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「うつ」の効用 生まれ直しの哲学

2021.07.27 公開 ツイート

コロナ禍がもたらした「メメント・モリ」から「生きる意味」を改めて考える 泉谷閑示

7月28日(水)に精神科医・泉谷閑示さんの新刊『「うつ」の効用 生まれ直しの哲学』が発売になります。本書は長年、精神療法を通して患者(クライアント)に向き合ってきた著者が、うつを患った人が再発の恐れのない治癒に至るために知っておきたいことを記した1冊になります。「すべき」ではなく「したい」を優先すること、頭(理性)ではなく心と身体の声に耳を傾けることが、その人本来の生を生きることにつながると説く1冊。今回は冒頭の「はじめに」から掲載します。

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この度のパンデミックにより誰も予想しないところから、突然、世界中が自粛を求められることになり、これまでの世界は一変してしまいました。そのまま続くかと思われていたグローバル経済の拡大も、一気に冷水を浴びせかけられ、見直しを迫られることになりました。

(写真:iStock.com/flyparade)

正直に言えば私自身も、歴史的な災禍というものは、あくまで「歴史上」のものにすぎず、およそ自分には関係のないことと思っていた一人でした。しかし不意に突きつけられたこの事態に戸惑いながらも、次第に私の中にさまざまな問いが湧き上がってきたのです。

それは、次のような問いでした。

はたしてこの歴史的災禍は、私たちに、何を知らしめようとしているのか。そして、これは人類にとって、歴史的にどのような意味を持つものなのだろうか。

もちろん、これらの問いについての答えらしきものは、かなりの時を経て、振り返ってみることによってしか得られないものに違いありません。しかしながら、現時点においても確かに言えることが、一つだけあるのではないかと思うのです。それは、この災禍が、すべての人に対して平等に“メメント・モリ(memento mori)”の経験をもたらしたということです。

「死を想え」「死を忘れるな」と訳されるこの古いラテン語の警句は、私たちの生の危うさと、その有限性を忘れてはならないということを意味しています。さらに、奇跡的に与えられ、今日までどうにか続いている生の大切さやその「意味」について、ひとたび立ち止まり問い直せ、と告げているのです。

この「生きる意味」については、これまでも何度か拙著で論じてきた重要なテーマではありましたが、これまでは、内省的な一部の読者にしか届かなかったかもしれません。しかし、あらゆる人々に“メメント・モリ”が突きつけられたいま、このテーマは万人にとって目をそむけることのできない切実な問題になったのではないでしょうか。

さて、私が本書の旧版『クスリに頼らなくても「うつ」は治る』(ダイヤモンド社)を刊行してから、早いものでもう一〇年以上経ちました。このたびの再刊にあたって、改めて「うつ」をめぐる状況を見まわしてみますと、この一〇年余の変化には、かなり大きなものがあるように思われます。

「うつ」関連の書籍が次々に刊行されたり、メディアでの啓蒙も活発に行われたりしたこともあって、「うつ」は、どんな人にでも起こり得る身近なものだという認識が、広く行き渡ってきているように思われます。さらに、二〇一五年から導入されたストレスチェック制度などを含む国の総合自殺対策などもあって、少なくとも新型コロナ問題が始まるまでの二〇一九年までに限っては、自殺者数も減少傾向にありました。

このような変化は、かつての「うつ」への無知と偏見に満ちた悪しき風潮が改善されたという点において、大いに評価すべき前進であったと言えるでしょう。しかしながら、「うつ」に対する治療やサポートの内実が、それに見合った形で改善したかと言えば、必ずしもそう楽観できるわけではありません。

統計上に表れた変化は、あくまで量的にカウントできる側面のみを示しているにすぎず、表面的には分かりにくい質的な問題が広く生じてきていることは、そこにはまったく表れていません。例えば、人々の「ゾンビ化」とでも言うべき無気力・無感動な状態は、現代人の「うつ」の根底に認められる特異な問題です。しかし、このような問題に対して精神医療は、いまだ、十分に照準を当てることができていないと思われるのです。

