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ベイジン

2019.05.14 更新 ツイート

#5 神戸・南京町での密談…巨大原発をめぐる社会派小説!真山仁

中国の威信を賭けた、北京五輪の開幕直前。開会式に中継される“運転開始”を控えた世界最大規模の原子力発電所では、日本人技術顧問の田嶋が、若き中国共産党幹部・鄧に拘束されていた。このままでは未曾有の大惨事につながりかねない。最大の危機に田嶋はどう立ち向かうのか……。2011年に発生した、福島第一原子力発電所の事故を予言していたとも言われる、真山仁の社会派小説『ベイジン』。今回は特別に、本書の冒頭をみなさんにお届けします。

*   *   *

(写真:iStock.com/junce)

敦賀では土砂降りだった雨も、北陸本線の特急サンダーバードが大阪に着いたあたりで小雨に落ち着き、田嶋がJR元町駅の改札を抜けた頃には、すっかり止んでいた。

社長の遠山康明との面談は当初、神戸市灘区摩耶埠頭にある本社オフィスで行うことになっていたが、田嶋が特急に乗り込んだ直後に、携帯電話のメールに場所変更の指示が飛んできた。

午後八時に南京町の「小小心縁」で落ち合おう。

一体どういう風の吹き回しだ。

遠山とは、三〇年近いつきあいだったが、二人きりで食事をした記憶がなかった。それが今日にかぎって、どうしたというのか。

携帯電話の小さなディスプレイに浮かび上がったメッセージを睨みながら、田嶋は予想以上の凶報が告げられる覚悟をした。

──嶺南四号機のプロジェクトは、棚上げになった。

それだけなら、本社でそう宣告すれば済む。実際、DHIからDECに出向を命ぜられた時も、上司から部屋に呼びつけられ、理由も告げられずに辞令を渡されただけだ。

田嶋は元町商店街を早足で急ぎながら、社長の不可解な態度に戸惑っていた。

DECの社長・遠山康明は、今年で六四歳になる。田嶋より一回り以上年上の元原子力エンジニアは、日本の原発史と共にキャリアを積んできた伝説的な男だった。

東大で原子物理学の博士号を取得した後、アメリカに留学。当時、米軍の原子力潜水艦で相次いだトラブルを解決する画期的な技術を発表し、世界にその名を轟かせた。帰国後は名だたる原発メーカーからのスカウトを蹴って、留学前から内定を得ていたDHIに遠山は入社した。原発基幹工場があるDHI神戸製作所に配属され、日本最初の本格的営業運転を始めた嶺南発電所の運開にも立ち会った。いわば日本の原子力発電の生き証人的な存在だった。

遠山がいたからなし得たという世界的な技術革新も、数知れなかった。だが、技術者としては優秀だったが、実績を振りかざす権威主義的な傲慢さがあった。

鳴り物入りでの入社以来、会社から人一倍厚遇されることは当然だという態度を、遠山は隠しもしなかった。その上、部下には、問答無用の絶対服従を強いた。

彼の気質は、何事にも悠揚として争いを好まないDHIの社風に合わなかった。それにもかかわらず、日本屈指の巨大重工業メーカーで役員にまで上り詰められたのは、天才的な頭脳と強気な行動力のお陰だった。だが役員になっても周囲との争いが絶えないため、今ではDHIの常務兼任でありながら、実質的にはDECの社長専従という微妙なポジションに追いやられていた。しかし、転んでもただでは起きない遠山は、自らの発案で設立したDECで、「世界最大のAPWRを建造して、DHIを世界企業にする」と豪語して、積極的な営業活動に余念がなかった。

あのオヤジは、自分に益のない会食なんぞ絶対にやらない。俺にまた、何か無理難題を吹っかけるに違いない。

雨上がりの蒸し暑さも不快だったがそれ以上に、体の芯から湧き上がる不安と苛立ちのせいで、南京町に辿り着いた時には、既に背中が汗ばんでいた。

横浜と同様に中華街を持つ神戸だったが、趣は似て非なるものだ。まず規模が違う。横浜の中華街は一巡するだけでも一時間以上はかかるし、観光的要素のみならず港町横浜に根付いた華僑文化が色濃くあった。

