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武器としてのヒップホップ

2021.12.13 更新 ツイート

「笑っていいとも!」終焉で日本が失った「混沌」 タモリという「稀有のMC」がお昼休みを担った意味 ダースレイダー

(写真:iStock.com/LesByerley)

ラッパー・トラックメイカーのダースレイダーさんによる『武器としてのヒップホップ』が12月8日に発売されました。今、世界でもっとも聴かれる音楽ジャンルとなったヒップホップ。『武器としてのヒップホップ』では、音楽というジャンルにとどまらない普遍性を持つヒップホップの精神と、そこから獲得できる思考法が綴られています。最初の項目、「The MC マイクを握るスタンス」をお届けします。

世界はそもそもカオスだ。秩序は現れる一瞬の奇跡。
MCは、そんなカオスを乗りこなし、立ち現れるグルーヴの尻尾を捕まえる

僕はヒップホップMCである。

ヒップホップの4大要素という言葉がある(もっとも4である理由は文化的背景によるものであり、場所が違えばこれは3〈日本は三景、三傑などが馴染む〉だったり、5〈陰陽五行など〉だったりもするのでさほど重要ではない)。DJing(レコード、音楽をDJとして聴かせる音楽表現)、MCing(言葉を使った呼びかけ、言語表現。ラップなど)、Breaking(ヒップホップの身体表現、踊り)、Graffiti(絵や文字を描く表現)だ。これらの要素を繋ぐ共通項がヒップホップの核の部分となる。時代時代によって表層に現れてくる形(音楽的にはトラップ、ブームバップなど)は異なるが源泉は一緒。

DJがスタートさせたヒップホップ。MCはその横で彼のアクションを言語化し、聴衆に伝える役割を務めた。DJがプレーするレコードについていかにそれがかっこいいかを語り、そのレコードを選曲するDJのセンスがいかに抜きんでているかを語る。リズミカルでウィットに富んだ語りそのものが表現として認知され、その後ラップミュージックへと発展していく。

 

では、そもそもMCとはなんであるか?

MICをCONTROLし、MOVE THECROWDするMASTER OFCEREMONY。

MCの仕事とはなんであるか? 僕はその場をグルーヴさせることだと思っている。

その「場」とはなんであるか? 僕はカオスのなかに浮かんだ島のようなものだと思っている。

「カオスにグルーヴを」。これはアメリカファンクミュージックの代表格Pファンクの総帥ジョージ・クリントンの名言だ。

MobilizedChaos、とでも言うべきか。頭文字がMCである。

世界はそもそもカオス、混沌であり、秩序はそこに現れる一瞬の奇跡のようなものだ。

MCとはそんなカオスを乗りこなし、予想不可能な、未規定な領域に踏み込み、そこに立ち現れるグルーヴの尻尾を捕まえる仕事だ。

前提をカオスに置いておけば、どんな混乱が起こったとしてもそれは驚きに値しない。

むしろ、秩序を保って着地したときこそ驚くべきだ。

真面目な人は秩序を前提にものを考えてしまう。だから混乱と直面して慌ててしまう。

秩序を前提にするから進行表を正確になぞろうとしてしまう。

そのため、進行表と照らし合わせて間違えた、とかグダグダだ、などと突っ込まれてしまう。

これは逆なのだ。

混乱こそ当たり前、混沌こそわが墓碑銘(というのはキングクリムゾンの名曲だが)。僕はその感覚においてまだまだ未熟ではあるが、少なくとも前提をカオスに置いている。

例えば、毎年僕がMCを務めるDMCジャパンファイナル。ターンテーブリストの世界大会にエントリーする日本代表を決める大会だ。ここでは最高峰のスキルを持つDJが集まり、国内トップの機材メーカースタッフが集結して各々の一年間の創造と努力の結晶を結実させる。

入念に準備された大会でも毎年必ず機材トラブルが起こる。ターンテーブル? ミキサー? 接続コード? PC? シークエンサー? 電源? トラブルが起こるとすぐに機材班が駆け付ける。僕はこれをピットインと呼んでいるが……ときに数分、あるいは10分以上も中断されることがある。大会に臨んでいるDJのテンションも保たなければいけない。彼らには最高のパフォーマンスで勝負してもらうことが大事だ。だからこそ、立ち現れた混乱を笑顔でグルーヴィに乗りこなす必要がある。