本文中でも触れていますが、症状の現象面だけを見て診断する現代の「マニュアル診断」にあっては、この「ゾンビ化」した状態も、従来の「うつ」と同様に「気分障害」に分類され、従来型の治療アプローチが疑いもなく行われてしまうのです。しかし、丁寧にその内実を診れば、原因や病理が相当異なっていることが分かるはずです。当然、従来の「うつ」へのアプローチで問題が解決するはずもありません。

そんなこともあって、いたずらに症状が遷延してしまい休職や休学を何度も繰り返すことになっているケースや、投薬中心の治療では納得がいかず、いくつもの治療機関やカウンセリングを探し回らなければならなくなっているケースが、依然として少なくないのです。

また、俗に「新型うつ」と呼ばれてきたタイプのうつ状態に対する適切な見立てやアプローチが十分になされていないという問題は、旧版でもすでに指摘していたことでしたが、一〇年以上経った今日でもその状況すら、ほとんど改善されていません。そしてさらには、この「ゾンビ的な無気力状態」が根本病理である最新型の「うつ」にいたっては、その存在すらほとんど認識されていないのが実状なのです。

本書は、旧版からの再録部において、「うつ」そのものについての捉え方や向き合い方、実際の療養や援助に際しての具体的なヒントが詳細に示してあります。そこでは、古典的な「うつ病」から「新型うつ」にいたるさまざまな病態について、従来の一般論とはまったく違う視点で、新たな理解が得られる内容になっています。そして、さらに今回増補した部分においては、「ゾンビ的」な「うつ」状態つまり、現代人に蔓まん延えんする新たな無気力の問題についても、考察を加えてあります。

この、分かりにくいけれど深刻な現代人を蝕む病理は、従来の精神医学や心理学が想定し得なかった新種の問題だと言えるでしょう。この問題は、決して「うつ」に悩む人たちだけでなく、現代を生きる私たちすべてが、一度きちんと向き合っておかなければならない大切なテーマだと思います。

未曽有の災禍を経験した私たちですが、私たち人間が、本質的に精神というものによって決定される存在である以上、即物的な問題の解決だけで救われるものではありません。本書が、広く心の救済を渇望している人にとって、何がしかの手掛かりとなることを切に願っています。そして、私たちの深く傷ついた魂が力強く蘇生することを、心から祈ります。

関連書籍

泉谷閑示『「うつ」の効用 生まれ直しの哲学』

うつは今や「誰でもなりうる病気」だ。しかし、治療は未だ投薬などの対症療法が中心で、休職や休学を繰り返すケースも多い。本書は、自分を再発の恐れのない治癒に導くには、「頭(理性)」よりも「心と身体」のシグナルを尊重することが大切と説く。つまり、「すべき」ではなく「したい」を優先するということだ。それによって、その人本来の姿を取り戻せるのだという。うつとは闘う相手ではなく、覚醒の契機にする友なのだ。生きづらさを感じるすべての人へ贈る、自分らしく生き直すための教科書。

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「うつ」の効用 生まれ直しの哲学

『仕事なんか生きがいにするな』『「普通がいい」という病』の著者によるうつ本の決定版。薬などによる対症療法ではなく再発の恐れのない治癒へ至るための方法を説く。生きづらさを感じるすべての人へ贈る、自分らしく生き直すための教科書。

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泉谷閑示 精神科医

1962年秋田県生まれ。精神科医、作曲家。東北大学医学部卒業。東京医科歯科大学医学部附属病院、(財)神経研究所附属晴和病院等に勤務したのち渡仏、パリ・エコールノルマル音楽院に留学。帰国後、新宿サザンスクエアクリニック院長等を経て、現在、精神療法専門の泉谷クリニック(東京・広尾)院長。著書に『「普通がいい」という病』『反教育論』『仕事なんか生きがいにするな』『あなたの人生が変わる対話術』『本物の思考力を磨くための音楽学』などがある。

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