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月9 101のラブストーリー

2016.12.31 更新

最終回

田原俊彦の月9「びんびんシリーズ」のはじまりと、SMAP 6人のデビュー中川右介

「月9」が連続ドラマの頂点に立つまでの10年の軌跡と、恋愛とバブル経済に沸き、崩れ始める日本を描いた話題作『月9 101のラブストーリー』(中川右介著)からの試し読み最終回。
「月9」第三弾ドラマで登場したのは、田原俊彦主演『ラジオびんびん物語』。女性アイドル戦線も群雄割拠の戦国時代でしたが、男性アイドル戦線は、田原俊彦、近藤真彦の成功以後、ジャニーズ事務所の一人勝ちとなっていきます。82年にはシブがき隊がデビュー。少年隊、光GENJIと続き、そして87年、光GENJIのバックでスケボーを乗り回す「スケートボーイズ」の12名のメンバーの中に、のちにSMAPとなる6人がいたのです。

 

 第一章 前史としての「業界ドラマ」——1987年 

 田原俊彦の「びんびんシリーズ」の始まり

 五月十八日に始まった『男が泣かない夜はない』は、前作とは違ってシリアスな雰囲気のタイトルだが、これが当初、四月スタートを予定していた第一制作部が作るドラマだった。そのため、この作品は通常のワンクールにあたる十一回となる。

 主演は三田村邦彦で、情報ビデオマガジンの映像ディレクター役を勤めた。三田村の役はフリーのCMディレクターだったが、クライアントを怒らせ仕事がなくなり、ビデオマガジンへ来たという設定だ。三田村は同時期に『ママはアイドル!』にも出ていた。三田村の相手役はかとうかずこで、人気上昇中の女性カーレーサー役を勤めた。この二人が同棲していることは誰にも知られていない。その三田村のマンションの隣に引っ越してきたのが、ビデオマガジンの編集部の新入社員で、伊藤かずえ。当然のように、この三人は三角関係になっていく。

 八〇年代後半、ようやくほとんどの家庭にVTRが普及するようになっていた。ビデオは最先端のメディアだったのである。かとう扮する女性カーレーサーも、最先端の職業だった。しかし映像ディレクターやカーレーサーは物珍しくはあったが、裏を返せば身近ではなかった。ビデオの制作過程がドラマ内で描かれたので『男が泣かない夜はない』にも「業界もの」の要素はあるが、それほどは関心を呼ばなかった。この時代、自分で映像を撮ろうと思う者はまだ少ない。さらに、俳優陣が実力はともかく人気の点で弱かったこともあり、七月二十七日までの十一回で平均視聴率一四・〇パーセントに終わった。

 この間の六月十二日、この年最大の芸能界のイベントとして、郷ひろみと二谷友里恵の結婚式があり、テレビ中継もされ、四七パーセントの視聴率を獲得した。郷のかつての恋人で二年前に結婚していた松田聖子はコンサート・ツアー中だった。つまりは松田聖子以外のほとんどの芸能人が郷と二谷の披露宴に出席していた。

 七月十七日には戦後昭和最大の映画スター、石原裕次郎が五十二歳の若さで亡くなった。昭和の終わりが近づいていた。

 

 夏休みの最中の八月三日から、田原俊彦主演『ラジオびんびん物語』が始まった。タイトルからして『アナウンサーぷっつん物語』とのシリーズ性を感じさせ、初回は一九・六パーセントと好スタートを切った。この作品も編成部が企画したもので、制作プロダクションは東宝だ。亀山千広が「企画」としてクレジットされていた。

 田原俊彦は一九八〇年代のトップアイドルだった。さらにはジャニーズ事務所の中興の祖と言っても過言ではないが、現在はジャニーズ事務所の歴史から抹消されている。その田原のテレビドラマでの代表作が、「びんびん」シリーズであり、これはその第一作だった。

 田原俊彦は一九六一年生まれなのでこの年、二十六歳。姉が二人、妹が一人の四人きょうだいだったが、小学校に入学してすぐに父が亡くなり、母は苦労した。芸能人になりたいという動機のひとつが、家族の生活のためだった。高校に入るとジャニーズ事務所に履歴書を送ったが、梨(なし)の礫(つぶて)だったため、東京の事務所へ行きジャニー喜多川の居場所を問い合わせ、直接会って話し、入れてもらった。

 当時のジャニーズ事務所は郷ひろみがバーニングプロダクションへ移籍したばかりで、それに次ぐスターがなかなか出ない低迷期にあった。田原にとってはチャンスだった。最初は川崎麻世のバックで踊る仕事をしていたが、やがてTBSの『3年B組金八先生』に出演し、注目された。長期シリーズとなる「金八」の、その第一作である。一九七九年十月から翌八〇年三月まで放送された。田原はすでに高校を卒業し十八歳になっていたが、中学三年生を演じた。この「金八」第一作にはジャニーズ事務所の近藤真彦と野村義男も出演しており、三人は「たのきんトリオ」として人気が出る。他に、鶴見辰吾、杉田かおる、三原順子(現・三原じゅん子)、小林聡美らも生徒役として出ており、彼らの成功によって、「金八」シリーズは若手芸能人の登竜門のひとつとなっていく。

 八〇年三月に「金八」が終わった頃には、女の子の間では「たのきん」は人気が出ていた。新しいアイドル誕生の機は充分に熟しており、田原は六月に《哀愁でいと》でレコード・デビューすると、たちまちトップアイドルへと上り詰めた。

