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人生を半分あきらめて生きる

2017.10.02 更新

人生をあきらめたあと、何が残るのか諸富祥彦

(写真:iStock/flyparade)


「ふつうの幸せ」が難しい時代です。憧れの仕事、理想の結婚、豊かな老後……を手に入れることができるのはごく少数。しかし、そこで「人並みになれない自分」に焦り苦しむことなく、満たされて生きるにはどうすればいいのか――?
『人生を半分あきらめて生きる』には、人生を上手にあきらめる知恵、そこから生きるエネルギーを取り戻す工夫が詰まっています。
臨床経験豊富な心理カウンセラーの言葉で、少しでも気持ちを楽にしてください。


人生を半ばあきらめつつ、あえて本気で生きる

 本書では、「人生を、半分、あきらめて生きる生き方」を、これからの厳しい時代を生き抜いていく智慧として提案しました。

「自分は、もうすぐ死ぬかもしれない」とあきらめる。

「理想の自分にはなれない」とあきらめる。

「願い通りの結婚や恋愛はできない」とあきらめる。

「思い通りの子育てはできない」とあきらめる。

「自分は、孤独死するかもしれない」とあきらめる。

 自分で書いておいて言うのも何ですが、なかなか手厳しい内容ですね。

 これだけあきらめておいて、後に、いったい何が残るのか、と思われる方もいるかもしれません。

 しかし、こうやって見ていくと、人生の大半は「どうしようもないこと」「なるようにしか、ならないこと」ばかりだということが、改めてよくわかってきます。

「いくら死にたくなくても、死ぬときは死ぬ」のです。

「いくら理想の自分になろうとがんばっても、なれないものは、なれない」のです。

「いくら願いどおりの結婚や恋愛をしたいと思っても、できないものは、できない」のです。

「いくら思い通りに子どもを育てようと思っても、子どもは、育つようにしか、育たない」のです。

「いくら、孤独死だけはいやだと思っても(私も思いますが)死ぬとき、ひとりだったら、あきらめるほかない」のです。

 このように、人生の大半は、「いくらどうにかしたいと思っても、どうしようもないこと、あきらめなくてはならないこと」ばかりです。

 それが人生の現実なのですから、仕方ありません。

 あきらめるほかない、のです。

 私だって「不死の肉体」が与えられて、死ななくてすむのなら、死にたくありません。

 もっとハンサムな「理想の自分」になれるのなら、なりたいものです。

 もっとモテまくって、思うがままに恋愛できるのであれば、そうしたかったものです。

 出張も多いので、実際、死ぬときはひとりかもしれません(子どもだけは、予想以上にうまく育っていますが)。

 すべて、ただ、あきらめるしかない、のです。

 しかし、大切なのは、多くのことをあきらめた上で、「にもかかわらず、なおも、本気で生きていく」ことです。

 たとえ人生の9割をあきらめざるをえなかったとしても、自分が大切にしたいものを本気で大切にして生きていくと、たましいの深いところが、満たされていきます。

 もちろん、本気で生きることには、大きなリスクが伴います。

 私のもとに相談に見えるクライアントの方の多くは、本気で生きています。

 本気で生きているからこそ、絶望し、傷つき、病気にもなったのです。

 以前に一度、ユング心理学の大家、河合隼雄先生に『現代のエスプリ』(No.435)という雑誌の座談会でお話をうかがったことがあります。

 このとき、ちょっとした休憩時間にだったでしょうか。

 河合先生はぽつりと、こんなことをおっしゃいました。

「諸富さん。クライアントの方は、本気でっせ。私たちカウンセラーも、ちいたぁ本気で生きなくては、とてもついていけませんよ」

「本気で生きれば、傷つかないわけにはいきません。しかし、傷つかずに変わろうなんて、そんな虫のいい話は、ありません」

 なかなか厳しい言葉ですが、いずれの言葉にも、心から同意します。

 私たちは、本気で仕事をするからこそ、失敗したり、周囲とぶつかったりして、大きく傷ついてしまうことがあります。

 本気で恋をするからこそ、恋に破れたとき傷つき、「あの人でなくては、どうしてもだめなんだ」と悩み苦しむのです。

 本気で夫婦をするからこそ、お互いに不満が募り、コミュニケーションができなくなって、悩み苦しむのです。

 真摯(しんし)に自分自身と向き合い、真剣に生きていこうとするならば、悩みや苦しみ、痛みや傷つきは避けることができません。

 もしも、仕事でも、恋愛でも、夫婦関係でも、適当なところで妥協して小こ賢ざかしく生きていくことができていれば、大きな痛みや傷を抱えることなく生きていくことができるでしょう。

 しかし、それでは「何か」が、満たされないのです。

 本気で生きなければ、「たましいの深いところ」は、決して満たされはしないからです。
(『第十一章「人生を9割あきらめても、残り1割をあえて本気で生きる」より)

*続きは書籍『人生を半分あきらめて生きる』をご覧ください。

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諸富祥彦『人生を半分あきらめて生きる』

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諸富祥彦

1963年福岡県生まれ。1986年筑波大学人間学類、1992年同大学院博士課程修了。英国イーストアングリア大学、米国トランスパーソナル心理学研究所客員研究員、千葉大学教育学部講師、助教授(11年)を経て、現在、明治大学文学部教授。教育学博士。 時代の精神(ニヒリズム)と「格闘する思想家・心理療法家」(心理カウンセラー)。 日本トランスパーソナル学会会長、日本カウンセリング学会理事、日本産業カウンセリング学会理事、日本生徒指導学会理事。 教師を支える会代表、現場教師の作戦参謀。 臨床心理士、上級教育カウンセラー、学会認定カウンセラーなどの資格を持つ。

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