1. Home
  2. 生き方
  3. 猫だましい
  4. 半ノラ・ササミ、そして両親の送り方。

猫だましい

2020.11.12 公開 ツイート

覚悟の先に

半ノラ・ササミ、そして両親の送り方。 ハルノ宵子

自身の一筋縄ではいかない闘病と、様々な生命の輝きと終わりを、等価にユーモラスに潔く綴る、ハルノ宵子さんのエッセイ『猫だましい』より、試し読みをお届けします。

*   *   *

覚悟の先に

ササミという猫が死んだ。障害持ちのシロミより、1年半ほど前に我家の猫となったので、15~16歳だと思う。つまり現在の最長老だった。

ササミは、近所の大型商業施設の広場で産まれ育ち、私が捕まえて、避妊手術を受けさせたミケ猫だ。今でこそ区のおかかえ(?)猫保護NPO団体が、熱心に保護活動をしている が、当時はポンコツ団体ばかりが乱立していたので、私が1人でコツコツと捕まえては、自腹で避妊手術を受けさせていた(その数20匹超え)。

ササミの他の兄妹は、猫おばさんにもらわれたり、首尾よく避妊してリリースしたが、サ サミは、一瞬触らせるまでは慣れるのだが、頭が良くて警戒心が強く、NPOのワナなんぞ には引っ掛からない。私も大きな網で(よくサルとか捕獲するヤツね)狙うのだが、何度も 失敗した。その度に、再び慣らすのに2、3ヶ月はかかる。やっと捕まえた時には、1年以 上が過ぎていた。避妊手術を受けさせると、すでに妊娠していた。それも、明日にでも産ま れるという“臨月”だった。かわいそうなことをした。そうと分かっていれば、今回は見送 ったのに。ほっそりとした体型なので、分からなかった。「そんな悠長なことしてたら、ま た猫が増えちゃうじゃないか!」と、思われるかもしれないが、初産の母猫は、うまく育て られずに全滅する(またはせいぜい1匹の)確率が高いし、もしも育ったら、またその子を 捕まえればいいのだ。それが私のやり方だ。

ササミは手術後、2、3日うちで養生させてから、元の広場に戻すつもりだったが、慣れ てくると、あまりのかわいさに気に入り(特に母が)、うちのコとなった。

どの猫よりも、人間と暮らす幸せを享受し、それを表現してみせるかわいさを持つ半面、 1年以上をノラとして生き抜き、母となるはずだった用心深さと、野性の智恵を持っていた。 うちの人間にはなついていたが、お客さんが来ると姿を消すので、“幻の猫”と呼ばれてい た。どしゃ降りでも台風でも出て行く。東日本大震災の時は、丸1日帰らなかった。何かあ ったら、家の中より外の方が安全──という、ノラとしての本能が、そうさせるのだろう。 若い頃は、2、3日帰らないこともあったが、ササミは決して車や人には近付かない。何が あっても、本能を駆使して必ず帰って来る──という、信頼と自信があった。

そんなササミも、猫の老化のご多分にもれず、少しずつ腎機能が低下してきていた。数年 前に、歯肉炎が悪化して抜歯した時、かかりつけの動物病院の院長に、「腎機能の方は、まだ治療を始めるほどじゃないと思うよ」と、言われた。昨年(2018年)の夏頃、再び歯肉炎で食べづらそうにしているので、病院に連れて行くと、聴診器を当てていた院長が(病院だとササミは“借りてきた猫”状態になる)、「こりゃ甲状腺機能亢進症だな」と言う。これまた年寄り猫(特に雌)に多い。このドキドキ感では、麻酔をかけると、心臓が止まる危険性があると言う。抜歯はまず、こっちを治療してからだと、1週間分の薬を渡されたが、外の方が気持ちの良い季節だ。食べる時以外は、帰って来やしない。時々は飲ませられるものの、朝晩2回なんて絶対ムリだ。そんなある日、ササミは突然姿を消した。最近は出掛けるといっても、墓地内の目の届く範囲にしか行かないはずなのに。食べに帰っている痕跡もない。2階の窓から、墓地に向かって呼んでみたが、気配がない。この辺にはササミはいない。カンとしか言いようがないが、それが分かった。しかし、ササミを信じて待つしかない。

3日目の夜、ササミは2階のベランダの暗がりに座っていた。「良かった~!」と、抱き 上げて家に入れたい気持ちだったが、声だけかけて放っておいた。ササミのように、臆病で 警戒心の強い半ノラは、自分から近付いて来るのを待つしかないのだ。

