
米派か、小麦派か――食いしん坊にとっては永遠の問題である。
私はどちらも大好きだ。
以前、角川春樹さんから「米のうまい店に連れていってやる。あの店の米は、小食の作家でもおかわりしてしまうんだ」とお声がけいただいたことがある。さすが角川社長、本当に美味しいお米で、数えきれないくらいおかわりして(担当編集さんによると五回おかわりして、茶わん六杯ぶん食べていたらしい)、釜の米をすべて食べてしまった。
ちなみに、その会食中、角川社長にどうしても訊きたいことがあった。「社長、どうやったら幽霊を見られますか?」
私には霊感というものがまったくない。友人で「見える」という人が何人かいて、その人たちが「ここはやばい」と言う場所でも、私は何も感じない。だからといって、幽霊なんていないと結論づけたくない。幽霊も妖怪も七不思議も存在する世の中のほうが絶対面白い。だから幽霊はきっといるという前提で、いつか幽霊を見てみたいと思って生きている。
角川社長は数々の伝説を残してきた男、いや、現在進行形で伝説を残し続けている男だ。幽霊との遭遇方法をきっと知っていると思って尋ねてみた。すると社長、「こんなに飯を食う奴は、まず、幽霊を見られない」とのこと。なんと、やはり私は幽霊を見られないらしい。うすうす感じていたことではあったが、角川社長に言われると諦めもつく。
ちなみに角川社長は、折口信夫の幽霊と遭遇し、同行者を守るべく、撃退したことがあるという。さすが社長、スケールが違う。
思わず角川春樹伝説を挟んでしまったが、米か小麦かの話である。
米ももちろん好きなのだが、小麦、特にパスタが好きだ。さらにいうと、トマトパスタが大好きで、病めるときも健やかなるときも、トマトパスタを食べてきた。
トマトパスタとの出会いは十五歳のときにさかのぼる。中学卒業までを宮崎県で過ごしたが、高校入学と同時に、単身赴任中の父のもとへ移り、父との二人暮らしを始めた。そのタイミングで母が教えてくれた料理が「トマトパスタ」だった。
オリーブオイルとニンニク、唐辛子、茄子、トマトの水煮缶を使ったシンプルなレシピだった。どういうわけか私はドハマりし、高校時代、繰り返しつくった。飽きもせず、昼も夜もトマトパスタである。次第に自分なりにアレンジを加えるようになってくる。茄子をズッキーニにしてみたり、アンチョビやバジル、ツナ缶を足してみたり。テスト前の忙しい時期も、テストが終わって疲れたときもトマトパスタを食べた。受験に失敗したときも合格したときも、就職が決まったときも、何かあるたびにトマトパスタを食べている。
目についたレシピは試してみる。
特にハマったのは落合務シェフがご著書で紹介しているレシピだ。「えっ、こんなにオリーブオイル使うの? こんなにお塩入れるの? チーズこんなに入れて大丈夫?」と戸惑う分量が提示されているが、つくってみるとこれが美味い。

