
Titleが立つ青梅街道は人の往来が多く、朝夕は自転車がスピードを出しながら、次から次へと通りすぎていく。
荻窪は夜の八時。
今日はすでに閉店して扉も閉めているが、これが二年前ならまだ営業している時間であり、店内には煌々と明かりが灯っていた。通りの風景を見ていると、これからどこかに立ち寄って……という華やいだ雰囲気を感じることはできず、「家路を急ぐ人の背中」といった言葉のとおり、最近ではそうした背中がことさら頑なに見える。
かく言うわたしの背中だって、何かを省みる余裕もない、つまらない背中に見えるのかもしれないが。
この秋くらいからだろうか、遠方からのお客さんが徐々に戻ってきたように思う。昨日も店内では名古屋や福岡から来たという人に会ったし、関東近辺に限っても、神奈川や埼玉など、県境を跨いで移動することへの心理的な壁がなくなってきたのだろう。
店に人は戻ってきましたか。
営業に来た出版社の人が、口を揃えて尋ねてこられる。
「うーん、戻ってきたといえば戻ってきたのかな?」
返事がつい曖昧になるのは、自分でもほんとうによくわからないからだ。そんなに被害を被らなかったという意味で、それはよろこばしいことなのかもしれないが、人の動きはさておき、日常すべてが戻ってくるのはまだまだ先の話ですよねとでも言いたくなる自分が、返事の後ろには見え隠れする。
わたしは元々引きこもりがちな性格だが、昨年から大っぴらにそれを許されたような気がして、以前にもまして引きこもるようになった。閉店後には一刻も早く家に帰るようになり、これまでならば躊躇なく駆けつけたであろう展示やイベントも、マスクをして外に出るのかと思うとつい億劫になり、随分と腰が重くなってしまう。だからこの間、本来なら店に来たかもしれない人の気持ちも、少しはわかる気がするのだ。
「まだ対面でのイベントは行っていないですね。お客さんもそんな気持ちではないでしょうし」
ついお客さんを引き合いに出し答えてしまったが、新たなことにいまいち乗り切れないでいるのは、何のことはないわたしのほうなのであった。
今年の春義父が亡くなり、通夜や告別式の時間を、それまであまり交流のなかった義兄の家族や、妻の親戚とともに過ごした。普段の用事で埋めつくされた世界からすれば、そうした葬式の時間は、少し間延びした長いものに感じられる。しかし同じテーブルでそれぞれ何かを食べ、お互いの近況などをぽつぽつと話しているあいだ、当初の硬かった空気はだんだんとほぐれてくる。
ばらばらなんだけど、いっしょにいる。
仕事をしたあと休む間もなく駆けつけたので体は疲れていたが、心は次第に落ち着いていった。それは亡くなった人が遺してくれた、人をひと時結びつける力だったように思う。
今後の事務的な手続きにある程度の見通しをつけ、さあ帰ろうかという日の朝、晴れの日が続いていたので庭木に水をやった。妻の実家の庭は広く、場所を変えながら隅々まで水を蒔いていたら、家の脇で遠くを見ながら、ひっそりとタバコを吸っている義兄と出くわした。そんな彼を見た瞬間、ある思いが胸を捉えた。
この何日かのあいだ、いや、そのずっと前から、みんな疲れていたのだ。
首をこくりとふり目であいさつすると、すみませんねと照れ臭そうにいって、また家に入っていく。この数日のことは、彼にとってもいのちの洗濯となっただろうか。
乾いた心に水をあげられるのは、その人以外には誰もいない。来年は散らばってしまった気持ちをかき集め、また多くの人やものと出会いたい。
そう、来年こそは。
今回のおすすめ本
『オーギー・レンのクリスマス・ストーリー』ポール・オースター 柴田元幸訳 タダジュン絵 スイッチ・パブリッシング
泥棒の少年にも盲目の老婆にも、そしてくたびれた中年の男にも……、誰にでもクリスマスはやってくる。特に善良でもなかった男が思わず善いことをしてしまう、ある年のクリスマスの話。
◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます
連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBS
◯2025年4月25日(金)~ 2025年5月13日(火)Title2階ギャラリー
「定有堂書店」という物語
奈良敏行『本屋のパンセ』『町の本屋という物語』刊行記念
これはかつて実在した書店の姿を、Titleの2階によみがえらせる企画です。
「定有堂書店」は、奈良敏行さんが鳥取ではじめた、43年続いた町の本屋です。店の棚には奈良さんが一冊ずつ選書した本が、短く添えられたことばとともに並び、そこはさながら本の森。わざと「遅れた」雑誌や本が平積みされ、天井からは絵や短冊がぶら下がる独特な景観でした。何十年も前から「ミニコミ」をつくり、のちには「読む会」と呼ばれた読書会も頻繁に行うなど、いま「独立書店」と呼ばれる新たなスタイルの書店の源流ともいえる店でした。
本展では、「定有堂書店」のベストセラーからTitleがセレクトした本を、奈良敏行さんのことばとともに並べます。在りし日の店の姿を伝える写真や絵、実際に定有堂に架けられていた額など、かつての書店の息吹を伝えるものも展示。定有堂書店でつくられていたミニコミ『音信不通』も、お手に取ってご覧いただけます。
◯2025年4月29日(火) 19時スタート Title1階特設スペース
本を売る、本を読む
〈「定有堂書店」という物語〉開催記念トークイベント
展示〈「定有堂書店」という物語〉開催中の4月29日夜、『本屋のパンセ』『町の本屋という物語』(奈良敏行著、作品社刊)を編集した三砂慶明さんをお招きしたトークイベントを行います。
三砂さんは奈良さんに伴走し、定有堂書店43年の歴史を二冊の本に編みましたが、そこに記された奈良さんの言葉は、いま本屋を営む人たちが読んでも含蓄に富む、汲み尽くせないものです。
イベント当日は奈良さんの言葉を手掛かりに、いま本屋を営むこと、本を読むことについて、三砂さんとTitle店主の辻山が語り合います。ぜひご参加下さいませ。
【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】
スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。
『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』
著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト
◯【書評】
『生きるための読書』津野海太郎(新潮社)ーーー現役編集者としての嗅覚[評]辻山良雄
(新潮社Web)
◯【お知らせ】
メメント・モリ(死を想え) /〈わたし〉になるための読書(4)
「MySCUE(マイスキュー)」
シニアケアの情報サイト「MySCUE(マイスキュー)」でスタートした店主・辻山の新連載・第4回。老いや死生観が根底のテーマにある書籍を3冊紹介しています。
NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて本を紹介しています。
偶数月の第四土曜日、23時8分頃から約2時間、店主・辻山が出演しています。コーナータイトルは「本の国から」。ミニコーナーが二つとおすすめ新刊4冊。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。