

接客をしていると稀に、「本を売るのをためらうとき」があります。Titleにも学生と思しき人が訪れますが、若い人が自分の財布のなかから折りたたんだお札を丁寧に伸ばし、高額な本を買っていくときはこちらも緊張します。そこには自分の〈安全圏〉を超えてものを買うという覚悟があり、売る側もそうした本気を受け止めなければなりません。
先日二十歳くらいの女性が、レジまで文庫本を1冊持ってきて少し考えこんだのち、「ちょっと待ってください」と言って店内に戻り、1冊5,000円ほどする専門書(ハンナ・アーレント『全体主義の起原』1巻~3巻)を、3冊手に持ち戻ってきました。その人は店内で1時間くらい真剣な表情で本を見ていたので、「何を買うのだろう」と少し気になっていました。
「まずは1巻だけでもいいんじゃないですか?」と言いそうになりましたが、結局それは口にしませんでした。それは彼女にもわかっていたでしょうし、それでもいま3冊とも買いたいのだろうと思ったからです(買いものとはそのようなものだと思います)。会計をして見送ったのち、「ふぅ」とため息がもれました。
『全体主義の起原』は難しい本なので、彼女がその本を読み通せるかはわかりません。しかし本には「読むべきときが来ないと、読めない本」もあり、全部読まなければならないものでもないと思います。それよりは「あの時、あの店で、目をつぶるようにして本を買った……」という体験が、その人の先の人生を豊かにします。本棚に並んだ本は、その人の生きた記録でもあるのです。
今回のおすすめ本

「いつかは読まなきゃと思っていた『百年の孤独』を、代わりに読んでくれるだなんて凄い!」
ゆっくりした「読む」道行きには、様々な日本のカルチャーが差し挟まれ、「一体、俺は何を読んでいるのだろう」と自分の足元を確かめたくなる。でもいつかは『百年の孤独』も読んでください。本当に面白いから。
◯連載「本屋の時間」は単行本でもお楽しみいただけます
連載「本屋の時間」に大きく手を加え、再構成したエッセイ集『小さな声、光る棚 新刊書店Titleの日常』は、引き続き絶賛発売中。店が開店して5年のあいだ、その場に立ち会い考えた定点観測的エッセイ。お求めは全国の書店にて。Title WEBS
◯2025年8月9日(土)~ 2025年8月26日(火)Title2階ギャラリー
岡野大嗣と佐内正史の写真歌集『あなたに犬がそばにいた夏』(ナナロク社刊)の刊行記念展。佐内正史の手焼き写真5点の展示販売、岡野大嗣の短歌と書き下ろし作品などなど、本書に描かれる夏の日が会場にひろがります。短歌×写真のTシャツ「TANKA TANG」ほか刊行記念グッズの販売もございます。ぜひ足をお運びください。
【店主・辻山による連載<日本の「地の塩」を巡る旅>が単行本になりました】
スタジオジブリの小冊子『熱風』(毎月10日頃発売)にて連載していた「日本の「地の塩」をめぐる旅」が待望の書籍化。 辻山良雄が日本各地の少し偏屈、でも愛すべき本屋を訪ね、生き方や仕事に対する考え方を訊いた、発見いっぱいの旅の記録。生きかたに仕事に迷える人、必読です。
『しぶとい十人の本屋 生きる手ごたえのある仕事をする』
著:辻山良雄 装丁:寄藤文平+垣内晴 出版社:朝日出版社
発売日:2024年6月4日 四六判ソフトカバー/360ページ
版元サイト /Titleサイト
◯【寄稿】
店は残っていた 辻山良雄
webちくま「本は本屋にある リレーエッセイ」(2025年6月6日更新)
◯【お知らせ】
〈いま〉を〈いま〉のまま生きる /〈わたし〉になるための読書(6)
「MySCUE(マイスキュー)」 辻山良雄
今回は〈いま〉をキーワードにした2冊。〈意志〉の不確実性や〈利他〉の成り立ちに分け入る本、そして〈ケア〉についての概念を揺るがす挑戦的かつ寛容な本をご紹介します。
NHKラジオ第1で放送中の「ラジオ深夜便」にて本を紹介しています。
偶数月の第四土曜日、23時8分頃から約2時間、店主・辻山が出演しています。コーナータイトルは「本の国から」。ミニコーナーが二つとおすすめ新刊4冊。1週間の聴き逃し配信もございますので、ぜひお聞きくださいませ。
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本屋の時間

東京・荻窪にある新刊書店「Title(タイトル)」店主の日々。好きな本のこと、本屋について、お店で起こった様々な出来事などを綴ります。「本屋」という、国境も時空も自由に超えられるものたちが集まる空間から見えるものとは。