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第九 ベートーヴェン最大の交響曲の神話

2017.12.26 公開 ツイート

年末の風物詩「第九」が2011年4月10日にも演奏された、あの日の話から始めよう 中川右介

クラシック音楽において「第九」といえば、ブルックナーでもなくマーラーでもなく“ベートーヴェンの”交響曲第九番のこと。欧米では神聖視され、ヒトラーの誕生祝賀、ベルリンの壁崩壊記念など、歴史的意義の深い日に演奏されてきた。演奏時間は70分と長く、混声合唱付きで、初演当時は人気のなかったこの作品が「人類の遺産」となった謎を追う。

(写真:iStock.com/Furtseff)
 二〇一一年四月十日 日曜日の午後、上野の東京文化会館で「第九」が演奏された。指揮はズービン・メータ、オーケストラはNHK交響楽団だった。

 この国では年末に演奏されることになっている「第九」が、なぜ季節外れの桜の時期に演奏されたのか。このコンサートは、「東京・春・音楽祭――東京のオペラの森2011」のプログラムのひとつで、「東北関東大震災 被災者支援チャリティー・コンサート」だったのだ。本来ならばこの日はワーグナーの《ローエングリン》が演奏会形式で上演されるはずだったが、放射能を恐れた外国人演奏家たちが来日を拒み、中止となっていた。そこで、メータが単身で来日し、「第九」を演奏することになったのだ。

 被災者に気を遣っての自粛ムードが高まり、三月十一日以降、コンサートの中止が多くなっていたところに追い打ちをかけたのが、東京電力の原子力発電所事故による放射能汚染の拡大だった。秋になっても演奏家の来日キャンセルは続いているのだから、三月や四月の段階で、来たがらない音楽家がいるのは当然だった。それなのに、メータは来た。

 実はメータは、三月十一日の大地震当日、日本にいた。フィレンツェの歌劇場とともに来日公演のツアー中だったのだ。しかし放射能被害を危惧(きぐ)したフィレンツェ市当局は、歌劇場に対し日本公演を中止してすぐに帰国するよう命令し、以後の公演は中止となった。メータは、自分は残って日本人を励ますためにコンサートをしたいと、日本のオーケストラに呼びかけたが、どこも応じなかった。彼は無念の思いで、いったん、帰った。その後、NHK交響楽団との話がまとまり、日本へ再びやって来たのだ。

 私はメータの侠気(おとこぎ)に感銘を受けて、チケットを買い、桜が満開の上野へ向かった。

 オーケストラと合唱団が揃い、チューニングが終わると、メータがゆっくりと、沈痛な面持ちで登場した。それだけで拍手とブラボーの声が出た。演奏への賛辞ではない。来てくれたことへの感謝の意味の喝采(かっさい)だった。しかし、メータはにこりともせず、沈痛な表情を崩さなかった。

 メータはステージ中央までくると、客席へ向かい、スピーチを始めた。「桜が満開となる今日、避難所で苦労している被災者の方々が、来年以降は桜を楽しめるように願っています」というようなことを言った。そして、メータは黙祷(もくとう)を呼びかけた。聴衆全員が起立し、一緒に黙祷した。その後、「バッハの管弦楽組曲のアリア(通称「G線上のアリア」)を先に演奏するが、それが終わっても拍手をしないでくれ」と言った。通訳は「拍手をしてください」と誤訳したが、オーケストラの楽団員がその誤りを訂正した。笑い声が出たのはこの時だけだった。

 こうして、バッハが始まった。追悼(ついとう)ムードが広がっていく。終わっても、当然、誰も拍手はしない。数十秒の静寂のなかから、「第九」が静かに、悠々と始まった。

「被災者支援チャリティー」と銘打ってはいたが、この日の「第九」は、メータのスピーチが犠牲者への追悼の念に満ち、聴衆とともに黙祷をしたことが示すように、追悼演奏会の性格も持っていた。しかし「追悼」なのに、最後は「歓喜の歌」となる「第九」でいいのだろうかと、聴きながら考えていた。

 

 もともと第一楽章は重い雰囲気だ。第二楽章は聴く時の気分により狂気にも恐怖にも聴こえるが、この日は苦闘の音楽だと感じた。そして天国的に美しいはずの第三楽章がそこまで達することなく終わり、第四楽章となった。

 それはたしかに「歓喜の歌」だったが、幸福感に溢(あふ)れたものではなかった。明日からがんばるぞ、という雰囲気でもなかった。祝祭的なきらびやかさもない。演奏中、メータは微動だにしなかった。腕も最低限の動きしかしない。興奮させまいと、睨んでいるようだった。

 演奏が終わると、まさに割れんばかりの拍手とブラボーの嵐となった。オーケストラがステージから立ち去ってもそれは鳴り止まなかった。オーケストラへの賛辞ではなく、あくまで、メータへの喝采だった。

 拍手をしながら、「第九」は鎮魂の曲でもあったのかと、私はようやく気づいた。

 実は、このチャリティー・コンサートのことを知った時、なぜ「第九」なのだろうと最初は選曲に違和感があった。震災からまだ一カ月で、追悼の気分が強いのに、どうして「歓喜の歌」なのだろう、と。自粛ムードを吹き飛ばすために景気のいい曲にしたのだろうかとも思ったが、ともかく、メータの真意が分からないまま、私は上野へ出かけたのだ。