寒くなる頃、やっとササミは、部屋の中でくつろぐようになった。それでも私が階下に行ってしまうと、不安なのかすぐにベランダに出て行く。かと言って、墓地に外出していく様子もない。墓地で恐い目にあったのは、間違いない。たった3日の間に、どれだけ恐い目にあってきたのだろう。少なくともササミにとっては、震災レベル以上の恐怖だったのだ。

ある日やっと、ササミは私の寝ているベッドに乗ってきた。ここまでくるのに、半年かかった。まともに姿を見なかった内に、ササミは薄汚れ、毛玉だらけのボソボソで、すっかりお婆ちゃんになっていた。幸い歯肉炎の歯は、自然に抜けたようだ。寝ている私に、ゴロゴロとすり寄る。なでていて、ふと見ると耳が切れているのに気付いた。ヤダ、けんかでもしたのか? 何かに引っ掛けて切れたのか? やけにキレイな切り口だ……ハッ! とした。

「ま、まさかね……」恐る恐るササミのお腹に手をやると、そこには数センチの傷跡があ った。愕然とした。すべてが分かった。ササミは、行方不明の3日間に、猫保護NPOにと っ捕まり、避妊手術をされたのだ(それもニャン生2度目の)。これじゃただの切腹だろう!

私は激怒した。NPO事務所に、バズーカをぶち込みたい衝動に駆られた(スミマセンねぇ過激で)。しかしNPOに事務所などない。ただのジジィ、ババァの寄り集まりだ。「ドシロ ウトどもめ! 許さん!」。イヤ……もしかすると、避妊済みの猫だと気付いたのは、獣医 だけの可能性もある。黙って閉じて「済みましたよ」と言っておけば、区の助成金が入るのだ。院長に訴えると、「そりゃひでーな。普通毛を剃れば分かるだろ」と言う。どんだけヤブなんだ! こっちは麻酔をかけるのにも、慎重に慎重を期してたというのに。しかしNPOのヤツに文句を言ったところで、猫を外に出す方が悪い。首輪も付けてないのが悪いと、 “印籠”のごとき常套句が返ってくるだけだ。怒りのやり場がない。しかし、この事件をき っかけに、ササミの腎不全は、急激に悪化していった。心身共に、たいへんなストレスを受 けたのだ。それなりに食べるのだが、痩せてきた。多飲多尿もひどくなったが、他の猫の使ったトイレには決して入らず、寝るため用の箱でしてしまうので、ササミ専用のトイレシーツ入りの箱を置くようにした。ササミは相変わらず、2階の墓地に面した部屋と、ベランダを出入りするだけだったが、ベッドや机の下から、寝ているササミの脚が見えているのを確認するだけで、ホッとした。ちゃんと畳の上で寝てくれているだけで、嬉しい。

ササミを病院に連れて行くべきか迷った。老化による腎不全に、根本的な治療法はない。 定期的に病院に連れて行き、輸液をする。もっと悪化してきたら(飼い主が望むのなら)点 滴になる。これは丸々半日、病院に預けることになる。動物の腎臓透析は(あるにはある が)普及していないので、ガンガン水分を入れて体内の毒素を流す。これが透析代わりだ。 飼い主は、少しでも長く一緒にいたいので、どうしても輸液や点滴を続けてしまうが、老化 による腎不全は、がん以上に不可逆なのだ。飼い主の方がワガママを言って、生かしている ような気がしてくる。ササミの性格、そしてあれだけの“恐怖体験”をしたのだ。せっかく 再び心を許してくれたのに、また袋詰めにして病院通いで恐怖を味わわせ、多少の延命をし てどうする。それじゃ~なぜ、同じく根治不能のシロミには、病院通いをさせるんだ? と、問われるとイタイ。自分の中でも、まだちゃんと決着がついていない問題だが、まず性格の違いが大きい。シロミは、幼い頃から病院慣れしている(もちろんイヤがるが)。「ウソでしょ! 今日も連れてくなんて!」ってな程度で、大きなストレスにはなっていないのだ。そ れと“乗りかかった船”ってことがある。リンパ性胆管肝炎は、まず急性の疾患として、発 症したのだ。その症状のアップダウンに振り回され、院長も私も、“あきらめ時”が見えて いないのが現状だ。

