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ネコがいっぱい

2022.02.22 公開 ツイート

『猫には嫌なところがまったくない』

CP(チャッピー)をくれたおばあちゃんのこと 山田かおり

キレ者の女ボス・黒猫“CP(チャッピー)”と、クリームパンみたいな手を持つ“のりやす”は、仲良くないのにいつも一緒。笑いと涙が溢れる日々を綴ったエッセイ『猫には嫌なところがまったくない』(山田かおりさん著)から、幸せな時間のかけらをお贈りします。猫と暮らす人たちの数だけきっとある、素敵な出会いのストーリー。

*   *   *


CPを初めて見たのは天神橋筋商店街だった。アドリブでのせたカツラがずり落ちそうなおばあちゃんと、前歯のシステムがジグソーパズルのようなおじさんで営む『高級アクセサリーショップあだち』という店。入り口には汚い鳥かごが置いてあり、CPはその中に入っていた。窮屈そうで不憫には思ったのだけれど、真顔なのにふざけたちょび(ひげ)がついていたので吹き出してしまった。すっかり目を奪われた私は、前を通っては引き返すを繰り返していた。私は家に帰ったあとも、目が合ったときのあのびっくりしたような丸い目と、愉快なちょび髭をずっと思い出していて、いつか妹にも見せたいと思った。

その日もCPは鳥かごの中にいて、私たちがしつこく見ていたせいか、“いるか?”と言って難解な歯をしたおじさんが声をかけてきた。“かわいいやろ、プリンちゃんいいますねん”。名前の由来はチャップリンからきている、 面白い顔なのでここに置いているとおじさんは教えてくれた。CPは見世物として扱われていたせいか、ふさぎ込んで目を合わせなかった。

“姉ちゃんもらいいや”と妹が言ったとき、ひと目見たときからその言葉を待っていたような気がしていた。実家にはいつも猫がいたけれど、所詮は母のものという意識だったから、独り暮らしの私には世話をする自信がなかった。“こんな鳥かごかわいそうやん”。他人事(ひとごと)だと思っている妹の押しは強い。

“ほなかわいがったってな”とおじさんは言うと、鳥かごのままのCPと千円をくれた。それで私たちはタクシーで帰ってきたのだけれど、晩のうちにCPは姿を消した。

 

古い長屋。コンクリートブロックで塞いでいた玄関の小さな穴から外へ脱出したようだった。あんな小さな体であの大きなブロックを夜通しかけて動かしていたなんて根性がある。その日から夜になって私が床に就くと、 床下からカサコソと音が聞こえるようになった。逃げて行った玄関の穴の前に置いた鰻をうちわで扇ぐと翌朝皿は空だった。つまり床下にいるということだった。毎夜毎夜そんなことを続けて1ヶ月ほど経ったある朝、皿に鰻は残ったままだった。CPは床下から外の世界へ逃げることに成功したらしい。

CPが床下へ姿を消してからというもの、半ば私はノイローゼ気味だった。その証拠にタウンページの何でも屋を呼んで床下の猫を救出してくれと依頼しては無理だと断られてきたからだった。一度『ワシなんでもできまっせ』と自信満々のおじさんがやって来たときは、逃げた蛇を捕まえた武勇伝を散々聞かされて期待させられたあげくに床下に入るのは不可能だと告げられた。『おっちゃんが小っさなったら良かったんやけどごめんな』と言っておじさんは帰って行った。諦め切れず泣いている私に『辛いときはいつでも電話しといで、おっちゃん聞いたるさかい』と言った言葉を鵜呑みにして、それからしばらくのあいだ私はおっちゃんに(らち)のあかない泣き事を電話で聞かせていたにもかかわらず『そのうちなんとかなるがな』といつだって前向きに対応してくれた。

 

近くの公園を通り抜けたとき、ゴミ箱の後ろに潜んでいたCPと目が合いお互いびっくりしたのを覚えている。昼間に公園で“チャッピー!”と 大声で呼ぶと、どこからともなく姿を現すCPは民家の屋根を走りながら私の元へやって来た。夜はたいていゴミ箱の後ろで身を潜めて、キャットフードを待っていた。しかしどんなに餌付(えづ)けしても警戒心の強いCPは触らせてくれなかったけれど、そのうち自ら足元に擦り寄ってくるようになったタイミングで(つか)んで家に連れ帰った。ここからCPと東京へ引っ越したりこうして大阪に戻ってきたりと私たちの長い同居生活が始まった。

 

あれから十数年が経つ。今でも気が向くと私はおばあちゃんに電話して猫の近況報告をする。しかし90歳を超えた老人と電話で話をすることは困難だ。そもそも私に猫を譲ったことさえ忘れている 。『元気ですか? 猫も元気ですよ』と言えば『そう、猫好きなん? ほんであんた誰?』とあっけらかんと返される。『おばあちゃんから猫もらった山田です。猫が元気なこと報告したくて』『あぁ、あんたかいな。猫と東京いった子やろ? 元気?』『はい。猫も私も元気です』『大阪いつ帰ってくんの?』『今週帰ります』『そうかいな。 ほなお好み焼き食べましょう。私連れてったるからね』

私はCPのとっておきの写真を数枚持って待ち合わせたお好み焼き屋へ入る。おばあちゃんは猫の写真を見て『えらいかわいらし猫やね』と言いながらお好み焼きをつつきながら『あんた猫好きなん?』といつものように聞く。それから『うちの店にも昔猫おってんけど人にあげてん』と。それ、それがこの猫と私が答えるより早く『ほんであんた誰?』と今日も問う。 要するにおばあちゃんは目の前の知らない誰かとお好み焼きをつついている。でもふとした瞬間に私たちのことを思い出すようで、『せやった! あんたあの猫の子やね! マサルちゃんとたまに話しててんよ』と感嘆の声をあげるも、『そうですそうです! だからおばあちゃん、これからときどき猫の写真送るから住所おしえてください!』と言うと、『私ら知らん人に住所おしえんのこわいわぁ。あんた誰?』と、もうさっきまでの記憶を失っている。

ちなみに前歯の不可思議なおじさんはマサルちゃんというらしい。おばあちゃんのいとこで、今も元気にやってるみたい。

 

 

山田かおり『猫には嫌なところがまったくない』

黒猫CPと、クリームパンみたいな手を持つのりやすは、仲良くないのにいつも一緒。傍から見たら下らないけど、とびきり幸福な毎日を過ごしていたある日、突然「私」は黒い親友と白くて丸い手を失った。猫が残していったのは、後悔の念と未開封のキャットフード。それでも日々は続いていくけれど――。これは、猫と暮らす全ての人に贈る、ふわふわの記録。

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山田かおり

一九七四年兵庫県尼崎市生まれ。京都造詣芸術大学ファッション科卒業。卒業後、ファッションブランド「QFD」を立ち上げる。著書に『株式会社 家族』『株式会社 家族 私も父さんに認めてもらいたい篇』がある。

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