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人生を半分あきらめて生きる

2020.04.10 公開 ツイート

運命に翻弄されるしかない無力な人間にできること【再掲】 諸富祥彦

普段とは違う日々が続きます。不安やストレスが増す毎日に少しでも役に立ちそうなものを過去記事からあらためてご紹介します。丁寧に暮らし、心も守るヒントをあなたに。

* * *

(写真:iStock.com/5xinc)

「ふつうの幸せ」が難しい時代です。憧れの仕事、理想の結婚、豊かな老後……を手に入れることができるのはごく少数。しかし、そこで「人並みになれない自分」に焦り苦しむことなく、満たされて生きるにはどうすればいいのか――?
『人生を半分あきらめて生きる』には、人生を上手にあきらめる知恵、そこから生きるエネルギーを取り戻す工夫が詰まっています。
臨床経験豊富な心理カウンセラーの言葉で、少しでも気持ちを楽にしてください。


時間は、想定どおりには流れていかない

 これまで、さまざまな悩みや苦しみ、不安の背景にあるものを見てきました。

 それは、「こうあればいいのに」「こうなるはずだ」という願望や思い込みです。

「私は、まだ何十年かは、生きているはずだ」

「もっとがんばれば、もっと努力すれば、仕事や勉強で『理想の自分』に近づいていくことができるはずだ」

「私がもっと自分磨きに成功すれば、思い描いているような恋愛や結婚をすることができるはずだ」

「私が親としてもっとがんばれば、子どもも、もっとよく勉強して、成長していくことができるはずだ」

「これまでたまたまいいご縁や出会いに恵まれなかっただけで、いつかはきっと、素敵な人と結ばれて、多くの人に支えられながら温かい死を迎えることができるはずだ」

 そんな「きっといつか、こうなる」「こうあればいいのに」という「思い込み」や「願望」に支えられて、私たちは生きています。

 こうした「思い込み」や「願望」なしで、現実をひたすら直視しながら生きていくことができるほど、私たち人間は、強い生き物ではありません。

 私も、そうです。

 現実ばかりを直視していたら、生きる気力を失ってしまいそうになることも、時折あります。

 けれども、いわゆる「現実」がいかにはかなく、脆もろいものであるかを、私たちは3・11の震災や、原発事故で痛いほど思い知らされました。

 もしかすると、私たちのいのちは明日、終わってしまうかもしれません。

 いのちだけではありません。

 首都圏が大きな被害を受ければ、日本経済は確実に破綻に追い込まれるでしょう。

 私は経済の専門家でないのでわかりませんが、そうすると、私たちがコツコツと貯めてきた預貯金の実質的な価値も、突然、半分に、いや、10分の1になったりすることもありうるでしょう。

 コツコツまじめにがんばれば、いつか必ず報われる、という社会が、いい社会であると私も思います。

 しかし残念ながら今の日本社会は、それとはほど遠い社会です。「まじめにがんばっていれば、報われる」というのは、幻想でしかありません。そこにあるのは「時間は、想定どおりに流れていく」という「時間幻想」であり、「錯覚」です。

 コツコツまじめにがんばっていれば、「いつか、きっと、いいことがあるはずだ」という思い込みは、「人生は、いつ、どんな想定外のことが、突然起こるか、わからない」というリアルな事実を「明らかに見ていない」(直視していない)から成り立つものなのです。

 

「過去の願望」や「未来への空想」に逃げ込まない

 では、どうすればいいのでしょうか。

「こうなるはずだったのに」と、「過去に思い描いた願望」に逃避するのをやめることです。

「いつか、きっと、こうなるはず」という「未来に思い描く空想」に逃げるのをやめることです。

 いつ、何が起きるか、わからない。そんな運命に翻弄されることしかできない、無力な人間にできること。それはただ、「今、この瞬間」を心を込めて生きること。ただそれだけだ、ということを胸に刻んで生きていくことです。

「私たちにできるのは、ただ、この瞬間を、心を込めて生きること」

 このリアルな現実を「明らかに見る」と、さまざまなことに「あきらめ」がついていきます。さまざまな「思い込み」や「願望」「執着」を手放していくことができるのです。

「私は、明日死ぬかもしれない。今日一日、いのちが与えられていたことは、ありがたいことだ」

「『理想の自分』に近づけなくてもいい。『理想の自分』になれないからといって、自分がダメなわけではない。こうやって、あがいたり、もがいたりしていること自体に、大きな価値があるのだ」

「思い通りの恋愛や結婚なんて、できないのが普通だ。そもそも、そんな素晴らしい結婚や恋愛をしている人が、どれくらいいるものか。もしそんなことができている人がいたら、ものすごい幸運に恵まれているだけだ」

「親がいくらがんばっても、親の思い通りに、子どもが育つわけがない。親は親。子どもは子ども。子どもには、子ども自身が歩んでいくべき『道』がある」

「人間みな、ひとりで生まれ、ひとりで死んでいく。つまり、基本は、孤独死だ。そして、孤独死、無縁死をして、葬式をあげてもらえない人も、ごくふつうにいるものだ。たまたまいいご縁や出会いに恵まれて、支えられて死ぬのも悪くないけれど、誰にも看取られず、ひとりで死んでいくからといって、けっしてみじめなことなんかでは、ない」

 そんな考え方ができるようになっていくはずです。

 考えてみれば、これが「ごくふつうの考え」なのです。

「こうなるはずだったのに」というのは、「過去に抱いた願望」へのとらわれ。

「いつかきっとこうなるはず」というのは、「未来の空想」へのとらわれ。

 そしてこれが、私たちの不安や焦りや自責や後悔を生む背景にある原因です。

 こうした願望や空想への執着から自分を解放すれば、「ごくふつうの、当たり前のこと」を「当たり前のこと」と受け入れることができるようになっていきます。

 そして「こうなるはずだったのに」と、これまでの自分を悔いたり、責めたりすることがなくなってきます。

「いつかきっとこうなるはずなのに」と、未来に描いた空想と現実の自分を比較して焦ることもなくなるでしょう。

(『第十章「さわやかに、あきらめて生きる」ための「9つのライフ・レッスン」より)

*このあと9つのライフ・レッスンが続きます。書籍『人生を半分あきらめて生きる』をご覧ください。

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諸富祥彦

1963年福岡県生まれ。1986年筑波大学人間学類、1992年同大学院博士課程修了。英国イーストアングリア大学、米国トランスパーソナル心理学研究所客員研究員、千葉大学教育学部講師、助教授(11年)を経て、現在、明治大学文学部教授。教育学博士。 時代の精神(ニヒリズム)と「格闘する思想家・心理療法家」(心理カウンセラー)。 日本トランスパーソナル学会会長、日本カウンセリング学会理事、日本産業カウンセリング学会理事、日本生徒指導学会理事。 教師を支える会代表、現場教師の作戦参謀。 臨床心理士、上級教育カウンセラー、学会認定カウンセラーなどの資格を持つ。

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