
18時を過ぎてもまだ外は明るい。店は夕方から混みはじめ本も順調に売れている。しかしその日はそれを素直によろこぶことはできなかった。
緊急事態宣言解除。
そのことば自体どこか芝居じみて聞こえるが、それを受けてすべてはまた動きだすのだろう。まずは経済が、多くの店が、学校が……。街には人の姿が戻り、たくさんのよろこびの声がニュースでは報じられるに違いない。もちろん早くこの状況が収まればいいと思っていたし、気軽に旅行にだって行きたい。苦境にある人や店にとって、日常の回復は一刻を争うことだ。
でももう少しそこに立ち止まっていてほしい。まだその問いについて考えている人がいるかもしれない。マスクの在庫や新規感染者の数、新しい生活様式などと目のまえのことを追いかけているうちに、この間実は考えなければならなかった問いに、するりと逃げ出されてしまった気にもなった。両手の手のひらに昨日までのことがもう何も残ってないとすれば、あれだけ大騒ぎしたこの春は一体なんだったというのか。
結局わたしたちは一つのことに対して深く感じるための機会を、また自らの手で逃してしまったのではないだろうか。
わたし自身はこの2ヶ月、ほぼ家にいることはできなかった。この期間もう少し本が読めるのではないかとひそかに思っていたのだがそうはならず、同じ町内のなかで毎日店と家とを往復した(それはいつもと同じだ)。
しかし予定していたイベントがなくなりギャラリー展示やカフェを休止してみると、本を人に渡すというこの仕事の本質がはっきりとして見えた。
人が生きるためにパンは必要だが、それだけでは人間の「生活」とはいえない。そこには心をなぐさめるものがなければならず、食卓の珈琲の匂いやふと目を留めた絵画や花など、なくてもよいがそれなしではいられないものが、人を人たらしめている。

この期間たくさんの求めがあった。メールに自分の欲しい本を送ってくれとリストにして書きつける人もいたし、値段だけ伝えてあとはおまかせという人もいた。50センチほど開けていたシャッターからもぐりこみ、店内に入ってきた人には驚いた(それは運送会社へのサインだったのだが)。求められた本はどれも不要不急といわれればそうかもしれないが、それでもやはりその人にとっては切実で、生きるために必要とされている手ごたえがあった。一人一人の求めに応じ、それを渡していくのが本屋の仕事なのだろうとあらためて思った。
社会はまた走り出そうとしている。そのことにわたしは違和感がある。いまはすこし仕事をスローにしても、もっと深く本のことを知りたいと考えている。何をのんきにやってるんだといわれようとも、自分の速さで歩きながら考える。そうした根っこがないと、それは〈わたし〉の仕事であるとはいえない。
今回のおすすめ本

はじめてこのリトルプレスを見たとき、いい名前だなと思った。特集も寄稿もしっかり考えられており、なにより〈自分のために作られた〉という気配が濃厚だ。それは続けていくうちに忘れられがちなことだが、この小さな本はしっかりと初期の衝動を残している。
◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます

連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBS
◯2025年11月28日(金)~ 2025年12月22日(月) Title2階ギャラリー
劇画家・バロン吉元が1971~72年に発表した代表作『昭和柔俠伝』(リイド社刊)の復刊を記念し、同作の原画のみを一堂に集めた初の原画展を開催します。物語の核となる名場面を厳選展示。バロン吉元はいかに時代を切り取り、そこに生きる人々の温度を紙にこめてきたのか……。印刷では伝わりきらない、いまだ筆致に息づく力を通して、原稿用紙の上で世界が立ち上がる軌跡を、原画で体感いただける機会となります。
◯2025年12月25日(木)~ 2026年1月8日(木) Title2階ギャラリー
毎年恒例の古本市が、今年もTitleに帰ってきました! Titleの2階に、中央線からは遠いお店からこの辺りではお馴染みの店まで、6店舗の古本屋さんが選りすぐりの本を持ち寄って、小さな古本市を開催します。10回目の今年は、新しい店も参加します! 掘り出しものが見つかると古本市、ぜひお立ち寄りください。
【『本屋Title 10th Anniversary Book 転がる本屋に苔は生えない』が発売になります】
本屋Titleは2026年1月10日で10周年を迎えます。同日よりその10年の記録をまとめたアニバーサリーブック『本屋Title 10th Anniversary Book 転がる本屋に苔は生えない』が発売になります。
各年ごとのエッセイに、展示やイベント、店で起こった出来事を詳細にまとめた年表、10年分の「毎日のほん」から1000冊を収録した保存版。
Titleゆかりの方々による寄稿や作品、店主夫妻へのインタビューも。Titleのみでの販売となります。ぜひこの機会に店までお越しください。
■書誌情報
『本屋Title 10th Anniversary Book 転がる本屋に苔は生えない』
Title=編 / 発行・発売 株式会社タイトル企画
256頁 /A5変形判ソフトカバー/ 2026年1月10日発売 / 800部限定 1,980円(税込)
◯【寄稿】
店は残っていた 辻山良雄
webちくま「本は本屋にある リレーエッセイ」(2025年6月6日更新)
◯【お知らせ】
心に熾火をともし続ける|〈わたし〉になるための読書(7)
「MySCUE(マイスキュー)」 辻山良雄
あらゆる環境が激しく、しかもよくない方向に変化しているように感じる世界の中で、本、そして文学の力を感じさせる2冊を、今回はご紹介します。
NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて本を紹介しています。
偶数月の第四土曜日、23時8分頃から約2時間、店主・辻山が出演しています。コーナータイトルは「本の国から」。ミニコーナーが二つとおすすめ新刊4冊。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。















