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歴史と戦争

2018.08.02 公開 ポスト

「西郷どん」と明治維新の正体半藤一利

 平成最後の「終戦の日」を迎えるこの夏。改めて「戦争」について考えてみませんか?

 そのための格好の一冊が、作家・半藤一利さんの『歴史と戦争』です。80冊を超える著作の中からエッセンスのみを厳選、再構成した本書は、まさに「半藤日本史」の入門編にして集大成。幕末・明治維新から、軍国主義への突入、太平洋戦争と敗戦、そして戦後の復興までを一気につかむことができます。

 今回は特別に、その中から一部を抜粋してお届けします。

iStock.com/idmanjoe

西郷隆盛は「毛沢東」だった?

 西郷さんのことを理解するには、彼を毛沢東だと思えばいい。と、私はつねづね言っているんです。両者にはけっこう共通点があるんですよ。まず、二人とも詩が上手である。私はね、やっぱり偉い人は一種の詩人じゃなきゃだめだと考えているんですよ。

 金も要らない、地位も要らない、名誉も要らない、こういう人間が一番おっかない、などなど、いい言葉をたくさん残している。毛沢東にも『毛沢東語録』がありますからね。

 それから、二人とも農本主義者である。文明開化の世の中になり殖産興業がもてはやされても、その根底ではやっぱり農業が大事である、と。

 さらに、永久革命家である。革命が一つ終わればそれでお終いというのではなく、さらなる大改革をなさなきゃならん、という永久革命家なんです。

 長州や薩摩の田舎者が維新の権官となり、東京の女を妾にしていい気になっているのを見て苦々しく思ってたんでしょうね。《家屋を飾り、衣服をかざり、美妾を抱え、蓄財を謀りなば、維新の功業は遂げられまじくなり》と言っています。そんな連中を叩き潰すためにも再び革命を起こそうと。

(『仁義なき幕末維新』、菅原文太氏との対談で)

山形有朋と「西郷どん」

 秋色ようやく濃い九月二十四日、西郷(隆盛)は城山で自刃した。享年五十一である。城山陥落のとき、山形有朋は一首を詠じて激しかった戦いを偲んだ。

山もさけ 海もさけんとみし空の なごりやいづら 秋の夜の月

 土中に埋められていた西郷の首が発見され、山県の前にささげられた。首は泥で汚れていた。山県はそれを付近の泉で洗わせて、改めて対面した。山県はしばらく見つめていたが、「この髭は三日剃りくらいだろう」といい、しばしその髭をなでていたが、やがて、

「余を知る、翁に若くはなく、翁を知る、余に若くはない。憾むらくは君をして今日あるを致さしめたことを……」

 と、つぶやいて絶句したというが、いささか大時代的ではある。その感慨もわからなくはない。

 この戦争の真ッ最中の五月二十六日、木戸孝允が「西郷、もういい加減にせんか」の一語を最後に病死している。享年四十五。薩長を代表する二人の先達が相ついで世を去ったのである。山県の胸中には、木戸を喪ったいま長州を背負うのは自分以外にはないという思いがあったであろう。

(『山形有朋』)

明治維新は「暴力革命」である

 日本人がみんなして知恵を絞って考えるべきその大事なときに、薩長がそんなことおかまいなしで倒幕運動に血道をあげていた。けっきょく権力をにぎりたいだけでした。

 明治維新などとかっこいい名前をあとからつけたけれど、あれはやっぱり暴力革命でしかありません。その革命運動の名残が、明治十年の西南戦争までつづいたというわけです。西郷隆盛ひきいる叛乱軍を、新政府軍が倒して西南戦争が終わる。ここまでが幕末である、というのがわたくしの説です。

(『歴史に「何を」学ぶのか』)

幕末の大動乱の陰では……

 あの大動乱の時代に誰が一番ひどい目にあったかといえば、われら民草なんですよ。慶応元年(一八六五)から慶応三年ぐらいまでの間に、どのぐらい飢饉が起きて、どのぐらい一揆が起きているか、もう驚くほどです。それに、政治の方で権力争いが絶えないわけですから、民草の苦労ははかり知れないですよ。

(『仁義なき幕末維新』、菅原文太氏との対談で)

 

関連書籍

半藤一利『歴史と戦争』

幕末・明治維新からの日本近代化の歩みは、戦争の歴史でもあった。日本民族は世界一優秀だという驕りのもと、無能・無責任なエリートが戦争につきすすみ、メディアはそれを煽り、国民は熱狂した。過ちを繰り返さないために、私たちは歴史に何を学ぶべきなのか。「コチコチの愛国者ほど国を害する者はいない」「戦争の恐ろしさの本質は、非人間的になっていることに気付かないことにある」「日本人は歴史に対する責任というものを持たない民族」――八〇冊以上の著作から厳選した半藤日本史のエッセンス。

半藤一利『靖国神社の緑の隊長』

あの悲惨な戦争のさなかで、こんなにも立派に生きた日本人がいた。 終戦75回目の夏にどうしても次の世代に語り継ぎたい8人の将校・兵士の物語。

半藤一利/池上彰『令和を生きる 平成の失敗を越えて』

平成元年、ベルリンの壁とともに世界秩序も崩壊したことに気づかず、バブルに浮かれていた日本人。バブル崩壊後も、相次ぐ大災害と長きデフレにより、目先の生活を守ることに追われて、志向はさらに内向きに。そして日本は、理念を持たない「戦争ができる国」となり、「デマと差別が溢れる国」となった。その姿は、国際社会から取り残され、無謀な戦争に突き進んだ戦前の日本とあまりに重なる。過たずに済む分岐点はどこだったのか。昭和史研究の泰斗と現代を代表するジャーナリストが、平成の失敗を徹底的に検証した白熱対談。

半藤一利『歴史と人生』

『史記』でも『万葉集』でも、人間の悩みは現代と変わらない。失意のときにどう身を処すか、憂きこと多き日々をどう楽しむか。答えはすべて、歴史に書きこまれている。歴史こそ究極の人間学なのである――敬愛してやまない海舟さん、漱石さん、荷風さん、安吾さんの生き方。昭和史、太平洋戦争史を調べる中で突きつけられた人間の愚かさ、弱さ。天下国家には関係ないが、ハハハと笑えて人生捨てたもんじゃないと思わせてくれるこぼれ話等々。80冊以上の著作から厳選した歴史探偵流・人生の味わい方。

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半藤一利

1930年、東京・向島生まれ。東京大学文学部卒業後、文藝春秋入社。松本清張、司馬遼太郎らの担当編集者をつとめる。「週刊文春」「文藝春秋」編集長、専務取締役などをへて作家。「歴史探偵」を名乗り、おもに近現代史に関する著作を発表。著書に『漱石先生ぞな、もし』(正続、文春文庫 新田次郎文学賞)、『ノモンハンの夏』(文春文庫 山本七平賞)など多数。『昭和史1926‐1945』『昭和史 戦後篇1945‐1989』(共に平凡社ライブラリー)で毎日出版文化賞特別賞、2015年、菊池寛賞受賞。

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