
数年前、『宇喜多の楽土』の前作にあたる『宇喜多の捨て嫁』を読んだとき、初めて歴史小説が面白いと思った。わたしの日本史音痴が原因で、それまでは他の歴史小説を読んでも途中で挫折してばかりだった(たいてい登場人物が多すぎて混乱してしまうのだ)。けれど、主人公・宇喜多直家の悪魔のような政略的な生き方や、それに翻弄される娘たちの姿は、当時の歴史的背景に詳しくなくても、ぐっと引き込まれる世界観を作り出していた。この出合い以来、食わず嫌いを克服したかのように、歴史小説をたびたび手に取るようになった。
『宇喜多の楽土』は、直家の嫡男・秀家が主人公だ。彼が生きた時代は、豊臣家が勢力を持ち繁栄し、そして徳川家康らによって滅ぼされていく、まさに動乱の戦国時代。秀家は幼少の頃から豊臣秀吉に目をかけられ、秀吉の養子である豪姫の婿となり、五大老のひとりにまで任命されるという、豊臣家とは切っても切れない間柄にいた。そのため、宇喜多家も暮れゆく流れの渦中にあった。
とはいえ、豊臣家と運命を共にするような生き方を選択したのは、秀家本人。宇喜多家内での反発や、家康の挑発に対して、または戦の勝敗の局面で、御家安泰の希望が見える方向は望まず、あえて苦難の道を選ぶ。しかし、それは父・直家の夢に影響されている。それは、領土である備前の干拓地を整え、流民たちに安定した生活の場を与えること。直家の晩年は奇病におかされながらも、密かにそんな「楽土」を夢みていた。
歴史小説の醍醐味は、史実として確実なことを踏まえつつ、大部分が創作で補われていることだろう。同じ人物でも、作者によってだいぶ違う性格の持ち主として描かれている。本書では、部下など秀家の周囲の人物がそれぞれに個性的でありながら温もりを持って描かれており、“戦国時代という現実”を生きた人間らしさがある。
豪姫もそのひとり。厳しい戦に向けて出立する夫に向かって、「かならず生きて帰ってきてください」「豪とかならず再会する覚悟を決めてください」と懇願するあたり、胸をうたれながらも、戦国の世にこんな夫婦の形は本当にあったのだろうかと想像をめぐらす。その後、戦に敗れた秀家が豪姫と再び会うことはできるのか。再会が叶うことは、泰平の世が訪れることであり、また「楽土」の夢が実現することではないだろうか。彼らの夢に感情移入してしまう。
秀家と豪姫が生きた時代は、歴史として今に続いている。異なる時代や目線から描かれた物語を読むことは、歴史の間を埋めていく作業のようなものだ。本書の後で再び前作を手に取ったら、また違う景色が見えてくるかもしれない。
「小説幻冬」2018年6月号
本の山

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