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本屋の時間

2021.09.01 公開 ポスト

第117回

わたしがいちばん輝いていたとき辻山良雄

(写真:齋藤陽道)

二〇一九年の秋から冬にかけ、店のカフェで数回にわたり打ち合わせをしていた中年の男女がいた。女性は近所に住んでいるのかいつも先に来ており、連絡が入ると店の入口まで、彼女が「先生」と呼んでいた男性を迎えにいく。「先生」は地味な服装で薄いサングラスをかけており、気の強そうな女性の連れには見えなかった。

 

女性はその翌年、お酒も飲める小料理屋を新宿に出すようで、もう契約も済ませているという。そうしたあれこれを、コンサルタントなのか税理士なのか、とにかく「先生」に相談しているのであった。特に聞き耳を立てていたわけではないが、女性の声が大きいので話が筒抜けであり、それを伝えると「すみません」と一旦はおさまるのだが、しばらくして話が盛り上がってくると、だんだんとまた声のボリュームが上がってくる。

いつもは二人だけの打ち合わせであったが、女性は一度中学生くらいの娘を連れてきて、二人が話しているあいだずっと、彼女は狭い店内を退屈そうにぶらぶらとしていた。先生を見送ったあと女性はわたしを見て何か思い出したのか、「そういえば、あなたほしい本があるっていってなかった?」と唐突に娘に聞いた。ずっと黙っていた彼女も驚いたのか、その時は「別に……」と何も答えなかった。

 

おそらく近くで話せるところがほかになかったのだろう。それ以来店内でその女性の姿を見かけることはなく、年が明けて世のなかの状況もコロナ一色に変わったから、彼女の店がどうなったのか、話の続きが無性に気になるときがある。彼女とは気が合いそうにはなかったが、結局店は開いたのか、「先生」にはいくら払ったのか、その巡り合わせを思えば気の毒というより他はない。

こうした感染症の最中でも、新しいことをはじめる人は必ずいる。人生の波や機会は、社会の状況とは関係なくその人にやってくるからだ。「何もこんなときに」と部外者の人なら思うかもしれないけど、決して待ってくれないのは、その人の「はじめたい」という思いである。それは一度逃すとどこかに消えてしまい、もう同じ姿では現れてこない。

ある若い女性から、故郷に帰って本屋をはじめようか悩んでいるのですと、マスク越しに打ち明けられた。閉店前だったのであまり長くは聞けなかったが、彼女にはどこかの店でバイトでもして、経験を積んでからでも遅くないと伝えた(まだ漠然と考えているという感じだったから)。

何はともあれ、いまは止めるべきだったのかもしれない。街を歩けば、「テナント募集」の貼り紙も目立つ。ではもっといい状況ならうまくいくのかといえば、それは誰にもわからない。先が見えなくても自分のお金と人生をそこに賭けることが、店を出すということの本質なのだ。

その人の人生の盛りは、二度とはやってこない。彼女にやめておけとは、わたしにはどうしても言えなかった。

 

先日、若い二人連れの男性が来店した。そのうちの一人(おとなしそうな人)が、どうやら古本屋をはじめたいようで、連れの男性が彼に向って品揃えや利益といったことを、何か早口でまくしたてていた。話しかけてくるかなと思ったがそれはなく、評論家然とした男は話したいだけ話すと、店を出てしまったが、おとなしそうな男性のほうが、割と高額な本を買って帰った。

 

今回のおすすめ本

『私の生活改善運動』安達茉莉子 本屋・生活綴方

仕方なく置いている物、なんとなく食べている食事はないか。自分の身の回りを、納得できる物で一つずつ揃えることにより、そこにあった澱は流されていく。進行形のリトルプレス、現在は三巻まで発売中。

 

 

◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます

連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBSHOPでもどうぞ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

辻山良雄さんの著書『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』のために、写真家・齋藤陽道さんが三日間にわたり撮り下ろした“荻窪写真”。本書に掲載しきれなかった未収録作品510枚が今回、待望の写真集になりました。

 

○2024年9月20日(金)~ 2024年9月30日(月)Title2階ギャラリー

木村肇「嘘の家族」刊行記念展

「なぜ自分の家族の作品を作るのか?」写真家木村肇の写真とインタビューで、作品制作の背景をたどった書籍「嘘の家族」の刊行を記念して、写真展を開催します。早くに亡くなった両親の存在を隠し続けてきた作家が、実家の部屋をギャラリースペースに再現し、嘘か本当か、曖昧な家族の記憶を行き来するような作品を展示します。
 

 

◯【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】

スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。

『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』

著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト
 

【書評】NEW!!

『決断 そごう・西武61年目のストライキ』寺岡泰博(講談社)ーー「百貨店人」としての誇り[評]辻山良雄
(東京新聞 2024.8.18 掲載)

『うたたねの地図 百年の夏休み』岡野大嗣(実業之日本社)ーー〈そのもの〉として描かれた景色が、普遍の時間へと回帰していく瞬間 [評]辻山良雄
(Webジェイ・ノベル 掲載)

 

【お知らせ】

我に返る /〈わたし〉になるための読書(2)
「MySCUE(マイスキュー)」

シニアケアの情報サイト「MySCUE(マイスキュー)」でスタートした店主・辻山の新連載・第2回が更新されました。
 

NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて毎月本を紹介します。

毎月第三日曜日、23時8分頃から約1時間、店主・辻山が毎月3冊、紹介します。コーナータイトルは「本の国から」。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
 

関連書籍

辻山良雄『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』

まともに思えることだけやればいい。 荻窪の書店店主が考えた、よく働き、よく生きること。 「一冊ずつ手がかけられた書棚には光が宿る。 それは本に託した、われわれ自身の小さな声だ――」 本を媒介とし、私たちがよりよい世界に向かうには、その可能性とは。 効率、拡大、利便性……いまだ高速回転し続ける世界へ響く抵抗宣言エッセイ。

齋藤陽道『齋藤陽道と歩く。荻窪Titleの三日間』

新刊書店Titleのある東京荻窪。「ある日のTitleまわりをイメージしながら撮影していただくといいかもしれません」。店主辻山のひと言から『小さな声、光る棚』のために撮影された510枚。齋藤陽道が見た街の息づかい、光、時間のすべてが体感できる電子写真集。

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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。

バックナンバー

辻山良雄

Title店主。神戸生まれ。書店勤務ののち独立し、2016年1月荻窪に本屋とカフェとギャラリーの店 「Title」を開く。書評やブックセレクションの仕事も行う。著作に『本屋、はじめました』(苦楽堂・ちくま文庫)、『365日のほん』(河出書房新社)、『小さな声、光る棚』(幻冬舎)、画家のnakabanとの共著に『ことばの生まれる景色』(ナナロク社)がある。

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