

Titleのような小さな本屋では、まったく人の来ない時間がある。そのたびに雨だから、寒いから、給料日前だからなどと、人の来ない理由を数え上げるのだが、それで状況が変わるわけでもない。その状態が一時間二時間続くとさすがに気が滅入ってきて、このまま二度と誰も来ないのではないかと思いはじめる。
その日も、いつも通り12時に店を開けたのだが、その後店に入って来る人はいなかった(一度誰か来たと思ったら、佐川急便のドライバーだった)。
静けさは意識し始めると重たくなる。遠くに聞こえる車のエンジン音と、自分が立てるカタカタというキーボードの音以外は無音の、凪のような状態が長く続いていた。あまりに暇だったので奥のカフェに行き、コーヒーを淹れて窓の外を見ながらゆっくりと飲んだ。

なんで誰も来ないのかな。カフェにいた妻にそう話すと、彼女は口をとがらせるようにうーんと答えたのだが、そのとき入り口の扉が開いた。
入って来たのはこれまでも店に来ていた、若い男性だった。彼はいつも店内をじっくりと見ては小説などを一~二冊買って帰るのだが、今日は棚を見る時間をほとんどかけず、店内をぐるりと回ってすぐに本を六冊持ってきた。
あまりに意外な行動だったので、どうしたのと声をかけたら、「実は実家の近くで働くことになって、明日引っ越すんです。といっても神奈川のほうなんですけど……。引っ越すまえに、欲しかった本を全部買っていこうと思って……」という返事が返ってきた。
誰かが遠くに行ってしまうことは、その人のことをよく知らなくても、たよりない気持ちになるものだ。がんばってという以外、彼にかけることばも見当たらなかったが、「これまでありがとうございました。近くに来たらまた寄ります」とだけ言って、さっそうと帰っていった。
彼が帰ったあとは、店内はまた急に客で賑わいはじめた。人が人を呼ぶということはあるが、彼が入ってきたおかげで、店に人が戻ってきたのかもしれない。そういえば話したのははじめてだったかもと、あとから思い出した。
今回のおすすめ本
熊本にある橙書店の店主が書いた、店に来る客のこと、本のこと、店に流れる時間のこと。どんな小さい日常にも、貴く思える瞬間がある。そう気づかせてくれる本。
◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます
連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBS
◯2025年6月6日(金)~ 2025年6月24日(火)Title2階ギャラリー
きみまでのおさらい
井上奈奈『うさぎまでのおさらい』刊行記念展
2018年ドイツにて開催された「世界で最も美しい本コンクール」にて銀賞を受賞し、話題となった絵本『くままでのおさらい』。そのスピンオフ作品として制作された『うさぎまでのおさらい』が、このたび装いもあらたにビーナイスより刊行になります。今回の作品展では、この『うさぎまでのおさらい』『くままでのおさらい』とともに、2024年に刊行になったエッセイ集『絵本を建てる』の作品も展示します。
◯2025年6月28日(土)~ 2025年7月14日(月)Title2階ギャラリー
Titleからほど近い阿佐ヶ谷にあった、大正末期に建てられた文化住宅・旧近藤邸。そのたたずまいは宮﨑駿監督の著書『トトロの住む家』のなかでも取り上げられました。緑に包まれ、静かに時を刻んできたこの家の在りし日の姿を活写したのが、このたび刊行された公文健太郎さんの写真集『バラの花咲く家』(平凡社)です。旧近藤邸は残念ながら2009年に不審火で焼失してしまいましたが、美しい写真プリントで、多くのひとに愛されたその姿があざやかに蘇ります。
【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】
スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。
『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』
著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト
◯【寄稿】NEW!!
店は残っていた 辻山良雄
webちくま「本は本屋にある リレーエッセイ」(2025年6月6日更新)
◯【お知らせ】
「はたらき」を回復する /〈わたし〉になるための読書(5)
「MySCUE(マイスキュー)」
シニアケアの情報サイト「MySCUE(マイスキュー)」でスタートした店主・辻山の新連載・第5回。人の流動性が高まる春、さまざまな仕事とその周辺についての3冊をご紹介します。
NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて本を紹介しています。
偶数月の第四土曜日、23時8分頃から約2時間、店主・辻山が出演しています。コーナータイトルは「本の国から」。ミニコーナーが二つとおすすめ新刊4冊。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。