アフリカ・ガーナで現地法人を設立し、そのサービス開始直前、
31歳で舌癌を患い日本への帰国を余儀なくされた大山知春さん。
苦しい闘病生活、起業途中での挫折。
そんな彼女の心に支えになったのが、ガーナで触れた人々の生き方でした。
様々な「思考の呪縛」にとらわれず「今この瞬間を生きる」を実践するガーナの人。
昨日より、少し人生が楽になる考え方を紹介していく連載エッセイです。
* * *
社会にポジティブな変化を与えること
蚊は、厄介だ。日本でも。
でも、ガーナの蚊は、もっと厄介だ。
痒いだけでなく、なにせ、マラリアを媒介するのだから。
夜、外出するときには、オープンエアの場所も多いので、虫除けスプレーが欠かせない。
夕方以降の蚊がマラリアを媒介している可能性が高いので、刺されないにこしたことはない。
外食先で、いそいそと手足に虫除けスプレーを塗っていると、
「おまえ、手はよく洗えよ。どんな薬品が使われているかわからないから」
と言われた。
「じゃあ、お勧めの安全なメーカーは?」
「そういえば、俺の友達が化粧品会社をやっているんだ。何を商品に使っているか、ちゃんとわかるから、あいつのところの虫除けスプレーがいいかも」
と、久しぶりにと挨拶も兼ねて、そのままカールの友達のヤオに会いに行くことになった。
援助ではなく、ビジネスを
広い一軒家の一部を、工房に改造して、ドイツで化学工学を専攻したヤオは、天然素材を使った化粧品会社を営んでいた。
既に、ショッピングモールの中のホームセンターに卸すようになっていた。
デパートがなく、大きな量販店が限られるガーナでは、十分にマーケットを抑えているといえるだろう。
「俺の商品は、子供が舐めても平気な天然素材を使っているんだ」
ヤオが作る虫除けスプレーは、シアバターをベースに、シトロネラやレモングラスなどを混ぜたディートを使わない虫除けスプレーだった。
ディートとは、米軍が開発した虫除けの成分で、今では広く虫除けスプレーに用いられている。
ディートは、使用濃度によっては、神経障害や皮膚炎などを起こすことがある劇薬だ。
日本では、これまでディート12%までのもの使用が許可されていたが、デング熱などの騒動があった2016年以降、海外で販売されている同基準のディート30%まで含有した医薬部外品が販売されるようになっている。
シトロネラやレモングラスは、虫が嫌うハーブだが、ディートに比べると、効果はずっと低いと言われている。
けれど、私はガーナに住んでいる間、夕方以降、彼の虫除けを使っていて、蚊に刺された覚えはない。
「いいか。援助、援助って、アフリカが援助に頼る時代は、もう終わりだ! これからは、ビジネスで、俺たちが成長させるんだよ!」
一見、ヤクザ風な強面の彼は、そう言って、熱弁をふるった。
「俺は、海外でたくさん販売して、その利益で、ガーナの子供たちに、この虫除けスプレーを渡して、子供をマラリアから守りたいんだ」
世界で毎年40万人以上が、マラリアで死亡している。
その67%が、5歳未満の子供たちだ。
マラリアは、適切なタイミングで薬を飲めば、治る病気ではある。
しかし、具合が悪いことを伝えられない乳幼児の場合、夜中に進行して、気づいたときには手遅れになってしまったり、薬を買うお金がない家庭は、早く薬を飲ませられずに、命を落としてしまうことがある。
「未だに、マラリアなんかで死ぬ子供がこんなにいるなんて、信じられないよ!俺は、援助じゃない、ビジネスでこの国を変えるんだ」
彼は、時折、住宅密集地を周っては、虫除けスプレーを無償で住民に渡して、使ってもらう活動をしていた。
使用者の電話番号をメモして、あとで感想を聞き、商品開発に活かしている。
私も、一緒に同行させてもらい、子供たちに虫除けスプレーの使い方を説明して渡して歩いた。
住宅が密集している低所得者地域では、家が狭く、風通しも悪い。
蚊帳をつければいいのはわかっているけれども、暑くて、邪魔なので、使わなくなってしまうのが現状だという。
彼の商品は、今では、アマゾンを通して、アメリカ、カナダ、イギリスでも販売されている。
