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ベイジン

2019.05.12 公開 ツイート

#3 神の火か、悪魔の劫火か…巨大原発をめぐる社会派小説! 真山仁

中国の威信を賭けた、北京五輪の開幕直前。開会式に中継される“運転開始”を控えた世界最大規模の原子力発電所では、日本人技術顧問の田嶋が、若き中国共産党幹部・鄧に拘束されていた。このままでは未曾有の大惨事につながりかねない。最大の危機に田嶋はどう立ち向かうのか……。2011年に発生した、福島第一原子力発電所の事故を予言していたとも言われる、真山仁の社会派小説『ベイジン』。今回は特別に、本書の冒頭をみなさんにお届けします。

*   *   *

(写真:iStock.com/martin_33)

「ご安全に」

すれ違いざまに発電所の建設現場特有の言葉で挨拶された田嶋伸悟は、慌てて笑みで返した。

「ご安全に」

だが相手の姿はすでになく、誰もいない薄暗い廊下に田嶋の声が響いただけだった。

考え事をすると周囲が見えなくなる。田嶋の悪い癖だった。しかも深刻になればなるほど、視野も狭くなる。今なら、せいぜい周囲三〇センチ程度か。自覚している以上に悩みは深いようだ。

DEC(Dia Engineering Company=大亜エンジニアリング)のプラント部長である田嶋の視野を狭くしているのは、彼が率いるプロジェクトの頓挫がいよいよ決定的になった、という情報のせいだった。彼は福井県敦賀の嶺南発電所で、独立系原子力発電会社の日本原子力(日原)と共に、世界最大級のAPWR(Advanced Pressurized Water Reactor=改良型加圧水型原子炉)原子力発電所の建設に挑んでいた。

地球温暖化や慢性的なエネルギー不足に悩む中国やインドによる原発建設計画ラッシュ、さらに過去三〇年も新規の原発建設を封印していたアメリカが新プラント建設を再開し、世界の原発機運は一気に高まりを見せていた。

地球温暖化防止の圧力は高まっても、決定的な決め手はなく、その上BRICs(ブラジル・ロシア・インド・中国)などの新興国の急成長で、温暖化は抑圧されるどころか、悪化の一途を辿っていた。その結果、安全面で及び腰だったヨーロッパ諸国ですら、化石燃料発電の代替発電には原発しかないという認識が高まってきた。さらに、二〇〇五年、OECD(経済協力開発機構)のエネルギー問題に関する専門機関IEA、国際エネルギー機関が、「世界エネルギー見通し」という文書で、原発推進を強力に後押しする姿勢を鮮明にした。これによって先進国内での原発推進ムードは一気に強まった。

一方、アメリカが原発建設を凍結していた間に、着実に原発を増やした日本は、世界屈指の原発大国へ登り詰めた。今や世界中の原発は、日本の原発メーカーと製鋼技術なしでは成り立たない。

そうした状況の中、日本の原発業界では、従来の一〇〇万キロワットタイプから、一五〇万キロワット超の巨大原発の建設に期待が集まっていた。実際、日本のライバルであるフランスや、原発エンジニアリング(設計監理)分野でリードし続けるアメリカなどでも、大型改良型炉の研究開発が続いていた。

一五〇万キロワット超級の原発とは、ただ規模が大きいだけに止まらない。不幸な事故をも含めた過去の様々な経験を生かした、より安全で信頼性の高い効率的な技術が求められるのだ。

田嶋らが取り組んできたプラントは“原発大国・ニッポン”を世界に誇示するための国家的プロジェクトだった。成功すれば世界の先駆けとなり、今後の大型原発建設競争を間違いなくリードすることになる。

もっとも日本国内では、必ずしも原発に対して追い風が吹いているわけではなかった。二一世紀に入っても深刻な事故が続き、二〇〇四年には関西電力美浜発電所三号機で五名もの死者を出す事故が発生。それに前後して、原発運転中に起きたトラブル情報を電力各社が隠蔽したり、改竄した事実が発覚して、国民の間に原発不信の波が広がった。そしてマスコミに煽られ、「これ以上の原発は不要」という声が各方面から上がった。

日本の年間総発電量は、約一兆キロワット。ここ一〇年、横ばい状態が続いている。バブルが崩壊しても、消費電力だけは右肩上がりが続き、電力業界は不況知らずだと言われた。そればかりかIT時代の到来で、電力需要はさらに強まると見られていたのだが、期待は大きく裏切られた。

