
もう何年も前の話だが、当時勤めていた会社の会議で「先月は『〇〇』という本が△冊売れました」と報告したところ、「売れたんじゃない、売ったと言え」と、思ってもいない方向からひどく怒られたことがあった。いま考えても随分と理不尽な話だが、その上司は、本を並べて終わりではなく、もっと意志を持った仕事をしろということが言いたかったのだと思う。
それって言葉だけの問題ですよねと、いまなら反論するかもしれない。「売る」と「売れる」は、それほど単純な話ではなく、一冊の本が売れていくあいだには、店員とお客さんとの「共通意志」のようなものがある。その本を実際に買うのはお客さんだが、目につくように並べるのは店員の仕事なのだ。
しかし、それまでは互いの共通意志から売れていた本が、ある瞬間を境に、こちらの想像を超えて勝手に売れていくこともあって、そうした時には本を売るといった、この仕事の醍醐味を感じる。
先日まで店のギャラリーでは、堀川理万子さんの絵本『海のアトリエ』の刊行を記念した原画展を行っていた。この展示は最初、わたしの希望によりはじまった。ある日、旧知の編集者である広松健児さんから届いた封書を開けると、中からは爽やかな水色の、モダンでどこかなつかしさを感じさせる絵本が現れた。
『海のアトリエ』は、女の子が母親の友人である「絵描きさん」の家で過ごした、ある夏の一週間を描いた物語だ。その絵描きさんは堀川さんが昔出会った画家がモデルになっており、その人は彼女がはじめて出会った、「子どもを“子どもあつかいしない”おとな」だったという。
ページをめくりながら驚いたことがあって、広松さんには本のお礼とともにその感想をメールで伝えた。
「女の子と絵描きさんとの関係が、『パパ・ユーア クレイジー』みたいですてきでした」
わたしはむかしから、ウイリアム・サローヤンが書いたその小説を愛読していた。「パパ……」は小説家である父と息子との話だが、本文の随所に見られるような、子どもを一人の個人として尊重する態度が、西洋社会の先進性を感じさせ、とてもあこがれた。「驚いた」というのは、日本の絵本で、そうした〈個〉の話を読むことができると思わなかったからだ。
広松さんからはすぐに返事がきた。「……なんとサローヤンのその本は、堀川さんの生涯ベスト1とも言える本で、今まで何冊も買って人にプレゼントしているそうです。『パパ・ユーア クレイジー』は、物語の舞台や人物設定にも影響がありました」。
何の気なしに書いた感想が、思わぬ鉱脈に当たってしまったようだ。原画展の話が決まるまで、それから時間はかからなかった。
『海のアトリエ』はそんなに派手な本ではなく、原画展はわたしの少し力んだ意志からはじまった。しかし日を追うごとに人が増えていき、最後にはこちらで何も言わなくとも、勝手に本が売れていった。それはこの店を知っている編集者から送られた本であったこと、そしてその作者とわたしが同じ本を好きだったことという二つの「理解」が元々あり、それが醸し出す空気が、来る人を次第に巻き込んでいったのだと思っている。
展示やイベント、本の取り扱いにいたるまで、毎日ほんとうに、様々な話をいただく。しかしそれが現実となり結果となって表れるのは、大抵がこの店をよく知る人との仕事である。そう書くと一見さんお断りのような、何か閉じた印象も与えてしまうのだが、それは閉じているというよりは、同じ一つの流れにいるということなのだ。
まったく、理解のあるところにしか、大きな花は咲かないのである。
今回のおすすめ本
野生の菌だけで人間が食べるものを作り、地域へと戻っていく経済をつくる。鳥取の山でタルマーリーが行っていることは、消費に絡めとられた現代人の希望である。
◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます
連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBS
◯2025年4月25日(金)~ 2025年5月13日(火)Title2階ギャラリー
「定有堂書店」という物語
奈良敏行『本屋のパンセ』『町の本屋という物語』刊行記念
これはかつて実在した書店の姿を、Titleの2階によみがえらせる企画です。
「定有堂書店」は、奈良敏行さんが鳥取ではじめた、43年続いた町の本屋です。店の棚には奈良さんが一冊ずつ選書した本が、短く添えられたことばとともに並び、そこはさながら本の森。わざと「遅れた」雑誌や本が平積みされ、天井からは絵や短冊がぶら下がる独特な景観でした。何十年も前から「ミニコミ」をつくり、のちには「読む会」と呼ばれた読書会も頻繁に行うなど、いま「独立書店」と呼ばれる新たなスタイルの書店の源流ともいえる店でした。
本展では、「定有堂書店」のベストセラーからTitleがセレクトした本を、奈良敏行さんのことばとともに並べます。在りし日の店の姿を伝える写真や絵、実際に定有堂に架けられていた額など、かつての書店の息吹を伝えるものも展示。定有堂書店でつくられていたミニコミ『音信不通』も、お手に取ってご覧いただけます。
◯2025年4月29日(火) 19時スタート Title1階特設スペース
本を売る、本を読む
〈「定有堂書店」という物語〉開催記念トークイベント
展示〈「定有堂書店」という物語〉開催中の4月29日夜、『本屋のパンセ』『町の本屋という物語』(奈良敏行著、作品社刊)を編集した三砂慶明さんをお招きしたトークイベントを行います。
三砂さんは奈良さんに伴走し、定有堂書店43年の歴史を二冊の本に編みましたが、そこに記された奈良さんの言葉は、いま本屋を営む人たちが読んでも含蓄に富む、汲み尽くせないものです。
イベント当日は奈良さんの言葉を手掛かりに、いま本屋を営むこと、本を読むことについて、三砂さんとTitle店主の辻山が語り合います。ぜひご参加下さいませ。
【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】
スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。
『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』
著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト
◯【書評】
『生きるための読書』津野海太郎(新潮社)ーーー現役編集者としての嗅覚[評]辻山良雄
(新潮社Web)
◯【お知らせ】
メメント・モリ(死を想え) /〈わたし〉になるための読書(4)
「MySCUE(マイスキュー)」
シニアケアの情報サイト「MySCUE(マイスキュー)」でスタートした店主・辻山の新連載・第4回。老いや死生観が根底のテーマにある書籍を3冊紹介しています。
NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて本を紹介しています。
偶数月の第四土曜日、23時8分頃から約2時間、店主・辻山が出演しています。コーナータイトルは「本の国から」。ミニコーナーが二つとおすすめ新刊4冊。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。