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2019.06.13 更新 ツイート

#2 恋のはじまり…涙なしには読めない恋愛物語河原れん

同乗したバイクで事故に遭い、恋人・淳一を亡くした泉美は、その時の記憶をどうしても思い出すことができない。失われた「最期の記憶」を取り戻すため、泉美は弁護士の真希子に、事故の調査を依頼する。やがて明らかになる泉美の記憶。それは、心を射ぬくような苦しい真実であった……。北川景子主演で映画化もされた、河原れんのデビュー作『(またたき)』。読めば読むほどに引き込まれる物語の冒頭を、抜粋してお届けします。

*   *   *

(写真:iStock.com/lzf)

今日も新しい一日がはじまっている。

昨日赤いTシャツを着ていた男性は、今日はどこかの大学の名前が印字されたTシャツを着て走っているし、ランドセルを背負った男の子が土手に登って振り向くと、向かいの白いタイルのマンションのベランダから、いつものように母親が手を振り返している。

昨日とおなじだけどちょっと違う、新しい朝が来ている。それに安心し、そして少し怖くなる。

彼らも私のことを覚えてくれているだろうか。毎朝すれ違う女の人。手も足もばらばらで倒れるように走る人。そんなふうに笑っているのかもしれない。

もしも私が走るのをやめたら気づいてくれるだろうか。そして、すぐに忘れてしまうとしても、少しでも淋しいと思ってくれるだろうか。そんな思いが頭をよぎる。

歩いているのか走っているのかわからない速度になって、ようやく折り返し地点の三本目の橋のたもとにたどり着いた。橋の上をひっきりなしに車が行き交っている。

止まると心臓の鼓動をよけい強く感じた。

膝に手をのせ、頭を垂れた。足が笑い、肩が震える。

呼吸を落ち着かせ、やっとのことで顔を少し上げると、橋の向こう岸の土手に、往来する車の隙間から私とおなじように頭を垂れて立っている向日葵が見えた。

真夏の太陽をさんさんと浴び咲き誇った向日葵が、褐色になった花弁を下げている。夏に取り残されて眩しそうに俯いて、なにを見ているんだろう。

大きく呼吸を繰り返し、吸いこんだ空気を胸に入れる。額を伝った汗が前髪の先にとどまり、ゆっくりと落ちていった。

橋の向こうには、まだ行けない。

たとえば、気がついたら公園のベンチに座って五時の鐘が鳴るのを待っていたり、子どものころのアルバムを押し入れから引っぱり出してきて何時間もぼんやりと見つめていたり、夜中に何度も読んだ古い本をめくっていたり……。そういうときは自分でもネジがどこか外れてしまっているのかもしれない、と思う。

それでも、日々の暮らしの中でそういうことは少しずつ減ってきて、自分の体内時計をまわして生活をし、仕事にも先月末やっと復帰した。今までどおりきっとやっていけるはず、自分ではそう思っていた。思おうとしていた。それが強がりだとわかってはいても、今はそれがほかのなによりも大きな拠り所になっていた。

木製のつっかけを履いた母と、洗濯カゴ越しに目が合う。その足もとで、母が長年愛しんで育てた草花や下草が樫の木の下、ささやかながら庭を彩っている。ひとつだけ鉢に植えられた木蓮は父が祖母から受け継いで大切にしているものだ。

「すごい汗ねぇ。お風呂沸かしておいたから入ってらっしゃい」

こんなふうによく晴れた日、母は本当にうれしそうに笑う。降り注ぐ日差しの下で眩しそうに目を細めながら、かかとを上げて洗濯物を一枚一枚干していく。

「ぬるかったら、あれ……横のボタン押してね。ご飯も用意してあるから、出てきたらお味噌汁よそって食べてちょうだい」

どんなに強がってみても、こういう母のなにげない優しさに思いのほか胸が詰まってしまうのは、たぶん確かなものなどなにもないと思っていた世界の中でも、変わらず〈ある〉ものに敏感になっているからなのかもしれない。