長引いた景気後退の影響で、消費者側がコスト削減を推し進めたためだ。すなわち快適な生活は続けたいが、世界屈指の高さと言われる電気代は抑えたい。企業から個人に至るまでの一致した思いによって実現した省エネ技術の革新が、電力消費を抑制したのだ。それが、新規原発不要論の一因になっていた。

しかし、たとえ新規需要が見込めなくても、地球温暖化の元凶である化石燃料発電に頼る現状からの脱皮には、原子力が絶対必要! という政府の音頭の下、田嶋らは夢を繋いできた。

もちろん頓挫の危機は何度もあった。しかし、「世界をリードする日本の原発技術の炎を消すな!」という関係者の強い想いが、プロジェクトの存続を守ってきた。

今回も何とかなると高をくくっていた矢先、日原のプロジェクト室長・山城彰から思い詰めたような口調で呼び出された。それが先週の話だった。

(写真:iStock.com/thall)

──プロジェクト資金の融資元が、今後の融資について再考したいと言ってきたんだ。

田嶋が部屋に入るなり、憤懣やるかたない様子の山城が切り出した。

嶺南四号機の建設費は、約五〇〇〇億円。しかし、困難を極めた工事は大幅に遅れ、技術的な改良の必要性などもあって、追加資金が必要だった。

──運開から向こう一〇年の電力需要シミュレーションを再度調査したところ、投資回収期間が甘いという判断が下されたそうだ。

すなわち、これ以上の融資は無理ということだ。しかし、資金調達の方法は、他にもあるはずだった。実際、新たなる資金調達先が見つかりそうだという話もあったのだ。そこに降って湧いたのが、今年に入っていきなり大株主になったドイツ系ファンドからの圧力だった。

──現在の日本の電力需要を考えると、嶺南四号機の送電先が曖昧すぎると言うんだ。

外資系ファンドが、日本の発電会社の大株主になるという事態を想定していない日原経営陣は、発電という国益に寄与する事業について、外資系ファンドから意見を言われる筋合いはないと突っぱね続けていた。だが、相手は簡単に引き下がらず、泥沼の状態が続いていた。

──連中は、さらに株を買い集め、もうすぐ一五%を超えるそうだ。

外資系ファンドが口出しする厄介さは理解できたが、発電した電気の売り先が決まっていれば、ファンドと言えども文句はないはずだ。「周辺の電力会社はいずれも、四号機からの電力を期待しているという話だったじゃないか」と田嶋がそう反論すると、山城は渋い顔で首を振った。

──奴らが独自で各電力会社に確認したところ、何れも確約したわけでもなく、まだ契約書も交わしていないとにべもない回答が返ってきたそうだ。

その後、このまま四号機建設を進めるのであれば、経営陣を背任で告訴するとファンドから脅しをかけられて、経営陣は遂に音を上げた。プロジェクトの凍結を真剣に考え始め、近々政府に申し出るのではないかと見られていたのだ。

電力は貯蔵できない。消費電力に応じて、発電量を調整しながら発電を行っている。それが、日原の泣き所なのだ。日原は、日本の原発の歴史をリードし続けてきた半官半民のような原発の老舗だ。常に半歩先を見据えた実験に取り組み、彼らの成果があったからこそ、電力各社の原発プラント建設に最先端技術を導入できたのだ。

しかし日原には、電力を独占的に供給できる地域がない。電力会社なら、発電した電気はそのまま自社のエリアに送電すればいい。たとえ電力需要が低下しても、COをより多く排出する石炭や石油火力発電所を閉鎖すれば、原発を稼働し続けられた。

