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作家の人たち

2019.04.18 更新

試し読みその2。

「夢の印税生活」倉知淳

本格ミステリ作家・倉知淳さんが本格的に“ふざけた”(!?)最新刊『作家の人たち』から「夢の印税生活」の試し読みです。

「くれぐれも会社は辞めないように」。苦節十年、念願の新人賞を受賞した川獺はそう編集者に忠告されたが、「背水の陣」とあっさり会社を辞めてしまう。1年目の収入は846万円あまりだったが……。

*   *   *

「おめでとうございます。新人賞の受賞が決定しました」

その電話を受けた時、川獺雲助は喜びよりも安堵を感じてへたり込みそうになった。

(受賞、俺が受賞、とうとう獲れた。長かった──)

苦節十年、やっと小説の新人賞を射止めたのだ。これで作家になれる。デビューできる。

「よかったですねえ。本当におめでとうございます。それで早速ですが、できるだけ早くお目にかかりたいと思います。受賞作の刊行へ向けての具体的なお話を進めたいので」

電話の向こうの、編集部の東北沢と名乗った男は、弾んだ口調で云う。

「略歴を拝見しますと、川獺さんは会社勤めでいらっしゃるとのことですから、土曜日か日曜日の方がご都合がつきやすいでしょうか。私がそちらに伺いますので、ご自宅近くか、もしくは最寄り駅の近くの喫茶店などをご指定いただければ助かります」

十年、新人賞に投稿する生活を続けた。賞を獲ってデビューするために小説を書き続けた。二十五歳の時からずっとだ。出版業界にコネも伝手もない川獺には、新人賞に応募するしか道がなかった。

会社での人付き合いも断ち、毎年、様々な賞にチャレンジした。持てる時間はすべて小説の執筆に費やした。もちろんプライベートの楽しみなどないし、川獺は未だに独身で独り暮らしだ。

乱走賞や横構賞などの賞金一千万円クラスの有名な賞は、やはり難関である。二次選考に引っかかるのがせいぜいといった戦歴だった。かといって賞金の出ない鯉川賞はガチガチな本格ミステリの賞で、こちらも難しい。本格の鬼みたいなマニア達を押しのけて受賞を勝ち取るのはさすがに無理があった。

それでも七、八年目まではそうした大きな賞を狙って投稿をしていた。有力な賞を獲れば大々的にデビューできるし、経歴が一気に華やかになる。しかし、最終候補には一度も残れないのが実情だった。

そこで目標を下方修正することにした。少し格落ちするが、マイナーな賞に狙いを絞ることにしたのだ。一番の狙い目は足軽山出版の主宰する“足軽山ミステリ新人賞”である。ここならば自分の実力でも手が届くかもしれないと、川獺は踏んだ。マイナーといっても賞金は三百万円で、中堅どころで手堅い出版社がやっている立派な新人賞である。割と有名な作家も何人かそこからデビューしていた。何ら恥じることはない。

そして一昨年、いきなり最終候補に残った。方針転換が吉と出たか。これはひょっとして──と緊張したけれど、惜しくも受賞は逸してしまった。だが、それまで万年二次選考止まりだったのに、いきなり最終候補だ。大いに前進している。どうやら下方修正は正しかったらしい。

手応えを感じて、昨年も足軽山ミステリ新人賞に応募した。期待したが、その時は残念なことに三次選考で落ちてしまった。

捲土重来とばかりに今年も投稿した。そしてめでたく最終候補に残ったのだった。

どうだろうか、受賞できるだろうか、去年はまったくダメだったけど、一昨年はいいところまで行った。今年こそデビューしたい、願いは叶うのか、と期待半分、いやどうせいつもみたいに落ちるんだろう、という諦観半分。そんな宙ぶらりんな気分で発表の日を待った。じりじりした。

そうして今日、とうとう電話がきたのだ。

足軽山出版の担当者の東北沢氏から、朗報がもたらされた。

落選に慣れていた川獺は一瞬失礼なことに、新手の詐欺などではないかと思わず疑ってしまった。しかし、新人賞に投稿していることは誰にも喋っていない。ニセモノがこちらの電話番号など知っているはずもないのだ。電話は本物。従って受賞も本当のことだ。

川獺は安堵のあまり、電話口でへたり込んだままで応対した。

さすがにマイナーな賞だけあって当日の記者会見などはないらしかったが、足軽山ミステリ新人賞は立派な賞だ。その受賞者に俺もなったのだ。これで作家になれる。堂々とプロ作家の仲間入りできる。新人作家としてデビューだ。

