
まだ会社に勤めていたころの年末年始は、誰もが忙しそうにしている割に、いつもよりみなのあたりがやさしかった。不機嫌そうな上司や近寄りがたかった女性の先輩も、めずらしくむこうから声をかけてくれたと思ったら、「何年も売れてなかった『〇〇』がさっき売れたの。やっぱり年末は客層が違うね」など、カバーを折る手は止めずに教えてくれる。
ご時世だろうか、いまはどこの商業施設も正月休みを増やす傾向にあるが、以前は元日から休みなしに開けている店もまだ多かった。出店している百貨店から「今年も元日から営業です」という知らせが流れてくると、「さすが百貨店は鬼ですね」とみなの前では愚痴をこぼしつつ、内心ではポチ袋で渡される正月手当てを楽しみにしていた。大晦日の夜挨拶に行ったら、お客さんからもらったお酒でしたたか酔っていたはずの上司が、翌朝誰よりも早く店に来て、「あけましておめでとう。元日からごくろうさまです」ともっともらしくふるまっているのも、普段は見ることのないこころ温まる光景であった。
ある店にいたとき、みなから「キョロちゃん」と呼ばれていた初老の男性客がいた。キョロちゃんは毎日のように店に来ては、キョロキョロと目だけ動かし本棚を眺め、決まったルートで店をひと回りするとそのまま出ていってしまう。手に下げているビニール袋に入っているのは、古本屋の均一コーナーで買ったと思しき文庫本や、コンビニで売っている焼き鳥のパック。いつも同じカーキ色のジャンパーに、銀縁のメガネをかけていた。店で本を買うことは年に一~二度くらいで、みなからはそこらに貼っているポスターやディスプレイの鉢と同じ、気にとめるほどでもない風景の一つとして見られていたように思う。
ある年の元日、わたしはレジの一員としてカウンターに立っていた。人波もあらかた引いた時間帯で、店には数人、眠たそうに立ち読みをしている客がいるのみ。今日はもう終わりかなと思っていると、店にキョロちゃんがやってきた。
元日から変わりなくか……、まあキョロちゃんだしなと思っていると、彼はそのままレジまで来て、テレビ番組の情報が載った週刊誌を、何気ない感じで手渡してきた。
そのとき店では本を買った人に対し、ブックカバーなどが当たる抽選会を行っていた。会計のあと「ふくみくじ」と書かれた箱を差し出し、「よろしければ一回引いてください」とキョロちゃんに言うと、キョロちゃんは一瞬何が起こったかわからないという顔をしたあと、誰に聞かせる訳でもない、しかし明らかにヴォリュームがおかしな声で、「ああ」とはっきり答えた。
何かキョロちゃんに当たるといいな。
普段は機械的に差し出している「ふくみくじ」だったが、その時わたしは祈るような気持ちでそう願った。正月くらい何かいいことが起こってもよいではないか。
ハズレだった。
「すみません、ハズレでした」
きまり悪い顔でそのように言って、おみくじを引いた人全員に渡しているしおりを差し出すと、キョロちゃんはしおりをしばらく眺めたあとそれをジャンパーのポケットに無造作に突っ込み、そのままくるりと踵を返して帰っていった。わたしは自分が何か失敗したような気がして、「ありがとうございました」といつもより大きな声で言うのが精一杯だった。

お金持ちもそうでない人も、大人にも子どもにも、誰にでも等しく正月はやってくる。それがお正月のよいところだろう。
「キョロちゃん、今日は本を買ってくれましたよ」
あとで先輩にそう伝えると、「ふーん、めずらしいこともあるもんだね。まぁ、正月だしね」とあまり興味がなさそうな声で返されてしまった。
同じ年の春、わたしは異動で遠い土地まで引っ越すことになった。キョロちゃんのことはそれからずっと忘れていたが、最近また思い出した。どこかで元気にしてくれればよいと思う。
今回のおすすめ本

『ねこまたごよみ』石黒亜矢子 ポプラ社
本を開くとねこまた家族の一年が、ページいっぱいに描かれる。その世界は鳥獣戯画のような絵巻物を想像させずにはおかず、にぎやかで華もある絵に見とれてしまうこと間違いなし。一年のはじまりにどうぞ。
◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます

連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBS
◯2025年11月28日(金)~ 2025年12月22日(月) Title2階ギャラリー
劇画家・バロン吉元が1971~72年に発表した代表作『昭和柔俠伝』(リイド社刊)の復刊を記念し、同作の原画のみを一堂に集めた初の原画展を開催します。物語の核となる名場面を厳選展示。バロン吉元はいかに時代を切り取り、そこに生きる人々の温度を紙にこめてきたのか……。印刷では伝わりきらない、いまだ筆致に息づく力を通して、原稿用紙の上で世界が立ち上がる軌跡を、原画で体感いただける機会となります。
◯2025年12月25日(木)~ 2026年1月8日(木) Title2階ギャラリー
毎年恒例の古本市が、今年もTitleに帰ってきました! Titleの2階に、中央線からは遠いお店からこの辺りではお馴染みの店まで、6店舗の古本屋さんが選りすぐりの本を持ち寄って、小さな古本市を開催します。10回目の今年は、新しい店も参加します! 掘り出しものが見つかると古本市、ぜひお立ち寄りください。
【『本屋Title 10th Anniversary Book 転がる本屋に苔は生えない』が発売になります】
本屋Titleは2026年1月10日で10周年を迎えます。同日よりその10年の記録をまとめたアニバーサリーブック『本屋Title 10th Anniversary Book 転がる本屋に苔は生えない』が発売になります。
各年ごとのエッセイに、展示やイベント、店で起こった出来事を詳細にまとめた年表、10年分の「毎日のほん」から1000冊を収録した保存版。
Titleゆかりの方々による寄稿や作品、店主夫妻へのインタビューも。Titleのみでの販売となります。ぜひこの機会に店までお越しください。
■書誌情報
『本屋Title 10th Anniversary Book 転がる本屋に苔は生えない』
Title=編 / 発行・発売 株式会社タイトル企画
256頁 /A5変形判ソフトカバー/ 2026年1月10日発売 / 800部限定 1,980円(税込)
◯【寄稿】
店は残っていた 辻山良雄
webちくま「本は本屋にある リレーエッセイ」(2025年6月6日更新)
◯【お知らせ】
心に熾火をともし続ける|〈わたし〉になるための読書(7)
「MySCUE(マイスキュー)」 辻山良雄
あらゆる環境が激しく、しかもよくない方向に変化しているように感じる世界の中で、本、そして文学の力を感じさせる2冊を、今回はご紹介します。
NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて本を紹介しています。
偶数月の第四土曜日、23時8分頃から約2時間、店主・辻山が出演しています。コーナータイトルは「本の国から」。ミニコーナーが二つとおすすめ新刊4冊。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。