変わらずにあるものを探して、求めて、待ちわびて、それを見つけると言いようもないほどほっとする。

毎朝の日課、母の作る食事、庭の木々、五時の鐘……。

そして、その一つひとつを失うことを恐れている。

きっと、母はそれに気づいているのだと思う。私がいつも変わらないものを守ろうとしていることを。変わってしまうのが怖いと思っていることも。

子どものころは、普通になりたくないと思っていた。人と少し違う、自分らしい存在になりたいと憧れた。

でも、普通ってなんなのだろう。それが、今はわからない。昔は、変わらないことが普通だと思っていた。けれど、なにもせずに突っ立っていれば、すべては私を追い越すように目まぐるしく変化していく。刻々と色を変え、気がついたときにはまったく違うものになっていたりする。

私はそれに足並みをそろえて、追いつきたいと思っている。けれど、心のどこかで、というより心のほとんどがそれを強く拒む。

どんなに急きたてられても「ここにいたい」「ここにとどまっていたい」と。なにもかも、時間も止まって、動かないでいてほしいと。

汗のしみた上着を脱ぎ、脱衣所の鏡に背を映した。そこには、傷もなにも消えてしまった、ただ白く少し骨ばった背中が浮かんでいた。「そのうちに薄くなる」と言われた数センチの傷は、跡形もなく消えてしまった。嘘みたいに、まるでなにもなかったとでも言うように。

湯気の立ちこめる風呂場の小窓を開けると、日はもう高く昇っていて、あの日みたいに大きな雲が空を包んでいた。

今日も暑い日になりそうだ。私は目を細めてどっしりと動かない雲を見上げ、吐息をひとつ、小さくついた。

(写真:iStock.com/blew_i)

都会のはずれを流れる一本の長い川。その川のほとりで私は生まれ、育ち、恋をした。

多摩川は山梨県の笠取山に源流を発し羽田沖の東京湾に流れ注ぐ、と小学校の授業で習ったけれど、私が知っているのは中流と呼ばれるこの地域で、上流にも下流にも行ったことはないし、あまりにも当たり前に生活の中に川があったから興味を持つことさえなかった。

日の傾きも季節の移り変わりも、みんなここで学んだ。たとえば駅に出るには一度橋を渡らなくてはいけないし、学校や今の職場もすべて川沿いにあった。日々の暮らしに寄りそうように、川がいつもすぐ近くを流れていた。

向こう岸に渡ればもう神奈川県で、自分が東京に住んでいるという意識はあまりない。なんと言うか、どこでもない境界線の上にいる、そんな感じがするのだ。

昔はもっと水が綺麗で、父は毎日のように魚釣りをしていたらしい。さすがに私が子どものころは釣りをする人は少なかったけれど、遊び場といえば川辺しかなかった。よく水浴びをして泥だらけになって遊んだ。橋に夕日がかかるころが、家に帰る時間だった。

大雨が降ると水かさが増して、土手が浸水することもあった。子どもの時分は、それさえお祭りのようで、堤防にしゃがんでわくわくしながら澱んだ流水を眺めていると、迎えにきた母にこっぴどく叱られた。

この時代にしては珍しく、いまだに畑がいたるところに点在する川岸の町に、自分の家よりも慣れ親しんで育った。

この静かすぎるほどの町も、年に一度だけ、七月の花火大会の日だけは人で埋めつくされる。どこから集まってくるのか、台風の日の川のように堤防にあふれ返った人々が、夏の夜空に浮かぶ大輪の花を一斉に見上げ歓声を上げる。何千種という大掛かりな花火が競うように空に舞い、パチパチと音を響かせながら光の雨を降らせる。町中が賑やかに彩られるこの風物詩を、私はなによりも楽しみにしていた。

二か月前のその日も、お昼ごろから駅のまわりが混みはじめ、気の早い人たちが土手に陣取ったシートの上で寝転がっていた。中には前夜から寝泊まりしている人もいる。

昼も過ぎれば、土手には窮屈なほど人が集まり、屋台や物売りも出てあっという間ににぎやかになった。都心から離れたなにもない町に大挙して人が押し寄せる光景は、奇妙ではあるけれど、ここに住むものとしては少しうれしくもある。

