なるほどなあと思ったし、綾らしいなと思いました。

質問もありがとう。

「自分を肯定できる時はどんな時? 書くときはそういう肯定感をもらうの? もともと自己肯定感の低い人たちはあとから身につけられるの?」

アイデアメモにも“self-confidence and identity”と書いてくれていたよね。今回のエッセイ集はフェミニズムの話に重ねて、わたしのダメ自分語りを徹底的にしたらどうなるのか、という、婉曲な目論見を持った本なのですが、この二つをつなげる骨組みとして「社会や環境によって低められた自己肯定感とどう向き合うか」という問いが存在しているなあとは、書きながら意識していました。言葉として「自己肯定感」が出てきたのはたぶん1〜2回のはずだけれど、きちんと拾ってくれて嬉しい。
 
でも、うーん、まだ、わたしはこの答えを持っていないかもしれない……。「お仕着せの平均的な幸せを追求することや、他人からの承認にすがることは、一時的に酸素を供給してくれるようにも見えるが、本当の解放から遠ざかることが多い気がする。わたしにとってフェミニズムはそれに気づくきっかけでもあった」という要約ができる本を書いたつもりではいるのですが、つまり、この本でわたしは、自分を肯定するところまでは至っていない。

わたしの場合は、自己を肯定できなかろうが、自分は自分でしかない、ということを認める、という地点に、今回の新刊で立ったって感じです。伝わるかな……。そして、自分が自分であることには他人や環境も当然関わるけれど、やっぱり自分の責任だって感じかなあ……。伝わるだろうか……。綾ならきっと、赤ちゃんのときから体得していそうなことばかりだけど!

自分だけの力で自己を肯定している瞬間は、まだありません! たぶん20代半ばくらいまでは「わたし以外の誰かになりたい」って永遠に思っていた。わたし以外の誰からなら誰でもいいくらいに思っていたかもしれない(もちろんそれは傲慢で狭量に制限された「誰でも」であって、本当は「誰でもではない」のだが)。

実は、現代のわたしたちは、「わたし以外の誰か」になる方法を持っている。そう、インターネット。親がつけたのとは別の名前を名乗ったり、経歴を創作したり、ものすごく加工した写真を使ったりもできるし。新しい自分のアイデンティティを得ることができる。

そんな場所でも「ひらりさ」という名前で、過去の実際の経歴も明かしながら発信し続けているのは結局、わたしはなんだかんだ言ってわたしの実人生をそこそこ気に入っており、しかし細部に文句をつけているだけなのだという気がしなくもないね。なので、「ひらりさ」として発信しているときのわたしは、自分を肯定していると言えるのかもしれない。まーーー、でも、それはTwitterで「いいね」をもらえたりするからなのかもしれないな……。33歳にもなってソーシャルメディアで肯定されていて恥ずかしいが……。

(そしてソーシャルメディアのアテンション・エコノミーや、メディアがせきたてるエンパワメント、セルフラブのトレンドは、ミソジニーやジェンダー不平等をなおさら拡大しうるというのが、昨今のフェミニスト・スタディーズで問題視されていることでもある。サラ・バネット・ワイザーの‘EMPOWERED‘という本はとても面白かった。読んでなかったらおすすめ)

でも、今回、初めて、100パーセント自分の言葉で本を書いてみて、本を書くというのは、「いいね」の外側に行くことだなと思った。140文字はともかく、10万字も他人の顔色伺いながら書くのは難しい。「いいね」なんてどうでもいいや、と最後には全部放り捨てなければ校了できなかった。この感覚を持てた点で、「インターネットで即時に小出しに書く」ことではなく「紙にゆっくりたくさん書く」によって、わたしVS自己肯定感の戦いが別のフェーズに行きそうな感覚は……あるのかもしれない。

自己肯定感に問題を抱えていない人は、「自己肯定感」という言葉すら頭に浮かばないはず……とは思っていて。ある意味では「自己肯定感」という言葉が、人々に「目盛り」を与え、コントロールできるものだと思わせてしまったことが新たな問題を招いている部分もありそう。もちろん、社会に「女性の自己肯定感を奪う構造」があるのは間違いないので、そこは「みんなのフェミニズム」のようなフレームワークが効いてくるのだと思う。

だけど、ミクロな個人の話でいうと、いま自己肯定感を慰撫してくれている物事のことすら「どうでもいいや」と思えることが、“自己”を“肯定”することの第一歩なのかなあと思います。

長くなってしまった。綾に質問!

「綾は自分が生まれながらにして『女』だったと思う? 女に『なった』のだと思う? 後者の場合、どういう記憶があるか、10代や20代の話を教えてほしい」

東京は週末、雪が降っていました。ロンドンはもっと寒いよね。ビタミンD摂取を忘れずに!

ひらりさ『それでも女をやっていく』

「肥大化した自意識、『女であること』をめぐる様々な葛藤との向き合い方。 自分の罪を認めて許していくこと。 その試行錯誤の過程がこれでもかというほど切実に描かれていて、 読み進めるのが苦しくなる瞬間さえある。 それでもここで描かれているりささんの戦いの記録に、私自身も戦う勇気をもらうのだ」 ――「エルピス」「大豆田とわ子と三人の元夫」プロデューサー 佐野亜裕美さん推薦! 実体験をもとに女を取り巻くラベルを見つめ直す渾身のエッセイ!

関連書籍

鈴木綾『ロンドンならすぐに恋人ができると思っていた』

フェミニズムの生まれた国でも 、若い女は便利屋扱いされるんだよ! 思い切り仕事ができる環境と、理解のあるパートナーは、どこで見つかるの? 孤高の街ロンドンをサバイブする30代独身女性のリアルライフ 日本が好きだった。東京で6年間働いた。だけど、モラハラ、セクハラ、息苦しくて限界に。そしてロンドンにたどり着いた――。 国も文化も越える女性の生きづらさをユーモアたっぷりに鋭く綴る。 鮮烈なデビュー作!

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ひらりさ⇔鈴木綾 Beyond the Binary

社会を取り巻くバイナリー(二元論)な価値観を超えて、「それでも女をやっていく」ための往復書簡。

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ひらりさ

文筆家。1989年生まれ。オタク文化、BL、美意識などのテーマで、女性についての様々なエッセイ、インタビュー、レビューを執筆する。単著に『沼で溺れてみたけれど』(講談社)。 平成元年生まれのオタク女子4人によるサークル「劇団雌猫」メンバー。劇団雌猫としての編著書に、『浪費図鑑』(小学館)、『だから私はメイクする』(柏書房)など。

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