一方、神戸の南京町は、一回りしても三〇分とかからない。こぢんまりとしていて、観光色が強かった。華僑文化は神戸の街に深く浸透しているのだが、南京町は、観光客受けするテーマパークのような様相を呈していた。

それにしても、と田嶋は西楼門をくぐりながら訝った。格式ある料亭や一流フランス料理店というブランド好きな遠山が、なぜよりによってあの店を選んだのか。

遠山が指定した「小小心縁」は、トアロードに近い下山手の路地にあった頃から田嶋の馴染みの店だった。食道楽の田嶋は、単なる有名店よりも自分の舌が「おいしい」と納得する店を探すのが好きだった。現場にこもっている時は別にして、暇さえあれば街を歩き回り、新しい店の開拓を楽しんでいた。そのため、東京などから味にうるさい来客があると、店選びの相談が持ち込まれることも少なくなかった。

「小小心縁」も、そうして見つけた店だった。福建省出身の主人は、食材選びからこだわる人だった。滋味豊かに仕上げられた料理は、何度食べても飽きなかった。神戸には高級な中国料理店がいくらでもあったが、田嶋は、この店の味が気に入っていた。だが店の雰囲気や“格”からすれば、どう考えても遠山が選ぶ店ではなかった。

南京町は雨上がりにもかかわらず、週末で浮かれる客で賑わっていた。手に土産物の袋を抱えた観光客に混じり、出張先での接待を受けるスーツ姿の一団もぞろぞろ歩いていた。雨上がりの潤いが、普段よりしっとりとした夜の風情を漂わせていた。食欲を刺激する料理の匂いに混じって、海に近い神戸独特のかすかな潮の香りが田嶋の鼻孔をくすぐった。

(写真:iStock.com/gyro)

同じ海沿いでも敦賀では感じない元町の匂いだった。田嶋は、賑わいから逸れるように薄暗く細い路地に入った。店に到着したのは、約束の時間より五分ほど早かった。

田嶋は首筋に流れた汗を拭いながら、安堵した。遠山は人をいくら待たせても平気だが、自分が待たされるのは何よりも嫌う。

「あら、田嶋さん、お久しぶり!」

顔見知りの店員から声をかけられ、田嶋は相好を崩した。

「いやあ、兆さん、またきれいになったね」

「いやだわ、田嶋さん。あなた、いつも同じことしか言わないから」

五〇過ぎのベテラン店員は、まんざらでもない顔で田嶋の肩を叩いて続けた。

「今日は、お一人?」

「いや、おそらく遠山の名で、予約していると思うんだけど」

田嶋が言い終わる前に、兆は独特の中国訛りで声を張り上げた。

「遠山さんのお連れ、見えたよ!」

「何、もう遠山さん、来てんの」

「そうね、一五分ほど前から」

田嶋はますます戸惑ったが、表情には出さず、兆の後に続いた。外観は地味だが、店内のしつらいには中国らしい赤や黄色がちりばめられていた。塗り壁を模した間仕切りで仕切った半個室が並ぶ中、一番奥まった部屋に案内された。

兆が個室のカーテンを開けると、テーブルに行儀よく座ってビールを飲む遠山の姿があった。

「よお、早かったじゃないか」

彼は口ひげにビールの泡を少し残したまま、鷹揚に頷いて見せた。まるで、目通りを願い出た家臣に「大儀じゃ」と返す食事中の殿様の風情だった。実際、瓜実顔といい、少し後退した額と細い眉といい、武士の髷が似合いそうな風貌だった。

