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猫だましい

2020.11.01 更新 ツイート

大腸がんの内視鏡検査で、あられもない会話!? ハルノ宵子

自身の一筋縄ではいかない闘病と、様々な生命の輝きと終わりを、等価にユーモラスに潔く綴る、ハルノ宵子さんのエッセイ『猫だましい』より、試し読みをお届けします。

*   *   *

ああっ! もっと奥まで

内視鏡すら通さない超巨大大腸がんが発覚してからというもの、徹底的な繊維断ちの食事を心掛けた。年末年始の病院機能停止の間に、食べ物ががんに絡まって腸閉塞なんか起こしたら命にかかわる。

「よく噛めよく噛めったってな、そんなに噛んだら口の中でう〇こになっちまわ」という江戸っ子の常套句があるが、そのくらい意識して噛む日々が続いた。

思えば「今日は食欲もあるし、いつも不足気味な野菜たっぷりの料理を作っちゃうぞ」という翌日に限って熱が出たり、体調が悪くなっていた。あれは大腸がんに繊維質の食べ物が引っ掛かって、炎症を起こしていたのだと納得がいった。

混同されがちだが、繊維質と食物繊維は微妙に違う。たとえば、ごぼうや小松菜やえのきなど繊維質が多いものは、健常な腸の人なら難なく消化できるが、胃腸の弱っている人には負担になる。お年寄りなどに便秘によかろうと、きざんでいない野菜を大量に食べさせると、 かえって出なくなる場合がある。一方食物繊維は、出汁のような液状であってもパウダー状 であっても存在する。食物繊維は、腸内環境を整えるために必要不可欠だ。野菜にブイヨン、 さらに牛乳や生クリームを加えてミキサーにかけたポタージュスープなどは、完全栄養食だ ろう(やはり「いのちのスープ」の辰巳芳子先生は偉大だ)。なーんて分かっちゃいるけど、 自分のためだけに毎日作るのはめんどくさい。冷凍やレトルトでも、けっこういけるスープ はあるが飽きてしまう。ひたすら噛むしかない。元々小食だし、野菜嫌いではないが、あえ て好んで食べる方ではなかったし、火が通っていない生野菜のサラダなどは、どちらかとい うと苦手だ。野菜が食べられないのは、さほど苦痛ではなかったが、切なかったのは“薬 味”だ。ピータン粥を鶏ガラ出汁からきちんと作ったのに、クリスマスツリーの頂上の星の ごとき白髪ねぎをトッピングできない。誕生日に妹一家がごちそうしてくれた羊料理店で、 パクチー抜きだったのは、身もだえするほどくやしかった。

年末年始の栄養分を消化しやすいたんぱく質と炭水化物、サプリと麦のジュース(アルコール入り)で何とか乗り切り、お正月明けにやっと都立K病院での内視鏡検査にこぎつけた。

八重洲のクリニックでは、検査当日までに自己責任でお腹を空っぽにしてきたが、K病院では最終段階の2l近い下剤を2時間ほどかけて病院内で飲み、ホントにすべて出たかどうか、トイレで出たブツをナースに確認してもらうというシステムだった。

検査衣を着た 人ほどの老若男女(とは言ってもほとんどが 代以上のジジ・ババだ)が、 定食屋にあるような安っぽいテーブルとスチール椅子の一室に集められ、各自2lの液体パ ックを抱え、プラカップに注ぎながら飲み、もよおした人からトイレに行き「出ました」と、 ナースに申告する。実にこっけいだ──と言う自分も既にババの域なんだなあ……と、しみ じみ思う。 代と思われる人も2、3名いたが、皆カウンター席で壁に向かってスマホをいじってい る。「出ない出ない」と焦る人、「私なんてこの検査はもう3回目ですよ」と、自慢げに言う ジジ。2、3名のおババたちは、世間話で盛り上がっている。「今日の皆さんは、にぎやか なんですねぇ。シーンとしてる日もあるんですよ」と、ナースが言う。「へぇ~そうなんだ」。 失礼でない程度の挨拶くらいしかしない私には、それがアタリ日なのかハズレ日なのか分か らない。

あきれたのは、女性はもれなく1人でこの検査に来てるのに、ジジの半数以上は奥さんか娘さんが付き添って来ていることだった。もちろん 過ぎだって、この時間帯就労中のダンナもいるだろうが、奥さま方だってやらねばならない仕事が山積みのはずだ。誰もがうんざりした表情だし、携帯での連絡作業で頭を下げている女性もいる。壁際に並べられたスチール椅子で、検査本番も含め4時間近く無為の時間をダンナのために費やし、これで帰ってすぐに「あ~腹へった! メシ」なんて言われたら、殺意を覚えることだろう。

やっと検査。この病院の検査室には、でっかいモニターが付いている。自分で見ることが できるのが、嬉しかった。最初は左を下にして横向きになって膝を曲げた姿勢だ。上目でモ ニターが見える。「これもがんですね」と内科の先生。1・5 くらいだろうか。そのちょ っと先に進むと、シロウト目には訳の分からない状態になっている。どこがどうなっている のか「これが八重洲の言ってた全貌が分からないってヤツか」。さすがのK病院も悪戦苦闘 している。「うつぶせになってみてください」。モニターが見えないので首をねじ曲げると「動かないで!」と注意される。しかしそこはがん拠点病院だ。ナースに指示すると、もっ と細いサイズの内視鏡が出てきた。「右を向いて。次は仰向けになって」「脚を開いてみて」「狭くて通らない……もっと大きく。あっ入った」「ああっ痛たたっ! でもセンセ、せっか く入ったんだからもっと奥まで」──って、なんちゅー会話しとるんだと、ふと我に返った。 幸いその先にはがんは無かった。内視鏡を通して、デザイン用カッターの先のような細い 刃を入れると、巨大がんにサクッと切れ目を入れ、何やら泥状の液体をかけている。これは 染料で、外科手術の時のアプローチになると言う。「落ちちゃわないんですか?」と尋ねる と、つまりは入れ墨なので落ちないのだそうだ。「へぇ~! がんに入れ墨ねぇ。ためになったなぁ(何の?)」と、やりとげた気分で病院を出た。 昨日は禁酒だったし、この辺はろくな飲み屋が無いので、タクシーで上野まで行って1杯やることにした。

関連書籍

ハルノ宵子『猫だましい』

歩けない猫は猫じゃない。 自身の様々な闘病、老いた両親の介護と看取り、数多の猫たちとの出会いと別れを、透徹に潔く綴る、「生命」についてのエッセイ。 60を迎える頃、ステージIVの大腸がんを告知された時の第一声は「ああ〜! またやっちまった〜! 」。その1年少し前に、自転車の酔っ払い運転でコケて大腿骨を骨折、人工股関節置換手術で、1ヶ月近く病院のお世話になったばかりだし、5年前には乳がんで、片乳を全摘出している……。吉本隆明の長女であり、漫画家・エッセイスト・愛猫家である著者が、自身の闘病、両親の介護と看取り、数多の猫たちとの出会いと看病・別れを等価に自由に綴る、孤高で野蛮な、揺るぎないエッセイ。

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