近頃はYouTubeで、イタリアンシェフたちが様々な調理方法を実演している。トマトクリームパスタから、キノコ多めの和風の味つけ、ぴりりと辛いアラビアータまで、一口にトマトパスタといっても幅広い。
素人の私が言うのも何だが、だんだんとイタリアンのコツをつかんできた。イタリアンというのは結局、オリーブオイル、唐辛子、バター、ニンニク、チーズの五大要素からできており、この要素のうちどれを主役にするか、それぞれのバランスをどうとるか、その構成にかかっているように思う。
味を組み立てていく過程は、小説を書くのとすごく似ている。設定、キャラクター、ストーリー、描写、テーマ性、色んな要素のうちどれを引き立てていくか。小説を読むと、著者なりのバランス感覚や組み立てかたが垣間見えて面白い。同様に、レシピを見ると、「なるほど、この人はニンニク推しだな」とか「あーはいはい、バターを中心に据えてみたんですね」とか、考案者の意図が見える。それが面白い。
店でトマトパスタを見かけると、ついつい頼んでしまう。店によって組み立ての違いが面白いのだ。
「PRONTO」の「とろ~りモッツァレラのトマトソース」は、提供時間や価格に比して味が良いと思う。生パスタのため茹で時間が短いのも功を奏しているが、何より、生パスタ特有のもちもちとした食感が溶けたモッツァレラのとろ~り感と混然一体となるのがいい。食感を味わう一品だと思う。
他に好きなトマトパスタとして「あるでん亭」の「ファンタジア」というパスタをあげたい。このパスタは、飽きるのではないかというくらい、しつこく、繰り返し食べている。日本に一時帰国するたびにタクシーで銀座か新宿にのりつけ、あるでん亭に駆け込む。ファンタジアというのは、アンチョビバターがきいたトマトパスタだ。具はたっぷりのツナとしいたけである。これが美味い。そのままでもいいのだが、私はいつも「少し辛め」オーダーで、唐辛子を入れてもらっている。やみつきになってしまって、海外で食べられないのが寂しい。家で何度も再現しようとして失敗している。もしかすると、使用しているツナとアンチョビの種類が違うのかもしれないと思うのだが、未だに謎は解明されていない。

実は先日、ローマに行く機会があった。ポーランドで働いている友人とローマで待ち合わせして、遊ぶ約束をしていたのだ。ところが、ロシア・ウクライナ戦争の影響もあってか(ポーランドはウクライナと隣接している)、ポーランドからの航空便が乱れに乱れ、友人は直前でこられなくなった。
ローマに前入りしていた私はやや途方にくれたが、予定もなく放り出されたのも何かの縁である。ふらふらと市街地と歩いて回ることにした。そしてふと思った。イタリアといえばパスタである! 本場のパスタを食べてみたい。レビューサイトで評判上々の店に入ってトマトパスタを注文した。
出てきた皿にはドーム型のディッシュカバーがついていた。カバーを開けた途端、オリーブオイルとベーコンの香りにやられた。完敗だ……と思った。
口に入れると、これまでに経験したことのないもちもちとした食感である。どういう仕組みなのかまったく分からないが、柔らかいのにもちもちしていて、それなのに芯もある食べ心地なのだ。「これが本当のパスタなのか……」と、目が開かれる思いだった。旅行中、手当たり次第にパスタを食べたが、どこも本当に美味しい。
どうやったらこの味を再現できるんだと途方に暮れながら、ローマのホテルでテレビをつけると、朝の情報番組でお料理コーナーをしている。今日のお題は「カルボナーラ」。渡りに船、紹介された通りにつくってみよう、とメモを片手にテレビにはりつく。
ところが、冒頭でずっこけそうになった。「まずは麺をつくりましょう」。「小麦はデュラムセモリナ粉、水を適量、パスタマシンは一般的なもので構いません……」。一般的なパスタマシンとは、一体何なのだろう。
そこで気づいたのだが、自分の状況はたとえば、欧米人が日本にきて食べた「炊き込みご飯」のうまさに感動し、自分でつくってみようとするが、「そもそもrice cooking machine(炊飯器)って何だよ」と思うのと同じだ。
そういえば、ローマで食べたパスタの美味さの根源は、麺である。五大要素のバランスがどうといったことを一人前に考えていたのも恥ずかしい。バランス云々がふっとぶほどに、まず麺が美味い。
こういう小説ってあるよなあ、としみじみ思った。設定がどうとか、キャラクターがどうとか、ストーリーがどうとか、そういうのがどうでもよくなるほど文章がうまいパターンである。文章を読ませてもらうために本を読むので、話の筋はもはやおまけのようなものだ。
どうやったらそんなパスタ(と小説)つくれるんだよと打ちのめされて、イギリスに帰った。ちなみに、イギリスのパスタは麺が柔らかすぎて、これぞ! というものに未だ出会えていない。文学では多くの名作を生みだしている国なのに、パスタはつくれないんだな……。
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帆立の詫び状

原稿をお待たせしている編集者各位に謝りながら、楽しい「原稿外」ライフをお届けしていこう!というのが本連載「帆立の詫び状」です。