人は社会のなかにいて、秩序と安定のなかで日常生活を送っている。来年のスケジュールを決めれば、当然それはやってくるのだ、と思い込んでいる。

だが、カオスこそ当たり前なのだ……というMindsetにControlし直す。これがMCだ。

よく何事もないような顔をして、と言われるが、むしろ、全てのことがある、という意識ModelにChangeさせるのだ。そんなカオスのなかをマイクで喋り倒していく。

 

2019年、あいちトリエンナーレのパブリックスピーチ・プロジェクトでMCを担当した。最大級のカオスが現出したあいちトリエンナーレの最終日。マイクを解放し、言いたいことがある人をどんどんステージに上げるのが役割だった。企画者の高山明氏からは右翼団体が来るかもしれないと告げられた。なんなら河村名古屋市長も7分間の座り込みに来るかもしれない。

ところが本番になると観客、酔客、学生、キュレーター、ボランティアスタッフ、韓国と中国と日本の女子三人組などが、次々とマイクを握っていった。表現の不自由展の展示中止からアーティストのボイコット、ギリギリでの全展示再開。表舞台で喋っていた人たちではない声が次々とマイクに放たれていく、そのMotionをCaptureする。感情が爆発し、魂が震える様を捉えるのもMCだ。

その後の文化庁による補助金不交付への反対署名を提出する際にも、僕は文化庁前でマイクを握っていた。署名提出と官僚の応対をマイクで拾い、外のスピーカーから鳴らし、応答する。台本がないのに台本通りの喋り方をする文化庁の山口壮八氏。だが、その声が2台のスピーカーから虎ノ門の路上にダダ洩れしていくと、官僚が固執する秩序が混沌に飲み込まれていった。僕はそれをカフカの小説に見立て、ピエール瀧が出演していたことで補助金が不交付になった映画『宮本から君へ』を「僕から宮田(文化庁長官)へ」と逆流させた。MiyataをCriticizeするのがMCの役割のときもある。

こうしたカオスを前提とした僕のスタンスは「門」である。門というスタンス、つまりは門構え。門からは出ていくことも出来るし、迎え入れることも出来る。門を作れば、あとはそこがカオスがグルーヴする入り口となり、その尻尾を捕まえることが出来るのだ。門はどの方向に向けても作れるし、その外側は未規定な領域であり、どこへなりとも繋がっていく。

トークイベントではズカズカと門に入ってくる人もいれば、こちらから迎えに出ていかなければ入ってこない人もいる。何かの訪れを待つこともある。誘い、誘われる関係性を繋ぐ門。能動と受動を繋ぐ門。入り口であり、出口である門。鳥居のようなイメージや凱旋門のようなイメージにもなる。MonをCreateする。それがMCだ。

そんなカオスをグルーヴさせてきた存在を最初に意識したのは、叫び続けるビートルズファンを前に表情一つ変えずに進行していたエド・サリヴァンかもしれない。今で言うと、ジミー・ファロンやデイヴィッド・レターマンとか? アメリカのエンタメなんて台本ありき、全部演出じゃねえか! という向きもあると思うけれど、あくまで前提をカオスに置いているかどうか、だと思う。

前提をカオスに置いている場だからこそ、映画『キング・オブ・コメディ』のルパート・パプキンも登場出来たし、それを反転させた映画『ジョーカー』も説得力を持つ。ジョーカーなんて、Motivated Chaosというか、カオスこそが行動の動機付けになっているキャラ。どのような混乱でさえ笑って楽しむ究極のMCとも言えるが、ジョーカー論はまた別の機会にしよう。

 

日本においては、あらゆる混沌、混乱のただなかであろうと全くそれを当たり前に受け止めている稀有のMCがタモリだと思う。僕の片目の大先輩、キング・オブ・眼帯でもある。「笑っていいとも!」が連日放送されていたときの日本は、お昼休みのウキウキがカオスをベースにもたらされていた。ジャニーズだろうが噺家だろうがミュージシャンだろうが俳優だろうが素人だろうが犬だろうが……何を放り込んでも大丈夫だったのは、タモリという存在が完全にカオスを前提としていたからだと思う。ビートたけしや明石家さんま、笑福亭鶴瓶、上岡龍太郎といった、これまたカオスベースの達人たち、ランDMCからリー・ペリーに至る向こう岸のようなエネルギーも全て余裕だった。全ては混ざり、混乱していく。FUSION TO CONFUSION。

