

毎日本屋には、数多くの新しい本が届き、それぞれの本は、それを求める人の元へと旅立っていく。今年も手にするだけで嬉しくなるような本がたくさん出版されたが、そのなかでも特に印象に残った本をいくつかご紹介します。

この本の出版を記念したトークイベントで、著者の一人である、出版取次の川人寧幸(やすゆき)さんと話をした。川人さんとは二十年以上前に、とある大型書店のバックヤードでともに「汗を流して」仕事をしたが、それ以来わたしが店を開くまで、彼と会うことはなかった。トークはお互いの空白の時間を探り合うように進んでいったが、川人さんの口からは「労働」「荷卸し」など、〈肉体という実体〉を伴うことばが多く発せられた。
長い年月は、哲学や芸術を愛する青年を、一人の気骨ある「労働者」に変える。そこには他人には窺い知れない苦労や挫折があったかもしれないが、目のまえの川人さんを見ていると、そうした平坦ではない人生に癒されるようにして、いまここにいる印象を受けた。
時を経て厚みのある再会を与えてくれた、この本に感謝したい。
一冊の本が読者の手元に届くまでには、数多くの人のよき仕事が、そこに添えられている。著者、編集、校正、装丁、印刷、製本、営業、取次、書店員、本屋という10人の著者がそれぞれの仕事を語ったこの本は、彼らが実際に製本や印刷、校正などを手掛け、現物を見るだけでその思いやコンセプトがそれとなく伝わってくる。
『本を贈る』若松英輔ほか 三輪舎

失礼な言いかたになるかもしれないが、森泉岳土さんは、一見「漫画家」には見えない。そのすらりとした立ち姿は、仕事のできるエンジニアのようでもあり、感じのよいツアーコンダクターのようにも見える。しかしそれはわたしの漫画家に対するイメージ(衣食は気にせず、豪放磊落……)が古いだけで、森泉さんのように作品や人に対して繊細な心遣いをする人でなければ、いまという時代は掴めないだろう。
森泉さんの漫画はいわゆる一枚絵ではなく、パーツごとに描かれ、それらを組み合わせてコマが成り立っている。自らの作家性は、その「パーツを組み合わせる」という編集作業のなかで効果的に演出されていくが、そこには足し算だけではない複雑な計算式があるのだろう。それが従来の漫画では体験できない、まったく新しい表現を切り拓いていく。
わたしが「初期化」され、その記憶がなくなってしまったとしたら、それはわたしと言えるのだろうか。この世界からすこし先、でも今とは地続きの、人間とヒューマノイドの物語。わたしのなかに、全てがある。
森泉岳土『セリー』(エンターブレイン)

絵本作家として数多くの著作もある中野真典さんだが、久しぶりにお会いしたとき「思っていたより小柄だな」という印象を受けた。控えめに話をされ、その場の空気をなるべく波立たせないようにしている身のこなしが、そう思わせたのかもしれない。
中野さんの自主製作の本は、ダイナミックな絵が洗練された冊子のなかに収まった、一見して「素晴らしい」ものだった。手にした瞬間そう思い、すぐに感想を伝えたところ、中野さんは何か考えるようにチラリとわたしを見ただけで、それには何も答えることはなかった……。
そのあと会話は何もなかったかのように、普段通りに戻っていったが、こちらの軽薄を射抜くような一瞥こそが中野さんなのであり、いまでもずっとその視線に問いかけられているような気がしている。
なぜ、そんなに「旅芸人」に魅せられるのだろう。大地から湧いてくる形と色彩、自らの記憶が未分化に差し出される。ダイナミックでいながら繊細な、中野真典の魅力が味わえる一冊。
中野真典『旅芸人の記録』(くちぶえ書房)
今年の「本屋の時間」はこの回が最後です。来年もまた、この場所でお会いしましょう。(今回のおすすめ本のコーナーはお休みします)
◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます
連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBS
◯2025年4月25日(金)~ 2025年5月13日(火)Title2階ギャラリー
「定有堂書店」という物語
奈良敏行『本屋のパンセ』『町の本屋という物語』刊行記念
これはかつて実在した書店の姿を、Titleの2階によみがえらせる企画です。
「定有堂書店」は、奈良敏行さんが鳥取ではじめた、43年続いた町の本屋です。店の棚には奈良さんが一冊ずつ選書した本が、短く添えられたことばとともに並び、そこはさながら本の森。わざと「遅れた」雑誌や本が平積みされ、天井からは絵や短冊がぶら下がる独特な景観でした。何十年も前から「ミニコミ」をつくり、のちには「読む会」と呼ばれた読書会も頻繁に行うなど、いま「独立書店」と呼ばれる新たなスタイルの書店の源流ともいえる店でした。
本展では、「定有堂書店」のベストセラーからTitleがセレクトした本を、奈良敏行さんのことばとともに並べます。在りし日の店の姿を伝える写真や絵、実際に定有堂に架けられていた額など、かつての書店の息吹を伝えるものも展示。定有堂書店でつくられていたミニコミ『音信不通』も、お手に取ってご覧いただけます。
◯2025年4月29日(火) 19時スタート Title1階特設スペース
本を売る、本を読む
〈「定有堂書店」という物語〉開催記念トークイベント
展示〈「定有堂書店」という物語〉開催中の4月29日夜、『本屋のパンセ』『町の本屋という物語』(奈良敏行著、作品社刊)を編集した三砂慶明さんをお招きしたトークイベントを行います。
三砂さんは奈良さんに伴走し、定有堂書店43年の歴史を二冊の本に編みましたが、そこに記された奈良さんの言葉は、いま本屋を営む人たちが読んでも含蓄に富む、汲み尽くせないものです。
イベント当日は奈良さんの言葉を手掛かりに、いま本屋を営むこと、本を読むことについて、三砂さんとTitle店主の辻山が語り合います。ぜひご参加下さいませ。
【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】
スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。
『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』
著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト
◯【書評】
『生きるための読書』津野海太郎(新潮社)ーーー現役編集者としての嗅覚[評]辻山良雄
(新潮社Web)
◯【お知らせ】
メメント・モリ(死を想え) /〈わたし〉になるための読書(4)
「MySCUE(マイスキュー)」
シニアケアの情報サイト「MySCUE(マイスキュー)」でスタートした店主・辻山の新連載・第4回。老いや死生観が根底のテーマにある書籍を3冊紹介しています。
NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて本を紹介しています。
偶数月の第四土曜日、23時8分頃から約2時間、店主・辻山が出演しています。コーナータイトルは「本の国から」。ミニコーナーが二つとおすすめ新刊4冊。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。