両親の場合も、性格が大きく影響した(また猫とゴッチャにしてゴメン!)。2人とも、 とことん束縛がキライだし、昼夜逆転生活の歴史は根深いので、施設はありえなかった。入 れちゃえば慣れてくれる、なんて言われるが、断言しよう。絶対にムリだ。あの2人は、史 上最強レベルの理屈巧者だ(母は晩年ゆる~くボケていたので、可能だったかもしれない が)。誰でも言い負かされる(まず私が折れるし)。それより父はむしろ、すべてをグッと内 に押さえ込み、沈黙するタイプだ(時々爆発するけどね)。施設はただの牢獄だろう。がん でも作って、ストレス死するに違いない。ただでさえ老人は、不自由な肉体に閉じ込められ ているのだ。できる限り、好きにやってくれたらいい。だから母の酒もタバコも止めなかっ た。命を縮めるとは分かっていたが、起きている姿勢をツラがるので、寝たきりになるのを 承知で許した。父だって、キチンと歯を磨け。起きてリハビリしろ。自力でトイレまで行け るんだから、こまめに行け。と、口うるさく言ってれば、ちょっとは寿命が延びたのだろう か。だとしても、お互いぶつかり合い、イヤな思いを抱えたまま、あの世に行くハメになる だろう。「イヤな思いまでして、キビシクしてくれて、ありがとう。本当は感謝しているん だよ」なーんて、言い残していくタマじゃないのだ。

いつだって自問自答していた。自分はただ、手を抜きたいだけじゃないのか(否めないが)? 嫌われたくないがための、事無かれ主義なんじゃないのか?

しかし、手を抜いたら、その分増える仕事も多いのだ。シーツを替える回数も増えるし、 急かさないので、万事にとんでもなく時間がかかる。特に母の寝タバコは恐怖で(布団も畳もコゲ跡だらけだった)、部屋に火災報知器を付けたりした。止めない、叱らないには、忍 耐と、何か起きたらすべてを引き受ける覚悟が必要なのだ。2人とも人生の、着陸(昇天?)態勢に入っているのだ。もう戻ることはない。いつ何が起こったって、覚悟してるか ら、イヤな思いをさせてまで、多少着陸を遅らせることに意味はない。

なので早々に、「ササミは病院には連れてかないからね」と、院長に宣言した。最後の力 を振りしぼって、墓地に出て行ったり、手の届かない場所に潜り込んで死んでしまうことも、 覚悟はしていたが、死の1週間ほど前、なんとササミは、元気だった頃でさえ、めったに降 りて来なかった、階下にやって来た。最後の3日間は、これまでの不在を取り戻そうとする かのように、キッチンのテーブルで仕事をする私の足元に、ベッタリとついていた。私もな るべく1人(匹)にしないよう、そこでうたた寝し、話しかけ、濃密で幸せな時間を過ごし た。両親の頃からの迷いや葛藤や、呪いまでが消えていく気がした。天はつらい覚悟の先に、 小さな奇跡を用意しておいてくれたのだ。

関連書籍

ハルノ宵子『猫だましい』

歩けない猫は猫じゃない。 自身の様々な闘病、老いた両親の介護と看取り、数多の猫たちとの出会いと別れを、透徹に潔く綴る、「生命」についてのエッセイ。 60を迎える頃、ステージIVの大腸がんを告知された時の第一声は「ああ〜! またやっちまった〜! 」。その1年少し前に、自転車の酔っ払い運転でコケて大腿骨を骨折、人工股関節置換手術で、1ヶ月近く病院のお世話になったばかりだし、5年前には乳がんで、片乳を全摘出している……。吉本隆明の長女であり、漫画家・エッセイスト・愛猫家である著者が、自身の闘病、両親の介護と看取り、数多の猫たちとの出会いと看病・別れを等価に自由に綴る、孤高で野蛮な、揺るぎないエッセイ。

{ この記事をシェアする }

この記事を読んだ人へのおすすめ

幻冬舎plusでできること

  • 日々更新する多彩な連載が読める!

    日々更新する
    多彩な連載が読める!

  • 専用アプリなしで電子書籍が読める!

    専用アプリなしで
    電子書籍が読める!

  • おトクなポイントが貯まる・使える!

    おトクなポイントが
    貯まる・使える!

  • 会員限定イベントに参加できる!

    会員限定イベントに
    参加できる!

  • プレゼント抽選に応募できる!

    プレゼント抽選に
    応募できる!

無料!
会員登録はこちらから
無料会員特典について詳しくはこちら
PAGETOP