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作家の人たち

2019.05.03 更新 ツイート

試し読みその7。

「遺作」 倉知淳

本格ミステリ作家・倉知淳さんが本格的に“ふざけた”(!?)最新刊『作家の人たち』から「遺作」の試し読みです。

俺の本は売れない。もうどうにもならない。絶望し、飛び降り自殺を図った作家の身体が落下の途中、なぜか宙に止まった。彼の脳裏にみじめな人生が蘇った後、素晴らしい“新作”のプロットが浮かんだが……。

*   *   *

「──」
もはや云うことなど何もない。
俺はそう思った。

九階建てマンションの屋上。そのヘリに俺は立っていた。風が少し感じられる。

空が青い。

染み入るような青空の下、俺の眼下には街並みが拡がっている。遠くに新宿の高層ビル群、そしてスカイツリーも、立てたボールペンみたいに小さく見える。

そんな風景の中、意を決して地を蹴った。

身体が宙に投げ出され、俺は落下する。下のアスファルトの駐車場に向かって落ちる。真下の駐車スペースに、今は車が停まっていないのは確認済みだ。

俺は地面に向かって落ちていく。

途中で身体が反転し、空がひっくり返った。頭を下にした姿勢で俺は落ちる。

落ちる。
落ちる──。

そう、俺は投身自殺を図ったのだ。

九階建てのマンションの屋上から飛び降りた。この高さならば死ぬのには充分だろう。

もっとも、ここは自分の住居のマンションなどではない。俺の住む二階建てのボロアパートはこの裏にある。いつも窓から見上げては、あんな高級なマンションに住める身分になりたいものだなあ、と憧れていた建物だった。ここを自殺の場所に選んだのは、憧れがやっかみに育って嫌がらせをしてやろうなどと思ったわけではない。ただ、近かったからだ。理由はそれだけ。マンションの住人やオーナーさんには迷惑をかけるだろうが、もうそんなことを気遣う余裕は俺には残っていなかった。死に場所を探すのすら面倒くさい。手近で済ませればいい。そんな精神状態だったのだ。

住人がオートロックを通るタイミングを待ち、何食わぬ顔で一緒に建物に入った。最上階までエレベーターで上がると、非常用梯子で屋上へと出た。屋上は給水タンクとアンテナが設置してあるだけで、ガランとしていた。人が上がってくることを想定していないようで、手摺りもなかった。俺には好都合だった。わざわざ手摺りを乗り越える手間が省ける。

そして、そこから身を投げた。

死のうと思った理由は、人生がどうにもならなくなったから。五十代半ばにして二進も三進もいかなくなったのだ。

俺は作家だ。本格ミステリなどを書いている。名前は倉──いや、このペンネームにももう意味はないか。もはやそれは過去のものだ。今の俺に必要なのは戒名くらいだろう。

俺は作家だが、今や堂々とそう名乗る資格があるのか、はなはだ疑問である。小説を発表するアテがなくなってしまったのだ。すべての出版社に見限られてしまった。売れないからだ。

俺の本は売れない。自慢にもならないが、本当に驚くほど売れない。そしてとうとう最後まで売れなかった。そのせいで原稿依頼がなくなった。仕方がないので原稿を持って売り込みもした。しかしどの出版社も、けんもほろろの扱いしかしてくれなかった。まったく相手にしてもらえない。もう本は出してくれない。それはそうだろう、と俺は我がことながら思う。この出版不況の中、売れない作家の本を出す酔狂な出版社はない。

これで収入の道が断たれた。わずかな蓄えはたちまち底を尽き、女房にも逃げられた。来月の家賃はおろか、明日の食い物にも事欠くありさまである。このままでは路上生活者の仲間入りだ。

もうどうにもならなくなった。

すべてが詰んだ。

そんな人生に絶望した。

この年では、もうやり直しも利かない。まっとうな職歴がひとつもない五十代半ばのおっさんに、潰しが効くほど世の中甘くはない。

文弱な元作家には、路上で暮らすようなバイタリティーもない。

もはや死ぬしかない。

俺は自らの人生に幕を引くことを決意した。

そして今、飛び降りた。
九階建てマンションの屋上から身を投げた。

ほんの数秒ですべてが終わるはずだ。
俺の身体は地面に向かって落ちていく。
途中で半回転し、頭が下になった。
その逆さまの姿勢で、俺は落ちる。

落ちていく。
落ちて。
落ちて。
落ちて──。

地面に衝突するはずが、衝撃が来ない。

おや、おかしいぞ、と俺は思う。いや、こんなことを考える余裕のあるのが、そもそも変なのだ。一、二秒でアスファルトに墜落するはずなのに、どうして何かを考えている時間がある?

そして俺は、空中で静止している自分に気付いた。

頭を下にした姿勢のまま、落下の途中で宙に止まっている。

地面が視界に入っている。地面は近い。多分、頭の下ギリギリのところに駐車場のアスファルトがあるのだ。あとほんの数センチで地面に激突するという瞬間で、俺の身体は止まっている。空中で停止している。

何だ、なんなんだこれは、一体どうなってる? 俺は大いに混乱した。

景色が逆さまに見える。

地面のアスファルトが視界の上の方に入っている。

そして、見える物すべてが止まっていた。
そこは何もかもが静止した世界だった。

駐車場の十メートルばかり向こうの歩道を、若い女性が歩いている。女性はスマホを片手で持ちながら、足を一歩踏み出したところで止まっていた。重心が、まだ着地する前の前方の足にかかった、アンバランスな姿勢だった。彼女はまだ、空中で逆立ちの状態のまま静止している俺に気付いてはいないようだった。ごく自然な表情で、スマホに気を取られたまま止まっていた。中途半端に踏み出した足が不自然に見えるけれど。

道を行く車もすべて止まっている。停車しているのではなく、走っている途中で止まっているのだ。トラックの中では若い運転手が、欠伸をした途中の姿で停止している。

車道の向こうの、犬を散歩させている老婦人も止まっている。小型の白い犬は、はしゃいで飛び跳ねていた最中らしく、跳躍した姿勢のままで空中に停止していた。

何もかもが止まっている。
世界のすべてが止まっていた。

俺も、地面に頭が衝突する直前で止まっている。逆さまの姿勢で完全に止まっている。あらゆるものが停止しているのだ。その証拠に、指先ひとつ動かすことができない。瞬きすらできず、さらに目を動かして他の風景を見ることさえままならなかった。自分の意思で身体を動かすこともできないのだ。すべてが固定されている。

(続きは単行本で)

関連書籍

倉知淳『作家の人たち』

文学賞のパーティーで、大手出版社四社の編集者が暗い顔で集っている。皆、ある中堅作家につきまとわれて困っているのだ(「押し売り作家」)。苦節十年、やっと小説の新人賞を受賞しデビューした川獺雲助は会社を辞めて作家に専念することにした。しばらくは順調だったが……(「夢の印税生活」)。ほか、出版稼業の悲喜交々を描く連作小説。

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