 女性アイドルで同時期にデビューしたのが松田聖子であり、この二人の登場で八〇年代アイドルブームの幕は切って落とされたのだ。近藤真彦もこの年の十二月に《スニーカーぶる~す》でレコード・デビューし、翌年二月公開の映画『青春グラフィティ スニーカーぶる~す』で主演し、これが「たのきん映画」第一作となる。

 女性アイドル戦線は、松田聖子を擁するサンミュージックだけでなく、各プロダクションが次々と新人を売り出していき、群雄割拠の戦国時代となるが、男性アイドル戦線は、田原、近藤の成功以後、ジャニーズ事務所の一人勝ちとなり、同社は帝国建設へと向かうのだった。八二年にはシブがき隊がデビューし、以後、少年隊、光GENJIと続いた。

 八〇年に歌手としてデビューした松田聖子も、その前年にテレビドラマで芸能界デビューをしており、八一年には『野菊の墓』で映画にもデビューしていた。八〇年代アイドルの多くが、デビュー時から歌と映画・ドラマの両輪で活躍していたのである。歌手と女優の兼業は昔からあり、最大の成功例が美空ひばりであり山口百恵だが、この二人は、最後には歌に戻った。しかし八〇年代アイドルのほとんどは、歌には戻らない。

 アイドル、とくに女性アイドルの場合、長くても五年が寿命とされていた。美空ひばりのように、よほど歌がうまくなければ、歌手としては生き残れない。女優に転向して芸能界に残る者も多かったが、主役として残れる人は少なかった。

 田原俊彦もデビューから五年が過ぎると、レコード売り上げに陰りが見えてきた。本人もそれは自覚していた。彼の著書『職業=田原俊彦』(以下、「自伝」とする)には当時の葛藤がこう書かれている。

 〈ずっと同じやり方を続けても、いずれ飽きられてしまうこともあり、時にはファンの期待を良い意味で裏切ることも必要である。従来通りにファンの期待に応えつつも、新しい田原俊彦を見せていかねばならない。その葛藤に僕も事務所もディレクターも悩まされつづけた。〉

 一九八六年十二月にリリースしたアルバム《目で殺す》では阿久悠(あくゆう)に作詞を、宇崎竜童に作曲を依頼し、ロック色の強い男っぽさを打ち出してみたが、売り上げはふるわなかった。そこで、映画やドラマ、あるいはミュージカルなど、他の分野に活動の場を求めようとしていた時期に、『ラジオびんびん物語』の仕事が来たのだった。

 三十年後の現在からみれば、ドラマ全盛時代だったから歌が売れなくなったアイドルたちにも新たな活躍の場があったとも言えるが、そこそこの演技力と視聴率を取れる人気の二つを持つ二十代のタレントの層が厚かったために、九〇年代はドラマ全盛期となったとも言える。ドラマ界にとっても、アイドルにとっても幸福な時代だった。

 ともあれ、八〇年代アイドルがドラマでも成功する大きな前例となったのが、トップアイドルである田原俊彦の「びんびん」シリーズだったのだ。

 そして、この八七年秋、ジャニーズ事務所では、新しいグループが結成されていた。当時のトップアイドルである光GENJIの《ガラスの十代》のバックでスケボーを乗り回す「スケートボーイズ」である。メンバーは十二名。そのなかに、中居正広、木村拓哉、草彅剛、稲垣吾郎、香取慎吾、森且行という翌年SMAPとなる六人がいた。最年長の中居がこの年十五歳、最年少の香取は十一歳だった。森は九六年にオートレース選手になるために脱退するが、五人は日本のトップスターになり、全員がやがて「月9」に出演する。

  

※2016年も今日で最後。「月9」を切り口に、日本の来し方を怒濤の勢いで振り返ってみるのもいいかもしれません。続きはぜひ、本書『月9——101のラブストーリー』(中川右介著)をお手にとってお楽しみください。

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中川右介『月9 101のラブストーリー』

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月9 101のラブストーリー

都会を舞台にした男女の華やかな恋愛物語を徹底化させたトレンディドラマで日本を席巻した「月9」。『東ラブ』 『ロンバケ』『101回目のプロポーズ』…絶頂期の39作品を中心に、「月9」が連ドラの頂点に至る軌跡をたどる。

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中川右介

1960年生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。出版社IPCの編集長として写真集を中心に美術書を編集、ソ連の出版社とも提携した。後、出版社アルファベータを設立し、代表取締役編集長に(2014年まで)。ドイツ、アメリカ等の出版社と提携し、音楽家や文学者の評伝や写真集を編集・出版。クラシック音楽、歌舞伎、映画、歌謡曲、マンガなどの分野で旺盛な執筆活動を続ける。おもな著書に『十一代目團十郎と六代目歌右衛門』『坂東玉三郎』『カラヤンとフルトヴェングラー』(以上、幻冬舎新書)、『歌舞伎 家と血と藝』(講談社現代新書)、『山口百恵』『松田聖子と中森明菜』(以上、朝日文庫)、『阿久悠と松本隆』(朝日新書)などがある。現在では幻の本となっている三島由紀夫が序文を書いた澁澤龍彦訳『マルキ・ド・サド選集』を発行した彰考書院の三代目にあたる(同社は倒産)。

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