電話を切った後、嬉しさがじわじわとこみ上げてくるのを噛み締める川獺であった。

その夜は、十年の苦難を思い、一人しみじみとした気分で酒を呑んだ。祝杯だ。独り暮らしの安アパートでの孤独な祝宴だったが、それでも喜びがアルコール成分と共に、手指の先まで染み渡るようだった。良い酔い心地で、眠りにつくことができた。

土曜日。川獺は作家人生初めての打ち合わせに出かけた。駅前の、フランス印象派の画家と同じ名を持つ喫茶店である。そこで待ち合わせをしたのは電話で受賞を報せてくれた編集者だった。その東北沢氏は土曜だというのにきっちりとしたスーツ姿だった。“足軽山出版文芸編集部副編集長”との肩書きが入った名刺を丁寧に渡してくれる。自分より五つくらい年上かな、と川獺は思った。快活な喋り方が電話でのものと同じで、明るい性質の男のようだ。

「改めまして、本当におめでとうございます。選考委員の先生がたも、皆さん絶賛なさっておられましたよ。全員一致での受賞でした」

東北沢は、にこにこした顔で、我がことのように嬉しそうに云った。正直、選考委員の作家陣はそれほど著名な人達ではないが、それでもプロに認められたと思うと川獺も誇らしく感じた。

「手堅く、落ち着いた作風が選考委員の先生がたに高評価だったようです。『ネオンの荒野』は決して派手な展開や驚天動地の大トリックなどがあるわけではないですけれど、地に足のついた骨太の大人向けミステリとして腰の強さがあります。こういった方向性が川獺さんの持ち味なんでしょうか」

東北沢は云う。『ネオンの荒野』というのが、今回川獺が受賞した小説のタイトルだ。

「持ち味というと大げさですけど、まあ、大掛かりなトリックを思いつく柔軟性がないから、地道な感じになるのかもしれませんね」

川獺の謙遜に、東北沢は大きく首を振って、

「いやいや、そんなことはないでしょう。あれだけきっちりしたプロットを立てる力があるんですから、ちゃんと書ける人だというのは編集者の目から見てもよく判りますよ」

ベタ褒めしてくれる。

その後、受賞作の執筆にはどのくらいかかったか、とか、これまでどういった傾向のミステリを好んで読んできたか、といった雑談を一通りしてから、東北沢は口調を改めてきた。

「さて、では具体的なお話を進めさせていただきたいと思います。まず『ネオンの荒野』が単行本として出版されます。だいたい三ヶ月後くらいの刊行になるでしょうか」

おお、本になる。川獺の胸は高鳴った。

「そして、短編を一本、お願いします。足軽山ミステリ新人賞の受賞者のかたには、受賞第一作として『足軽山ミステリ』に短編を寄稿していただくのが慣例になっておりますので。あ、『足軽山ミステリ』はご存じでしょうか」

「もちろんです、毎号購読しています」

本当は毎号というわけではないのだが、川獺は大げさに答えた。『足軽山ミステリ』は東北沢の出版社が出している月刊誌だ。名前の通り、ミステリ小説を中心に構成されている雑誌である。

「さらに、長編のご執筆もよろしくお願いします。受賞後第一長編として、我が社から刊行させていただければと思います」

「判りました、書きます」

川獺は力強くうなずく。来期の新人賞投稿用に、もう書き始めている長編がある。それを完成させればいいだけなので、気は楽だ。

「良いお作をお待ちしております。『ネオンの荒野』と同等か、それを超えるような傑作を期待しています。是非、面白い作品を書いてください。よろしくお願いします。いい本を作りましょう」

そう云って東北沢は、熱く握手を求めてきた。どうやら明るい性格というよりは、少し熱血漢的なところがあるらしい。

「ところで、川獺さんは今、会社にお勤めですよね」

熱い握手の後で、東北沢はいきなり現実的なことを聞いてきた。

「ええ、そうですが」

川獺は何となく気後れを感じながら答えた。出版界という華やかな世界にいる編集者を相手には、恥ずかしくて社名を云えないほどのちっぽけな会社なのだ。

「差し出がましいかとは思いますが、ご忠告させていただきます。会社、辞めてはいけませんよ」

真顔で、東北沢は云う。川獺としては、

「はあ」

と、曖昧にうなずくしかない。

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