 そして、満開の桜を見た後に「第九」を聴いて、桜が鎮魂の花であるように、「第九」が鎮魂の曲でもあると理解したのだ。

 その頃はすでに「第九」の本を書こうと漠然と考えていたので――このコンサートに出かけたのはそういう理由もあった――過去にこの曲がどのような状況で演奏されてきたか、ある程度の知識はあった。

 ナチ政権下のドイツではヒトラーの誕生日を祝福するコンサートで演奏され、アメリカでは連合国の勝利を願うチャリティーコンサートで演奏され、そうかと思うと、バイロイト音楽祭再開記念に演奏され、ベルリン・フィルハーモニーの新しいホールの落成コンサートでも演奏され、あるいはベルリンの壁崩壊を祝福しても演奏される。毎年、大晦日(おおみそか)に演奏するオーケストラもあれば、新年に演奏するところもある。祝祭の音楽にも、追悼の音楽にも、国家の音楽にも、権力者の音楽にも、労働者の音楽にも、年越しの音楽にもなる――それが「第九」だった。そんな曲は、他にない。

「第九」は演奏時間が長く、交響曲なのに声楽が加わるという外形的な特異性の他に、政治利用されてきた過去と、日本における「年忘れ大感謝祭」的な位置づけもあり、「特別な曲」となっている。

 その正体は、実はよく分からない。本当に名曲なのだろうかと疑問を抱くことすらある。

 

「第九」は、宗教も国家も、言語も、そして音楽すら超越した「何か」なのかもしれない。

 その「第九」がこれまでの二百年間にどのような存在であったかをみていきたい。

 音楽としてどう優れているのかといった分析、解析は音楽学者に任せておけばいい。指揮者・オーケストラごとの演奏の比較はマニアに任せておけばいい。そういった専門性に頼るのではなく、「第九」がどのような聴かれ方をしてきたかを、「人物」と「事件」を通して描いてみたい。

 この曲は一八二四年二月に完成し、その年の五月に初演された。その頃のベートーヴェンがほとんど耳が聴こえなかったこと、そのため、初演時には演奏が終わったことも、聴衆が拍手していることにも気づかなかったという、有名なエピソードから、この曲の歴史は始まる。

 この本は、その「第九」という曲の「生涯」を描くものだ。その命は、人類が音楽を演奏し、聴き続ける限り続くであろうから、終わりはない。その未完の生涯を、とりあえず二十世紀の終わりまで描く。

 当初はほとんどの人に理解されなかった「新奇な曲」が「名曲」として受け入れられていくまでが前半だ。そこでは、大音楽家たちが、まるでリレーのように、「第九」を引き継いでいく。後半は名曲となった「第九」がどのような機会に演奏されていったかを、大指揮者の演奏記録をもとに繙ひもといていく。「第九」と格闘する者もいれば、「第九」を利用しようとする者もいる。だが、「第九」はそのすべてを呑み込んでしまう。

 さて、本書の副題を「神話」とした――すべての民族がそれぞれの神話を持つといわれるように、クラシック音楽ファンという民族も、さまざまな神話を持っている。これはそのなかでも最大のもの、「第九」神話である。

 神話の多くが天地創造の物語で始まるように、造物主であるベートーヴェンによる「第九」創造の物語から、メンデルスゾーン、ワーグナー、リスト、ビューロー、ニキシュ、マーラーといった神々の手で「第九」が地上にもたらされ、トスカニーニ、ワインガルトナー、フルトヴェングラー、ワルター、カザルス、カラヤン、バーンスタインといった英雄たちが格闘する英雄神話へと続く。

 そんな雄大かつ勇壮な気分で読んでいただければ、ありがたい。

関連書籍

中川右介『第九 ベートーヴェン最大の交響曲の神話』

クラシック音楽において「第九」といえば、ブルックナーでもマーラーでもなく“ベートーヴェンの”交響曲第九番のこと。日本の年末の風物詩であるこの曲は、欧米では神聖視され、ヒトラーの誕生祝賀、ベルリンの壁崩壊記念など、歴史的意義の深い日に演奏されてきた。また昨今は、メータ指揮のN響で東日本大震災の犠牲者追悼の演奏がなされた。ある時は祝祭、ある時は鎮魂――そんな曲は他にない。演奏時間は約70分と長く、混声合唱付きで、初演当時は人気のなかったこの異質で巨大な作品が「人類の遺産」となった謎を追う。

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第九 ベートーヴェン最大の交響曲の神話

ヒトラーの誕生祝賀、ベルリンの壁崩壊記念など、欧米では歴史的意義の深い日に演奏されてきた「第九」。祝祭の意も、鎮魂の意も持つこの異質で巨大な作品が「人類の遺産」となった謎を追う。

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中川右介

一九六〇年東京都生まれ。編集者・作家。早稲田大学第二文学部卒業。出版社勤務の後、アルファベータを設立し、音楽家や文学者の評伝や写真集を編集・出版(二〇一四年まで)。クラシック音楽、歌舞伎、映画、歌謡曲、マンガ、政治、経済の分野で、主に人物の評伝を執筆。膨大な資料から埋もれていた史実を掘り起こし、データと物語を融合させるスタイルで人気を博している。『プロ野球「経営」全史』(日本実業出版社)、『歌舞伎 家と血と藝』(講談社現代新書)、『国家と音楽家』(集英社文庫)、『悪の出世学』(幻冬舎新書)など著書多数。

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