私は前の晩、淳ちゃんとずっと長電話をしていて、配達の道すがらぼおっとした頭で空を見上げると、じりじりした太陽に目が眩んだのを覚えている。青い空にはいかにも夏を謳歌している気球みたいな入道雲が浮かんでいた。

今思えば、本当にどうしようもないくらい取りとめのない話をずっとしていた。それでも、そういうなんでもない話を何時間でもしてふわふわと過ごしているのが好きだった。

真っ暗な部屋でベッドに横になって、枕に受話器をうずめて淳ちゃんの声を聞く。頭に押されて真空状態みたいになった枕の中から聞こえる淳ちゃんの声が、耳に響いてくすぐったくなる。

「泉美はさぁ、子どものころから花屋になりたかったの?」

「私? ……うん、たぶんそう。おばあちゃんが生け花の先生だったの。お母さんもずっと習ってて。お花選びに、よく一緒にお店へ連れてってくれたの。もうそのころからなんとなく、大きくなったらここで働くんだと思ってた」

子どものなりたい職業ナンバーワン、夢が叶ったってことでしょ。淳ちゃんは言った。

私にとっては当たり前のことだったけど、たぶんそういうことになるのだろう。

「淳ちゃんは? 淳ちゃんはなにになりたかった?」

彼は短い沈黙のあと答えた。

「小学校のときは、学校の先生かな」

意外な答えに私は小さく笑った。男の子にしては極めて普通すぎる、まっとうな答えだと思ったのだ。

「どうして?」

「校庭にさ、白い線を引く箱みたいなのあっただろ。赤くて細長い、車輪の付いたちっちゃいポストみたいなやつ。あれがやりたくて、放課後、倉庫から持ってきてこっそりやってみたんだよ。でも全然まっすぐに引けなくてさ。これはもしかしたら職人の技みたいなのが必要なんじゃないかって思ったんだよ。十年やったら一人前みたいな。でっかい校庭に真っ白い線を引くのってかっこいいなぁって思って」

私にはその、白い線を引くポストのことがさっぱりわからなかった。

「そんなの、私の小学校にはなかったよ。校庭は土じゃなくてゴムでできてたから、はじめから線が引かれてたし。あ、でも黒板に綺麗な字をすらすら書ける人はいまだに憧れるかな。あれってさ、見た目よりけっこう難しいんだよね」

淳ちゃんと知り合ったのは高校生のときだ。

近いからという理由だけで選んだ、進学校ではないのんびりとした高校だった。彼は一年生のときにこの町に引っ越してきた転校生だった。

先に好きになったのは、たぶん私の方だ。淳ちゃんは隣のクラスの少し浮いた感じの男の子だった。友達がいないわけでもないのに、いつもその輪から離れたところで、どこか違う方向を見ていた。意識してそうしているのではなくて、それが彼独特のペースだった。飄々と涼しげな顔をしていて、なんとなく半歩ずれている。何年たっても変わらない、彼の癖みたいなもの。

はじめて彼の姿を見かけたのは、花火大会も終わって、川辺に涼しい風が吹きはじめた日の朝だった。

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河原れん『瞬』

同乗したバイクで事故に遭い、恋人・淳一を亡くした泉美はその時の記憶をどうしても思い出すことができない。失われた「最期の記憶」を取り戻すため、泉美は弁護士の真希子に、事故の調査を依頼する。やがて明らかになる泉美の記憶。それは、心を射ぬくような苦しい真実であった。一瞬に秘められた愛の行方を瑞々しく綴る、珠玉の長篇小説。北川景子と岡田将生が共演の映画化の話題作。

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河原れん

1980年生まれ、東京都出身。上智大学法学部卒。大学卒業直前に小説に傾倒し、2007年、初の長編小説である『瞬』を発表。09年、谷村志穂原作『余命』の映画化の際には企画・脚本を担当。その他、翻訳や書籍プロデュースなど活動は多岐にわたる。

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