僕は、そんな「いいとも」で最後にフリースタイルを披露したラッパーだったわけだが、即興でピースの綾部祐二をいじったラップに唯一旗を上げてくれたのもタモリだった。僕にとっては、フリースタイルもまた門構え。カオス前提の表現だ。

かつて日本の平日の昼間にぽっかりとカオスが顔を覗かせていたのだ。「いいとも」の終焉と日本社会の退屈さが極まっていったこととは無関係ではない、と思う。ちなみにタモリは成りすましの名手であり、秩序をタモつふりをする達人でもあるのが「ミュージックステーション」でわかる。一秒単位で決められた番組作りに、しかし、想定外のことが起こるのを最も当たり前に待ち受けているのもまたタモリであろう。

タトゥーが本番に現れず、ミッシェルガンエレファントが急遽もう一曲演奏したときがあった。これは僕から見ればタモリというカオスの入り口がたまたま口を開いただけであり、ただのタモリ時間にすぎない。同じく日本の昼の顔を長年務めてきた黒柳徹子も成りすましの達人だと思うが、誰か論考してほしいところだ。

 

世界で今、加速している排除と分断は、秩序への要求でもある。神経質に安定を求め、ひたすら異物を排除していく。同じ考え方、同じ型の「人間」で集まれば固定化は進み、秩序が暴走する。完全に内側に閉じこもった社会が完成すれば、そこからは一切のカオスを「なかったことに出来る」。見たいものしか見ない、というのはインターネットの最大の特徴でもある。日本が向かっているのはこうした社会なのではないか?「いいとも」の終焉はそんな日本社会に開いていたカオスの風穴を閉じるものだったかもしれない。

カオスを前提とするMCが存在出来ないような社会の完成。

だが同時にこうも言える。大友克洋が描いた『AKIRA』の覚醒は2020年に設定されていた。閉じ切った社会のバックラッシュが始まり、カオスが顔を覗かせたとき、それを乗りこなす術を持っているのはヒップホップのMCではないだろうか? 僕は1977年生まれ、『AKIRA』の登場人物である「大佐」と同い年だ。あのような貫禄は出せないがカオスを見届ける心構えは出来ている。

May the Chaos rule again。本書では僕がヒップホップを通して得られた気づきや考察をまとめている。フリースタイル・ラップの感覚と同じく、僕のもとにやってきたさまざまな考えやイメージをヒップホップビートに乗せていく感覚で書いている。いわゆるヒップホップの歴史本、How to本とは異なり、ヒップホップに基づく「My Philosophy」である。

ただ、僕は冗談ではなく(Ain't no joke)、今後、閉じきってしまう社会の隙間をつく思考法、あるいは沈没した社会の瓦礫を搔い潜る生き方の鍵はヒップホップにあると思っている。これを読んだみなさんにも幾ばくかのヒントを与えられればと思う。

まずはビートに身を任せて……Bring the beat!

(お知らせ)
2022年1月19日19時半、ダースレイダー×三浦崇宏「ヒップホップで生き延びる、言葉で人生を切り拓く」講座を、会場と配信で開催します。詳しくは幻冬舎大学のページをご覧ください。

関連書籍

ダースレイダー『武器としてのヒップホップ』

ヒップホップは逆転現象だ。病、貧困、劣等感……。パワーの絶対値だけを力に変える! 自らも脳梗塞、余命5年の宣告をヒップホップによって救われた、博学の現役ラッパーが鮮やかに紐解く、その哲学、使い道。

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武器としてのヒップホップ

2021年12月8日発売『武器としてのヒップホップ』について

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ダースレイダー ラッパー・トラックメイカー

1977年4⽉11⽇パリで⽣まれ、幼少期をロンドンで過ごす。東京⼤学に⼊学するも、浪⼈の時期に⽬覚めたラップ活動に傾倒し中退。2000年にMICADELICのメンバーとして本格デビューを果たし、注⽬を集める。⾃⾝のMCバトルの⼤会主催や講演の他に、⽇本のヒップホップでは初となるアーティスト主導のインディーズ・レーベルDa.Me.Recordsの設⽴など、若⼿ラッパーの育成にも尽⼒する。2010年6⽉、イベントのMCの間に脳梗塞で倒れ、さらに合併症で左⽬を失明するも、その後は眼帯をトレードマークに復帰。現在はThe Bassonsのボーカルの他、司会業や執筆業と様々な分野で活躍。著書に『『ダースレイダー自伝NO拘束』がある。

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