
最近では、本の注文も仕事の用件も、メールで届くことがほとんどなので、電話が鳴ることに対し軽い恐怖を覚えるようになった。知らない電話の声は、実際に面と向かって話すときより、〈他者〉に触れていることを強く思い起こさせる。本を注文したお客さんからも、電話での入荷連絡はしないでくださいと言われることが増えているので、おそらくわたしと同じように感じている方が多いのではないか。
店にかかってくる電話の半分がセールスの電話であるといえば、みなさんは驚かれるかもしれない。電気料金、なんとかペイ、手軽にできる販促サービス(?)などその内容は様々だが、どれも電話を取った瞬間に、日常の会話では聞くことのない取りすました人工的な声が聞こえてくるので、そのトーンで何の電話かわかってしまう。
そうした電話がずっと続いていたある日のこと、さすがにうんざりして次にかかってきた電話に対し、強めの口調で文句を言ってしまった。
いや、二三分も時間なんてないですよ。別に聞きたいと思っている内容じゃないんだから……。
そういうと、電話口の青年はしばらく黙ったあと、……そうですよね、お忙しいなか失礼しましたと、静かな声で電話を切った。その時は、言ったわたしも嫌な気になったが、濁りのある最後の声が、彼のほんとうの声なのだとわかったことに、なぜだかほっとしてしまった。
彼は自分の声を押し殺しながら、リストに従い電話をしているのだろう。そうした匿名でのやり取りは、この社会に巣くうカフカ的な迷宮を想像させ、その一端に触れただけでもぐったりとしてしまう。
あのー、すこしお聞きしたいんですけどぉー
何でしょうか
今度発売の何て雑誌かわからないですけど、トートバックの付録がついていて
ああ。『〇〇』という雑誌であれば、店に入荷はありませんで……
電話はそこで切れ、会話は終わってしまった。女性の声からは、もう何軒も電話をかけたあとなのだという苛立ちが最初から伝わってきたので、途中で電話を切られたことも不思議ではなかった。
声は、たとえば顔に表れる表情よりも、その人の感情を生のまま伝えているのではないだろうか。
ある日仕事の電話を切ったあと、その時たまたま横にいた妻から、こらえきれないという顔で大笑いされた。
だってあなた、だんだん声が小さくなっていくから。はい、はい……、はい………って。あー可笑しい!
まあ確かにそうだなと思って、その時はわたしも笑ってしまった。電話で話した男性は、自分がいかに仕事ができるかについていくつも例を挙げ、よく通る大きな声で語りはじめたから、この人嫌だなと思ってしまったのだ。横で聞いているだけでも、何を考えているのかわかってしまうのだから、声というものはおそろしい。
今回のおすすめ本
ここ数年作品の復刊、再評価が進んでいるフジモトマサルさんの4コマ漫画集。静かな笑い、ウイットに富んだ会話、おだやかさ……。すべていまの世界に足りない、必要とされているものである。
◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます
連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBS
◯2025年6月6日(金)~ 2025年6月24日(火)Title2階ギャラリー
きみまでのおさらい
井上奈奈『うさぎまでのおさらい』刊行記念展
2018年ドイツにて開催された「世界で最も美しい本コンクール」にて銀賞を受賞し、話題となった絵本『くままでのおさらい』。そのスピンオフ作品として制作された『うさぎまでのおさらい』が、このたび装いもあらたにビーナイスより刊行になります。今回の作品展では、この『うさぎまでのおさらい』『くままでのおさらい』とともに、2024年に刊行になったエッセイ集『絵本を建てる』の作品も展示します。
◯2025年6月28日(土)~ 2025年7月14日(月)Title2階ギャラリー
Titleからほど近い阿佐ヶ谷にあった、大正末期に建てられた文化住宅・旧近藤邸。そのたたずまいは宮﨑駿監督の著書『トトロの住む家』のなかでも取り上げられました。緑に包まれ、静かに時を刻んできたこの家の在りし日の姿を活写したのが、このたび刊行された公文健太郎さんの写真集『バラの花咲く家』(平凡社)です。旧近藤邸は残念ながら2009年に不審火で焼失してしまいましたが、美しい写真プリントで、多くのひとに愛されたその姿があざやかに蘇ります。
【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】
スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。
『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』
著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト
◯【寄稿】NEW!!
店は残っていた 辻山良雄
webちくま「本は本屋にある リレーエッセイ」(2025年6月6日更新)
◯【お知らせ】
「はたらき」を回復する /〈わたし〉になるための読書(5)
「MySCUE(マイスキュー)」
シニアケアの情報サイト「MySCUE(マイスキュー)」でスタートした店主・辻山の新連載・第5回。人の流動性が高まる春、さまざまな仕事とその周辺についての3冊をご紹介します。
NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて本を紹介しています。
偶数月の第四土曜日、23時8分頃から約2時間、店主・辻山が出演しています。コーナータイトルは「本の国から」。ミニコーナーが二つとおすすめ新刊4冊。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
本屋の時間の記事をもっと読む
本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。