
ずっと、母になりたいと思っていた。
中学生のときに「“親”って完璧な生き物じゃないんだな」と感じるのと同時に、「母親ってむずかしい役割なんだろうな」と思ったのがきっかけで、私は一体どんな母になるんだろう、何を考えるんだろうと興味が湧いたのだった。
「よし、いつか、子を産もう」。
思い通りに人生を進められると思っていた浅はかな学生時代の私はそう決意して、「でも、20代はできるだけ多くの経験をしたいから、結婚と出産は30歳ギリギリでいいな」と10代のうちから一人で計画を立て「女の子が二人で……」と性別まで決めた。言うまでもなく、子を持つことは自己実現のひとつではない、と今では身にしみて分かるのだけど、当時の私は自己実現だとかなんだとか、そんな難しいこと、なにひとつ思い至らなかったのだ。
自立し、自分の意思で、人生をつくる。それをずっと目標として、時にへし折られ、揺らぎ、周りに大いに助けられながらも自分の足で進んできた。もちろんそれはとても素晴らしい目標だったと過去の私を褒めたい。でも、31歳になってみれば、少しずつわかるようになった。人生のほとんどは、自分だけではどうにもならないことだらけだ、と。結婚は相手がいなければできないし、結婚生活は他人とのすり合わせの日々で思い通りには進まない。さらに妊娠は、相手がいても思うようには進まず、出産・育児となれば、もはや自分でコントロールできることなんてほとんどない……。でも「自分の手で」と唱え続けた私には、そういう諸々に直面するまで、こんなにもどうにもならないことがあることを、知らなかったのだ。
ともかく。
私の脳内計画ではいつか子を産む予定で、「その時」がどうであるかを知るために、だれかの妊娠・出産ブログや書籍を読み漁るのが趣味でもあった。おかげで、「陽性反応が出た時、夫に言うのは緊張するらしい」とか「つわりはある朝突然終わりを迎えるらしい」とか「会陰切開(赤ちゃんの頭が出てこず、つっかえるようであれば、膣口と肛門の間をチョンと切ること)したくなかったらマッサージをしておくべき」とか、あらゆる知識は人一倍持っていた。
だから、いざ自分がその立場になって、イメージトレーニングとの差に驚いた。
そもそも、そんなに簡単に妊娠しなかった。不妊クリニックで「タイミング法」を勧められただけで、落ち込んだ。つわりは終わったりぶり返したりを繰り返してぬるっと終わりを迎えたし、会陰マッサージはしたけど帝王切開になった。お腹を愛おしくさすり「はやく会いたいな」とつぶやくような夜は数えるほどしかなく、どちらかというと「つらい、痛い、くるしい」と嘆くような夜ばかり。出産後も「かわいい!」と自覚的に言葉にできるまでは1ヶ月かかり、ぽんっと手探りの日々に投げ出されて不安で潰れそうにもなった。
夢ばかりみていたつもりではなかったのだが、それでも身に起こるアレコレと心の動きはあまりにも「想像してたのと違うんだけど?」と言いたくなるようなことだらけ。
そして何より、いま一番、想像していたのと違うのが、「母親になった日々を味わう余裕がない」こと。貴重な日々を、慈しんで大切に大切に見つめていこうと思っていたし、人生で最も楽しみにしていた時間のはずだった。なのに、実際は寝不足で、隙あらば眠りたい。子が早く寝たなら、私も早く寝たい。子の身体から、熱と共に湧き上がってくる甘い香りで、なにもかもがどうでもよくなる。授乳をしているときは脳内のあれこれが溶けてまあるくなってしまう感覚があって、乳が空っぽになるのと同時にわたしの頭も空っぽになってしまう……。
なんだろう、この、なにも感じる余裕のない日々は。
気持ちの余裕もなければ、物理的な時間もない。早起きしても朝の美しさなんてどうでもよくて、オムツ替えに追われ、子に歌を歌い、子が退屈せぬように踊りながら横切り、息も絶え絶え朝ごはんを終えて、気がついたらもう夜。明日こそは、文章を書こう。そう思って21時に眠ってみるも、夜泣きに対応しているうちにげっそりと朝を迎え、朝の美しさなどはどうでもよく……と無限に繰り返す日々(ちょっと待って、私が読んできたあの文章たちは、この日々の中で綴られたというの? 信じられない)。
部屋に落ちていた陽が直後にはもう消えているように、暗闇に一筋の朝日が差し込んだと思えば一気に晴れ渡るように、私の心は忙しなく変化しつづけたが、心がどういう形をしているのかを見つめる前に夜が来て、朝が来て、そして気づけば、お産から4ヶ月が経っていた。いや、こんなはずではなかった。せっかく私のもとに来てくれたちいさな色白の男の子のことを、そして私が徐々に母になっていく心を、もっと残しておかなくては……。
そう焦っていたときにお話をいただいたのが、本連載。無論、飛びつくように「ぜったいに、やります」と答えていた。妊娠中のこと、出産のこと、育児のこと。時間をつくらなければ消えてしまう諸々を、時系列に沿わずに思いつくままに記していきたい。かつての私が読みたかったものを、そして未来の私が読みたいものを。きっとそれが、どこかで母になろうとしている人やかつて母だった人たちと繋がってくれるはずだから。
「母になりたい」
そう願っていた私は、今、母になりかけている、いわゆる“母未満”。妊娠しても母にはなれず、産んだ直後にも母にはなれなかった。そもそも「母になりたい」と思っていたその感覚も、想像していたのとはちがったようなのだ。
母は「なる」ものではなく、子が「(私を)母にする」のだろうと思う。
私の指を握るそのちいさい指が、がむしゃらに乳に吸い付くその唇が、私を見るだけで笑うまあるい顔が、はじめての笑い声が、泣く間際の突き出た下唇が、耳元で吐かれる満足げなため息が、私に抱かれてやさしく眠るその甘い頬が、私を母にしていく。きっとこの先、子が、私をますます母にしていく。否応無しに。
アンコントローラブルな暮らしは想像していたよりも過酷で、でも同時に、ずっとずっと幸福でもある。限りない陽だまりの中みたいに祝福された時間と、拓けた場所にひとり立ち尽くす心細さとが、ないまぜになって、私の中に注ぎ込まれて、溢れていく日々。未知だ。すべてが、未知だ。長い間、同じ場所で同じ自分で生きてきたはずなのに、ちいさなひとつの命が、こんなにも知らない場所を照らし出す。
想像していたのと違うこの日々の破片を、拾い集めて、したためます。どうか面白がって、読んでいただけますように。
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