「すみません、お待たせしてしまって」

田嶋は、手にしていたハンドタオルで額の汗を拭いながら一礼した。

「いや、僕が勝手に早く来たんだ。気にせんでくれ」

田嶋は遠山に勧められるまま、向かいの席に腰を下ろした。

「ひどい雨だったろう」

「ええ、敦賀は嵐でした。琵琶湖沿いは強風で徐行運転をしたため、定刻より一五分ほど遅れました」

「生ビールでいいかね」と遠山は、田嶋の話を聞き流して尋ねた。空になりかけた遠山のジョッキを見て、田嶋はビールを二杯注文した。

「なかなかいい店じゃないですか」

残りを飲み干すと、遠山はつき出しのザーサイを口に放り込みながら誉めた。

「ええ、味よし、値段よし、サービスよしのお奨めです」

空調の効いた店内でもまだ流れる汗を拭いながら、田嶋は作り笑いを浮かべた。

「上着、脱ぎ給え。私もそうしているから」

遠山は食事だけでなく、身につけるものも高級品しか選ばない。田嶋はスーツをハンガーに掛けながら、隣にぶら下がっていた遠山の上着をちらりと見た。銀座「壹番館」のテーラーメードらしく、上質な光沢と質感が一目で窺え、田嶋の皺だらけの安物のスーツとは全く別物に見えた。

ビールが運ばれてきた。田嶋は乾杯するなり、ジョッキの半分を一気にあけた。

「相変わらず、いい飲みっぷりだなあ。見ていて惚れ惚れしますよ」

「いや、社長をお待たせしてはいけないと思って、駅から急いできたもんですから、喉が渇いてました。おかげで落ち着きました」

二人の前には、まだメニューが置かれたままだった。

「何か料理を頼まれましたか」

「適当にやってくれ、って言ったら、嫌な顔されちゃいましてね。とりあえず、つまみだけ頼んだ」

おまかせコースもあったはずだが、おそらく兆が、遠山の態度を嫌ったのだろう。田嶋は、メニューを開くと遠山の好みを訊ねた。

「うん、任せるよ。君が言う味よしってのを見繕ってよ」

遠山から呼び出したのだからさすがに割り勘はないだろうと思いつつ、田嶋は無難なものを数品選んだ。海鮮炒めに仔牛の黒胡椒ソース煮、福建省炒飯などを頼み、ビールのお代わりも追加した。

話を聞く準備はできた。あとは背筋を伸ばして黙っていればいい。そうすれば、“お殿様”のご託宣が始まる。

「今日無理を言って、戻ってきてもらったのは、ほかでもないんだ」

ビールを飲んだにもかかわらず、田嶋の喉はいっそう渇きを覚えた。

「君に頑張ってもらっていた嶺南の四号機プロジェクトだが、残念ながら無期延期が決まった」

予想はしていたとはいえ、こうもあっさり言われると堪えた。

「まあ、君としては色々文句もあろうが、ここは全て呑み込んで欲しい」

どうやら交渉の余地はなさそうだった。完全な既成事実として遠山は話している。

「よろしければ、無期延期になった理由をお聞かせ願えませんか」

「ああ、そうね。そりゃそうだ」

遠山は、ビールを舐めて続けた。

「端的に言えば、時代に合わなかった。そういうことのようだ」

まるで他人事だった。

「けしからん話だ。原発は時代をリードするもんだ。時代に合わせてどうする! と一応、僕も怒ったわけ。でも、日原が呑んじゃったんでね。どうしようもないわけですよ」

遠山は憤ったように言うものの、その口調に屈託はない。ただ、世界初が好きな遠山にとっても、このプロジェクトは重要な意味があるはずだった。田嶋は、何も言わず聞き手に徹した。

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真山仁

1962年、大阪府生まれ。87年、同志社大学法学部政治学科卒。同年、中部読売新聞(現・読売新聞中部支社)入社。89年、同社退職。フリーライターを経て、2004年『ハゲタカ』上・下(ダイヤモンド社)でデビュー。同作はドラマ化、映画化され注目を集める。その他の著書に『虚像(メディア)の砦』(角川書店/講談社文庫)、『マグマ』(朝日新聞社/朝日文庫)、『バイアウト』(講談社/『ハゲタカII』として講談社文庫刊)など。

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