──電力各社による新規原発プラント建設が皆、先細っているだけに、ウチに先を越されることをよしとしない連中もいる。

そこまで分かっているなら、なぜ相応の対策を練らなかったのか。日原の詰めの甘さを非難するのは簡単だが、今さら過ぎたことをとやかく議論しても始まらなかった。

そして今朝、日原の社長は経済産業省に赴き、プロジェクトの凍結を正式に報告するため、東京に向かった。

──過去にも何度か、我々がくじけそうになった時、政府からの叱咤激励のおかげでプロジェクトが継続したケースもある。だから、大逆転に期待するばかりなんだがね……。

しかし、普段は強気を通す山城の顔に、敗北感がくっきりと浮かんでいるのを見て、田嶋も覚悟を決めざるを得なかった。

止めは昼食後に受けたDECの社長からの電話だった。

「急で申し訳ないのだが今晩、ちょっと時間を作ってくれませんか」

長電話が好きな社長が、この日は手短にそれだけ言って電話を切った。余裕のない社長の話しぶりで、田嶋は「いよいよダメか……」という想いを強くした。

それについて考え込みながら、田嶋はある男を探して、現在定検(定期点検)が行われている嶺南三号機の構内を歩いていた。

「ご安全に」

向こうから数人の若い技術者がやってくるのに気づいた田嶋は、先に挨拶した。

「ご安全に」

技術者らは壁際に寄って、田嶋に道を譲った。

「雨はまだ降ってますか」

すれ違い様に訊ねられて、田嶋は朝から土砂降りだったのを思い出した。原発内にいると、季節も天候の変化もほとんど感じられない。それも原発で働く者の辛さだった。

「朝より酷くなってるよ」

「最悪! 明日の野球大会、どうなりますかねえ」

土曜日は、日原と定検チームの試合が予定されていた。

「雨が止みさえすれば大丈夫だろう。ここのグラウンドは、水はけがいいから」

おそらく明日は、野球大会どころではないだろうがね。

そう言いたいところだが、田嶋は抑えた。

「門田が、どこにいるか知らないか?」

彼らなら、今、探している男の居場所を知っているかもしれない。

「門田部長なら、さっきまでBループ室にいらっしゃいましたが」

ループ室には、蒸気発生器がある。定検が行われている嶺南三号機は、PWR(Pressurized Water Reactor=加圧水型原子炉)と呼ばれるタイプで、SG(蒸気発生器)はPWRの特徴の一つだ。

原子力発電は燃料であるウランが核分裂する際に生まれる熱を利用して水を沸騰させ、タービンを回して発電する仕組みだ。

ただ、全てが同じタイプではない。日本の場合、現在営業運転している原発には、二つのタイプがある。

一つは、BWR(Boiling Water Reactor=沸騰水型原子炉)と呼ばれる型で、核分裂の熱で水を沸騰させてタービンを回す。東京電力や中部電力がBWRを採用している。

もう一つが、嶺南三号機のようなPWRだ。こちらは原子炉内に圧力をかけて三〇〇度近い熱水をつくり、それを蒸気発生器内の金属細管に流し、蒸気発生器内の水を沸騰させてタービンを回す。関西電力や北海道電力、九州電力などが、このタイプを採っている。

PWRの蒸気発生器は、一つの原子炉に三、四器あるのが一般的で、出力一二〇万キロワットの嶺南三号機の場合、蒸気発生器が原子炉の四方に配置されていた。

田嶋が探しているDECの原子力部長・門田次朗は、嶺南三号機の定検の監理進行責任者だった。

門田がどこにいるかは、数十メートル手前からでも分かる。小柄ながら恰幅の良い彼は、腹の底から声を出す。しかも野太い上に関西訛りがきつく、始終怒鳴っているからだ。

「アホか。分からんから、説明せえと言うとるやろうが!」

Bループ室の遥か手前から声が響いてきて、田嶋は苦笑いした。

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ベイジン

中国の威信を賭けた、北京五輪の開幕直前。開会式に中継される“運転開始”を控えた世界最大規模の原子力発電所では、日本人技術顧問の田嶋が、若き中国共産党幹部・鄧に拘束されていた。このままでは未曾有の大惨事につながりかねない。最大の危機に田嶋はどう立ち向かうのか……。2011年に発生した、福島第一原子力発電所の事故を予言していたとも言われる、真山仁の社会派小説『ベイジン』。今回は特別に、本書の冒頭をみなさんにお届けします。

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真山仁

1962年、大阪府生まれ。87年、同志社大学法学部政治学科卒。同年、中部読売新聞(現・読売新聞中部支社)入社。89年、同社退職。フリーライターを経て、2004年『ハゲタカ』上・下(ダイヤモンド社)でデビュー。同作はドラマ化、映画化され注目を集める。その他の著書に『虚像(メディア)の砦』(角川書店/講談社文庫)、『マグマ』(朝日新聞社/朝日文庫)、『バイアウト』(講談社/『ハゲタカII』として講談社文庫刊)など。

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