国の未来を創るアファスポラたち
“Diaspora” ディアスポラという、元々は各地に離散したユダヤ人を指す言葉がある。
そのディアスポラに、ガーナで最も使われるローカル言語トゥイの「ここにいる」という意味の”Aha” を掛け合わせて、”Ahaspora” アファスポラという造語がある。
海外に散り、学び、戻ってきたガーナ人たちのことだ。
これまで、アフリカから欧米に出て行った人たちは、そのまま欧米に残り、働き、暮らしていくことが多かった。
しかし、2007年の金融危機以降、欧米の景気悪化や、アフリカの経済成長なども合間って、欧米で勉強して、自国に戻ってくるアフリカの若者たちが増えている。
私が、ガーナで出会った人たちは、ビジネスパートナー、カールの友達が多いので、自然とそういう人たちばかりだった。
世界随一の大都市、東京では、様々なエンターテイメントが分散しているが、ガーナの首都アクラでは、彼らが集うバーやレストランなどは、まだ限られている。
だからこそ、日本にいる時よりも、面白い人に会える確率はうんと高くなる。
ガーナ暮らしの醍醐味と言える。
MIT やハーバードなどを卒業して、ガーナに戻り、起業する彼らは、みな、驚くほど聡明で朗らかで、でも子供のようなキラキラした目をして大きな夢を語っていた。
話をしているだけで、元気をもらえた。
「テクノロジーに関心のある若い連中が、そのまま国内で活躍できるような場所を作りたいんだ。俺は、まだ自分の国のために何もしていない。このまま、役立たずのままでは終われない」
オランダのビジネススクール在学中、カールは、一度だけ真面目にそう言ったことがある。
一緒になら、私も何かこの社会に意義のあることができるかもしれない。
それが何かもわからずに、その情熱に惹かれて、身一つでガーナに渡ったのだった。
社会のために
これまで、私は「国のために」なんて考えたことは、一度もなかった。
自分のキャリアを築くことに忙しくて、そんな考えがよぎることなんてなかった。
日本は、既に社会が成熟していて、自分の力の必要性を感じないからかもしれない。
自分が「何かしなくては」なんて、思いもよらなかった。
自分たち一人一人が国を創る、社会を創るのだという意識を持ったことがなかったのだ。
ガーナでは、特に、海外で勉強して戻ってきた人たちに、その意識が高かった。
腐敗や不正が横行するアンフェアな国の現状を重々承知しながらも、「自分が社会に変化を与えるんだ」とチャレンジする、同年代のガーナ人たちは眩しかった。
そんな現地の起業家に囲まれて暮らしていると、私にも、いつの間にか「自分が社会に何ができるのか?」という観点が、自然と芽生えていた。
誰もが成功者になれる
ガーナで、成功しようと頑張っている人にたくさん出会った。
そうするうちに、「成功とは、いくらお金を稼いだかではなく、人々の暮らしに、どれだけの違いを生めたかである」というミシェル・オバマの言葉が、「成功」の正しい定義なのではないかと思うようになった。
私がJUJUBODYで紹介するセルフケア方法で、生活が変わったと思ってくれる人が1人でもいるならば、私の人生は、十分に成功したと言えるのではないか?
きっと、それは、起業家だけではなく、会社勤めの人でも、主婦でも、クライアント、家族のために「違いを生む」ことができれば、誰でも成し遂げられるはずだ。
雨の日は会社を休もう ~アフリカから学んだ人生で大切なこと~
アフリカの自然生まれのセルフケアブランド「JUJUBODY」を手掛ける大山知春さん。
31歳の時、アフリカ・ガーナで現地法人を設立し、サービス開始しようとした矢先、舌癌を患い日本への帰国を余儀なくされた、大山知春さん。
いつ抜け出せるかわからない闘病生活、起業途中での挫折。
そんな時に心を癒してくれたのが、ガーナで触れた人々の生き方でした。
様々な「思考の呪縛」に取り払い、今この瞬間を生きることで、
とても楽に生きられるようになったといいます。
ポストコロナで、新しい生き方、働き方が注目される今、
日本で生きづらさを感じ悩みながら生きている人におくるエッセイです。